小説「獄中の元弁護士」(13) 「工場への配役」
4週間ほどの新入訓練を終えて、菅田は第47工場に配役された。この工場は、乾き物の菓子を計量し、袋詰めして、直ちに出荷できる状態にするまでの作業を行っていた。実際に工場では、段ボール詰めされた商品は直接コンビニエンスストア等の商店に配送されていた。地元の企業の下請け業務である。作業は終日、テーブルの前に立って行う。
菅田は実はもしかしたら、自分は図書係のような事務仕事をする工場に配役されるのではないかと期待していた。何せそれまでの人生で、彼は現場作業をする経験など一つもなかったのである。自分がその作業を上手くこなせるかは大いに不安なところがあった。
実際、この施設にはこれまで何人かの政治家も送られて来たが、皆、図書係に配役されたようだ。それに麹町警察署の留置で同房になっていた、前科10犯のスリのみやさんも「菅田さんなら図書係じゃないですか。」と言っていたのだった。大ベテランのお墨付きもあったのである。
「そんな作業、大丈夫なの?あなた不器用だし!」
面会に来た母親が素っ頓狂な声を上げた。菅田は自分が器用か不器用かなど久しく考えても来なかったし、考えねばならない局面に遭遇することもなかったので、突然、母親にそのように言われて少々戸惑ったのだった。しかし、改めて過去の自分に思いを致すと「なるほど、そうかもしれない」と苦笑する自分がいた。
実際、菅田は何をするにも一足飛びに結果を出すことができたという経験はなかったのだ。これは知的な問題にしても肉体を使って行う作業であっても変わらない。実際、今、工場で人より多くの成果を上げているかというとそれは残念ながら足らない。目下努力中である。
しかし一方で、菅田は一つのことに時間を掛けて取り組めば、必ずできないことはないとも思えていた。目一杯の極限的な努力を常人では諦めるくらいの圧倒的な膨大な時間を掛けて継続することで事は必ず成ると信じられる自分がいた。
これはこれまでの経験に基づく自身に対する評価でもあるわけだが、今その力を発揮できずに困惑するのは、刑事施設の決められたスケジュールの中では人より多くの圧倒的な時間を費やしていくというこれまでの手法を選択できないことであった。
刑務所で行う単純作業に何を大げさにと言うなかれ、むしろ単純作業であるからこそセンスの差が出やすいのである。
菓子類を袋詰めするにも手の感覚でグラム数を当てねばならず、且つその手の動きを早めていかねばならない。そうして数を稼ぐのだ。手に持った菓子を一回の軽量でクリアできればそれだけ早く作業が進む。それをテキパキと早めに手を動かして繰り返す。47工場の人員は40人から50人くらいで推移していたが、1日の販売価格で金400万円強の商品を生産していた。
今のところ、菅田は決められた作業時間内を通じて精一杯に気を入れて作業をすることで漸く人並の結果を得るレベルに止まっていた。
(あぁ、そうだった)
菅田は自分の不器用さを久々に思い出していた。
工場配役の初日に担当の成田刑務官に挨拶した。眼鏡を掛けた元気なお兄ちゃんといった印象だ。見える限り、警帽の下の頭髪は坊主頭に刈られていた。顔は細く小さいが体は細マッチョといった風で鍛えている様子が窺える。総じてストイックな印象を受ける人物である。
「ここは今までの地位とか関係ないからな。」
「はい。」
「何をしたかとか、いろいろ聞いてくる奴がいるだろうけど答えなくていいから。特に加藤って奴が聞いてくるから気を付けるようにな。」
「はい。」
「しっかりやれ。最初はあれだけどいずれ班長とかやって貰わないといけないんだから、いろいろ学んで作業全体をマスターしていくように意識してやってくれ。」
「はい。」
「ここはよう、本当に反省している奴なんていないんだから、周りとの関係は気を付けて自分をもってやっていってくれな。」
(本当に反省している人間はいない。そうなのか。しかし、そう言い切ってしまうのもこの立場でどうなんだろうな。)
(周囲の様子が把握できるまで自分を出さずにいよう。)
菅田はそう思った。
「はい!」
担当に向かって右手を真っ直ぐに上に挙げる。
「菅田!用件!」
「指導班、作業位置戻ります!」
担当に礼をして指定された自分の作業位置に戻った。