見出し画像

小説「獄中の元弁護士」(3)             「猪武者のなれの果て」

(2018年4月25日再び自宅にて)

 冷たく黒い金属製の異物が私の両手首に架せられた。父から相続した自宅応接間のソファに座る私の眼前には逮捕状と記された見覚えのある書面が示される。母は別室に押し込められて私との会話を禁ぜられている。やがて捜査員が私を促す、玄関を出るまで母の姿を目にすることは叶わない。私は姿の見えない母に向かって叫んだ。
「進めている件は諦めないで続けてっ!」
 母は私の弁護士業務停止後に行っていた、不動産を扱う新規事業を手伝ってくれていた。それは被害弁償を果たすための方策でもあった。母が奥の部屋で何か叫んでいるが私の耳にはその内容は届かない。捜査員が私が声を発するのを制止する素振りをする。黒いワンボックスカーの後部座席に乗せられ長らく住んだ自宅を後にする。懐かしい我が家を目にすることはそれ以降なかった。

 新宿の夜のネオンが目に眩しかった。赤信号で停車した車の窓に目をやると、サラリーマン風の酔っ払いが同僚らしき仲間と楽しそうに戯れている。日々普通に暮らすだけで満足する自分であれば、私も彼らのような刹那に身を任せるような風体で夜の街を闊歩していたのだろうか。いや全く想像できやしない。私は私のような生き方しかできない。

 私は子供の頃、戦時中の特攻隊員に憧れていた。愛する祖国や家族のために生命を懸けて戦うその生き様に憧憬の念を有していたのだ。平和な時代の人間の生き方にどこか空疎があるということを直感していたのかもしれぬ。人の人生の意味というものは自分が信じられる価値に我が身を捧げることにあると想念していたのではないか。そしてそうした価値に身を委ねることに人は喜悦計りない心気を得る、そんな人間の本質というものを知っていた。振り返ればそんな風に幼き自分を分析できる。

 私は弁護士であった父の長男として生を受けた。幼稚園に入園した頃、友人が自分の父親は会社に行って働いているのだと言っていた。覚えたことをすぐ話したくなる年頃だ。
 私は母に尋ねたのだった。自分の父親も「会社に行っているのか」と。それに対しての母は答えはこうだ。「お父さんは会社には行っていないわ。お父さんは正義の味方なのよ。」それが私が弁護士という存在に触れた最初であった。父は私の尊敬の対象だった。父の背広の匂いが好きだった。弁護士という存在は私にとって肯定的な意味しかなかった。

 2000年代になって司法制度改革を具現化する各施策が法制化され実行されていった。社会はより身近で利便性の高い司法サービスを求めていたのだ。確かに一般の市民が弁護士に相談するということは生半可で簡単な決意の元では踏み出すことができないものだろう。そうした司法のかたちを変えていくことを国や社会が求めている。その新しい司法の担い手として弁護士が期待されているのだ。しかしどうだ。弁護士たちは旧態依然たる自分たちの在り方に連綿としがみ付くばかりで、何ら自ら実践しようなどとは意気を生じたりはしない。
 西郷南洲が言っていた。「制度が変わっても人が変わらないと何も変わりはしない。」まさにその通りだ。私は徐々に弁護士という人種に嫌悪すら感じ始めていた。何故動かない、何故変わろうとしないのかと。結局は自己の保身が最優先なのか。私はこんな人間たちと同じレベルで同じ場所で生を終えるのは如何にも受け入れがたく思った。ならばやってやろうと。この国の司法を変える実践者になろうと。自らの力も顧みず馬鹿な決断をしたものだ。こういう馬鹿の風を蛮勇というのだ。単細胞の猪武者のなれの果てがこの様というわけである。

 警察署の門を潜ろうとすると眩いほどのフラッシュの光が私の目を射した。顔を覆うなどみっともない姿を晒すことはすまい。自分のしたことだ。逃げることはできない。私は全く見えなくなった自分の行く末を探すように顔を起こし視線を前に向けた。



いいなと思ったら応援しよう!