小説「獄中の元弁護士」(14) 「おまえはイジメられキャラだな」
工場に配役されてすぐにプライバシーを重視する環境は与えられない。菅田は、1日の刑務作業が終わると共同室に入った。いわゆる雑居と言われる部屋で、複数人で生活することが求められる。半年から1年くらい経つと独居房(単独室)に移ることができるようだ。
指定された共同室は菅田を入れて5人。座る位置、寝る位置は指定されている。
一番席は島田という白髪の随分高齢の人で助成金を不正に受給した人。
二番席は調子がいい、元地方の金融機関に勤めていて横領した千澤という男。菅田よりやや年下だ。
三番席は何だかよく分からないが一番威張っている、もう六十近い岩川。岩川は周りの人間から金を集めて株式投資をしていたらしい。罪名としては詐欺のようだ。自分のことは「ガンちゃん」と呼べと強要している。菅田は「ガンちゃんさん」とわざと呼んでいた。
四番席は覚醒剤事犯で収監された笹川海斗という二十代の小僧。
そして、五番席が菅田ということだ。
共同室は畳の部屋で最大8人までは入ることが可能だ。4人ずつ川の字で寝て2列になる。しかし、実際に8人入ると相当狭く感じるはずだ。
菅田は成田刑務官のアドバイスどおりあまり自分を出さずにしておこうとした。しかし、それも善し悪しで菅田の意図を悟らぬ者は調子をこいて対応してくる。
岩川が言った。
「本当、おまえはイジメられキャラだな。」
菅田は共同室で生活する中で、唯一1人になれるトイレに入って便器に座っている時間によく独り言ちたものだ。
(はぁ〜、本当、下らねぇな。刑務所ゴッコが過ぎるぜ。てめぇも初犯だろ。大体俺が貴様の思い通りの全く気弱な人間だったら弁護士法人をあそこまで組織として大きくできているわけねぇだろう!?)
「布団の畳み方を教えてやるからな。おい。そういうときはお願いしますって言うんだよ。」
岩川は徹頭徹尾こういったスタンスだ。
「海斗くん。菅田にトイレ掃除の仕方を教えてやって。」
菅田は小僧にトイレ掃除の仕方をご教示願う。
「今、便器の中の方、ちゃんと拭きましたか?単独室なら自分なりでいいけど、皆と一緒なんだから丁寧にやって下さい。」
(やっている最中だろう。何か言いたくて途中で口を挟むだけじゃねぇか。やかましいぜ。)
取り敢えず、ここでのルールは新入りが何でもやらされるということのようだ。そして、ガキのような振舞いをもって上から目線でものを言われる。相当、程度が低い。
(ここは中学校かよ。)
菅田はまたトイレで独り言ちる。
「この部屋でよかったと後で思うはずだよ。他の部屋に入ったら、もっと大変だったよ。」
岩川が言う。
(どうか分からねぇな。それは)
(わざわざ刑務所の流儀に従う人間の気が知れない。どんどん真人間から離れていくだけではないか。)
菅田はそう思った。
菅田は元弁護士だ。相手と状況によって、目的のためカメレオンのように対応を変える。今はまだ周囲の人間の有り様を見定める段階で、本来の自分を出すことは極力控えるつもりでいた。それにこんな場所でポジションを確立しようとしても、意味の薄い仕方がないことである。刑事施設は本来、自分と向き合い、自分を内的に鍛えていくための場所だ。自分の優位を求めることに力を注ぎ、下らない人間関係に振り回されるほど愚かしいことはない。
菅田は貶められる自分さえも、その姿を客観視し、自身一面において楽しんでもいた。自分がこんな立場に置かれ、こんな下らない相手に下らない対応をされていることが極めて滑稽に思えていた。
毛布の毛玉がゴミとしてどうしても発生する。毎朝、箒で掃くがやはり一度に取り切れない。岩川は年の割に視力がいいらしい。毛玉のゴミを畳の上で発見すると、小机の前で座りながら黙って指を指す。そうすると菅田は急いでそれを拾いに行くのだった。わざと滑稽な動作で慌てた風で腰を屈めて拾う。
(こりゃ、コントか喜劇の類だな。)
やがて、六番席に座る新人が部屋に来た。小関洋二という身長が1メートル92センチもある男だ。立って手を伸ばすと天井に手がついた。
顔はジャイアント馬場にそっくりである。しかし、それはNGワードだ。後に誰かがそれを指摘したら「それ以上言うと俺キレますよ!」と脅かされた。どうもあまり頭の方はよくないようだ。沸点がよく分からない。大昔、学校で突然、発狂する同級生がいたが、久々にそういう性質の人間に遭遇した。それでも小関自体は「俺、頭いいですよ。」などと言っている。そう思う理由を聞くと、好きなゲーム、アイドルやバンドの微細な情報まで広汎に覚えることができるからということだった。「そうなんだね。」笑いを堪えながら、一応調子を合わせてやる。何か疲れる。こういう輩と付き合わねばならない。菅田はこれも応報としての刑罰の内容なのだと思うことにした。
(勝手にキレていろよ。)
菅田は冷めた笑いを顔に浮かべた。
しかし、こんな人間だから扱いは、子供に対するもののように気を遣いながら接することになる。あまり頭がよくないから頼み事もしづらい。やってくれたら褒めて上げる。そんな対象だ。結果、末席の新人がやるべき部屋の仕事は以前として菅田が担った。その歪な関係に小関は気が付くはずもない。菅田をフォローして周囲に褒められようとして動く。面倒な奴だ。プライドだけは高い。何故、どこで構築されたプライドかは全く分からないが。
しかし、それを押し付けられるのも辛い。
「俺、シャバでは黒い悪いカッコしてたんすよ。」
溜息が出る。
菅田の刑務所での生活はこのような具合で始まった。