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「幽囚の心得」第8章                     「悪人正機説」は受刑者を救うか(1)

 「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや。」

 善人でさえ浄土往生を遂げるのだから悪人は勿論のことだとの意だ。浄土真宗の宗祖である親鸞聖人の説くいわゆる「悪人正機説」である。
 上記は唯円が師である親鸞の言葉を記録した「歎異抄」にある言葉である。
 この「歎異抄」には更に以下のとおりある。

 「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこ✓ろのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたたまふなり。弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばず、た✓゛信心を要とすとしるべし。そのゆゑ罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。しかれば本願を信ぜんには他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきゆゑに。悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆゑに、と云云」

 阿弥陀如来の誓願の不思議な計らいによって、往生を遂げるのだと信じて、念仏を申そうと思い立つ心が起こるとき、即座に、如来の、救いとって決して捨てないというご利益にあずからせていただくのだ。弥陀の本願にあっては、老人たると年少者たると、善人たると悪人たるとを問われない、ただ信心が肝要だ心得なさい。そのわけは、罪悪が深く煩悩が盛んな人たちを助けるための願である。だから本願を信じたら、他の善行は必要ではない。念仏に勝る善行はないからだ。悪をも恐れてはならない、弥陀の本願を妨げるほどの悪はないからだ、と親鸞聖人は仰せられた。

 如来に帰命する心が起こったとき、念仏を唱えることで、現世においても、その時にすぐ浄土に往生を遂げ、如来の慈悲に抱かれ安心立命する。しかも、それは善人ではなく悪人こそが正客であるというのである。善人ではなく悪人の方が救いの対象であるとする。

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