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小説「獄中の元弁護士」(2) 「あんた親不幸したね!」
それは突然に訪れた。
ガンガンとけたたましい音が鳴り響く。
「菅田さぁーん!菅田さぁーん!」
日本調の建物の引き戸は激しく叩かれ、私の名が連呼された。
ここで被害金の填補のための私の仕事も一旦は打ち止めである。
私はうつ伏せに寝転んだ状態で、「終わりか」と呟く。状況を頭で整理する暇もなく裏口のカギが強引にこじ開けられた。
「何!?どうなってしまうの!?」
母の動揺が激しい。
「あんた親不孝したね!」
捜査員のうちの一人が言い放つ。背のさほど高くない中年の男だ。あまり理知的な感じは受けない。
傲然とした態度だなと思った。すべてのここに至る経過を表も裏もすべて把握した上で発せられた言でないことは明白であった。随分軽薄な言を用い、また、粗雑に踏み込まれたものだ。これは逮捕という合法化された人権侵害行為の実行される殺伐とした現場である。権力執行の末端の場面はこういうものだと妙に得心した。
2018年(平成30年)4月25日午後8時頃、母と二人の夕食を終えた後ほどなくして、私は国家権力によってその身柄を拘束された。安い赤ワインの苦みがやや喉越しにまだ感ぜられていた。
(麹町警察署留置接見室)
「もうあいつは終わったと思われているだろうが、次に皆と会った時、あいつ変わってよくなったなと言われるようにしないといけないだろう」
アクリル板の向こうから、そのような弁舌が投げ掛けられる。私は確かに大きな過ちを犯した。その非を問われるのは必定である。ただ、私の心の深奥には拭い去ることのできない違和感も生じていた。
どうにも敏感に過ぎる。この言の前提には、私の為してきた事、私の人格の本質的部分に対する全面的な否定がある、いやそれはよいだろう、私は過ったのだから。それよりも何よりも気になるのは、弁護士の在り方に関する旧習の無批判な肯定の思念がそこにはあるということだ。そのように思えてならなかった。自らが招いたこと故、どうにも仕方がないことだが、私の為してきた事の価値に対する評価を最小化することが旧来型の弁護士の司法制度の改革に対する不作為を正当化することと一になっている気がしてならなかった。他が為すべき事を為さぬ故決起した私の志の発現自体をすべて、そうすべてだ、これをこの機に全部無力化していこうとするが如きの圧迫を私は感じていたのだ。
どうやらこの旧時の価値に対峙し、行くか引くか、その辺りが今後の私の人生の大きな選択の対象、岐路になって来そうなそんな気がした。