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「幽囚の心得」第20章 切腹の精神と作法(自殺論)(3) 「切腹は義と勇の徳を重んずる武士の美学にふさわしい様式美を有していた」
さて、自死・自殺を是認し得るか否かの議論は、人生の価値の統一性という観点から已むに已まれぬものか否かがその基準となる。
多くの場合、自死はその苦しみから退避せんとするものであったり、些細なきっかけで衝動的に為されるものであったりするが、そうした自死の実行は積極的意義の認められぬ、惰弱なるものとして是認しえぬものである。生きることは本来的に忍耐の伴うものだ。人生においては苦難に直面し続けるのが常態である。これに耐えられず逃避する所為は勇なきものと誹られても已むなきものである。
「死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし。僕が所見にては生死は度外に措きて唯だ言ふべきを言ふのみ」
「死は好むべきにも非ず、亦悪(にく)むべきにも非ず、道尽き心安んずる、便(すなわ)ち是れ死所」(吉田松陰「高杉晋作宛」書簡)
大事なのは何を為すべきか、如何なる役割を果たすべきかということであって、己れの死が世に貢献する場面があれば、生にしがみつくのは全くの自己矛盾であり、その志の深さもその程度であったかと嘲笑されても仕方なかろう。
人生が為すべき事、成すべき事を実践する思想を顕現する表現の統一体であるとすれば、その最終に位置する「死」もまた思想の価値に貫かれたものでなければならない。思想の価値を貫徹するということはその全過程に身命を賭して全責任を負うということである。その具体的実践の状態を生命燃焼というのだ。
思想に全責任を負う者はその実践と行動のみならず、その過程においても至った蹉跌や志の達成の為に他者を犠牲にするなどした過ちについても、その回復に生命を燃焼させて当たる。そのような全ての行動指針、行動形式が実践のものとして内含されているからこそ、思想は思想としての価値を有するのである。
何度も繰り返しているとおり、実践行動の伴わない思想は真に思想であるとは言わないのだ。
先に「責任論」において、自らの為した事の始末は自らがつける、これが責任というものの要諦である旨述べた。自らの為した事の結果として生じた負の事象に対して、その状態を解消し回復せしめるに必要なありとあらゆる方策を講じ、結果的に関係した人間皆が全ての起こった出来事を肯定的に受け取ることのできるところまで成すことがその者の責務である。もしこれが成し得ぬということが判然としたときは、潔く腹を切るべきだ。それが全責任を負うということの意味であり、思想というものの本質なのである。
武士は自ら自己の生命を絶たねばならぬとき、切腹という方法を好んで選択した。彼らにとって縊死や投身自殺などは女子供のすることで恥とさえすべき方法であった。即ち、切腹は自己の意志を最も明確なるものとして示した自殺の方法として、「義」と「勇」の徳を重んずる武士の美学にふさわしいその思想に適合する方式であったと言ってよい。世の辛苦からの逃避という惰弱なる性質のものではなく、自らの生き方の信条に合致した積極的な自己という存在の顕現の方法、それが様式美としての切腹なのである。
切腹は耐え難い痛苦が長時間続く。この最も困難な自殺方法を選択することは、己れの責任の果たし方として、疑いなき誠の心意の所在を表すものとなる。
腹部は脂肪層が厚く、男性で3~4センチメートル、女性で6~7センチメートルの深さに切らないと内臓には達し得ない。大概の切腹はこれに達していなかったと推察されるようで、その場合の出血量は200CCから300CC程度らしい。この程度の量では直ちに致命傷にはならない。
なお、腸が露出するほどに切った場合でも、それ故に直ちに死することには至らないとも言われる。
初期尊皇論の先達である高山彦九郎は、寛政5年(1793年)6月27日、憂国の余り割腹し、「疵口凡五寸程(15センチメートル余)にて、大小腸膀胱出、殊に大小腸共に破れ云々」と思い切った切り方をしているが、絶命したのは19時間後であったという。
このように切腹死を完遂する為には、かなり強靭な精神力と勇気を要し、しかもそれだけではすぐには絶命せず、それは長い時間の痛苦に耐えに耐えて漸くに本懐を遂げるという極めて過酷な所業であると言わねばならないのだ。それ故にこそ、確たる実行意志とそれを支える気力を要するものであって、そこに自ら人生を主体的に意味付け、その統一性を堅持する純一無雑な心根が証されると言うことができるのである。