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「幽囚の心得」第15章                          愛国心(6)

 この点、日本の特異性は、日本国と日本文明が合致しているということにある。日本人が自らの属する日本という共同体をかたちづくる基本的な思想について意識を深めることは、自分という人間のアイデンティティを確立することとイコールである。

 日露戦争で軍功を上げた乃木希典大将は、明治天皇の崩御を受けて殉死する二日前に11歳で皇太子となられた裕仁親王(後の昭和天皇)に『中朝事実』という日本学の書を手渡した。

 『中朝事実』は江戸時代初期の儒学者・山鹿素行が著した書であり、『日本書紀』等の古書を基にして万世一系の皇統と日本の歴史を踏まえた日本精神の意義を説いたものである。21世紀の現代にあっても我々が日本精神の何たるかを知るに同書は重要なる書と位置付けられる。日本の歴史を歪曲した自虐史観を脱し、日本人が日本人としての誇りとその精神を取り戻すことが今何よりも望まれるものと言えよう。

 『中朝事実』は全十三章からなる。

 その第二章「中國章」では、我が日本こそが「中朝」と呼ぶに相応しいことを述べる。『中朝事実』における「中朝」とは、世の中心たる地位を指すと解してよかろう。「中朝」と呼ぶに相応しい理由は以下のとおりである。
 
 第一に、我が国の国土の美しさは論を俟たない。自然に恵まれ、秋瑞穂は豊穣で、天神の霊はすべてに通じ、国土の沃壌、人物の庶富、人心の教化をすべて施すことを知りたまう。
 「中朝」である我が国の国づくりの始めは、悉く神聖の霊妙はたらきに因っており、それ故に、皇統は永遠であり、天地と同じく無窮である。

 第二に、始め八つの洲を生成したのは、いわゆる土は陰の精であり、八は陰つまり偶数の極数であり八方を統治する意味を有している。
 「中朝」である我が国は、唯(ひと)り洋海の中に卓爾として高く優れて、天地の清秀を稟(う)け、四季は正確にめぐり、文明も興隆して、皇統も永久(とこしえ)に断えることなく、その名実共に相応している。

 第三に、我が国の地形は西北を背にして明朗の東南に向き、洋海が四方を廻り、僅かに西方に外国の船が寄航できるだけであり、襲来の心配はない。その形は戈の形に似て、様々の物品が備わり整っていて、尤も秀精の地(くに)である。神武天皇も、何と美しい国を見つけ得たのかと宣われたのだ。
 国中の生成化育は、天地の正位を同一にして、結局、外朝のような長城の労苦なく、異民族の防衛戦も不必要である。その上鳥獣の美、林木の材、織物の技術、金土木工の技術、共に皆、備わっていないものはない。

 第三章「皇統章」では、天照大神が孫の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に下した神勅(天壌無窮の神勅)から連綿と続いている皇室の徳を称える。皇統が一たび確立して以来、万世に亘って世襲されて変わらず、天下皆、天皇の統治の下に統一され、国中が天皇の統治の下、民は俗を異にせず(君臣の義、夫婦の別、父子親子の)三綱は永遠に衰微せず、天皇の徳化が地に堕ちることなど全く無い。これに対して、外朝支那は易姓革命を繰り返し、その上戎狄(周辺異民族)の侵入王朝も数世に及んでいる。「中朝」である我が国だけが、天神の皇統は違うことなき続き、弑逆の乱は指を屈して数えるまでもない少なさで、ましてや外国の賊が我が辺境の藩を窺うことなど、ついぞできなかった。

 第五章「神教章」で強調するのは、「中朝」である我が国は外国の経典を学ぶも、そもそも天神は生まれながらにして(学ばずして)知り給いて通暁しない所はなく、天祖の明教は至れり尽くせりであり、神聖の学源は往古から著明で、永く万世に亘ってこれに則るに足るということである。我が国は開闢以来、神聖の徳行も明教も兼備しており、外朝の漢籍など知らなかったとしても、少しも不足することはなかった。

 このように『中朝事実』は万世一系の皇統や忠節を重んずる武士道精神の意義を説く。日本人の精神性は『易経』や『中庸』の哲学に近い。そもそも孔子が説いた儒教の精神、理想国家の在り方は太古の昔から皇室を中心とした道徳国家たるかたちで我が国に既に根付いており、天皇の「徳」の実践の有り様をもってその理想国家がかたちづくられていたのである。
 理想国家たる『中華』『中朝』は中国ではなく日本である。

 

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