小説「獄中の元弁護士」(28) 小菅、心寂しき風景
新庄は喜連川から東京拘置所へと移送されることになった。第47工場の同衆は新庄を憐れんだ。大抵こういった調べの先に移送される場合は追起訴されるケースが多いのだ。新庄もそれを覚悟し浮かぬ顔をしている。
菅田は新庄に声を掛けてやりたかったが、数週間前に彼と同室であった共同室(雑居)から単独室(独居)に転室されていたため、新庄との接触の機会を失っていた。
7月になり施設では暑さ指数が毎日公表されていた。レベル4を超えると運動の時間にグラウンドに出ることが禁止される。最近はせいぜい工場内で30分間軽い運動が許されるだけで十分に体を動かすことのできる時を奪われていた。この運動の時間は受刑者同士が自由に話を交わすことのできる時間でもある。
工場で作業をしていても1日のうちに30分は必ず運動の時間が取られる。通常はそうだが、暑さ指数が高い日は外のグラウンドでの運動は禁止され、工場内の食堂の決められた席で近くの者と会話して時間を過ごす他なかった。
このところ、暑さ指数が連日レベル5にもなる日が続いていた。菅田は新庄を黙って見送るしかなかった。彼が再び喜連川に帰って来るかは分からない。
食堂でやや離れた席に座る新庄が菅田の方に目をやった。菅田は元気づけるように力強く頷いて見せたのだった。
下田は最近、地方出張が増えていた。長い移動は日頃の時間に追われた中では叶わない考えの整理のために役立った。また、何よりもその降り立った街の名物を食すのか楽しみでもあった。福井には4度ほど足を運んだ。しかし、その出張の楽しみも一旦は終了である。
今日は下田は葛飾区小菅にある東京拘置所に向かっていた。北千住で東武伊勢崎線の各駅停車に乗り換え、一つ目が小菅駅だ。ホームが高い位置にあるため、降り立つと無気質な拘置所の建物が尊大な姿で屹立しているのがよく見える。
駅周辺は首都高速と川に囲まれ閑散とした風景が広がる。反社会勢力の人間しか入らないのではと思われる古びた喫茶店や肉体労働者の行き付けだろう中華料理店、さほど商品が並んでいないパン屋など数件の店舗が営業しているだけだ。
駅を降りても高い壁沿いをぐるっと廻らないと入口には着かない。それだけで大分疲れる。拘置所は長らく工事をしていたがその間はもっとひどかった。何故か高架になっており階段の昇り降りをしなければ建物に行き着かない構造になっていた。下田は昇り降りする度にこれは被疑者との接見の前に弁護人の体力を消耗させようという国家の策略ではないかと疑った。
どういった経緯でそうした独占状態が作れたものかと首を傾げたくなる、受刑者の為の差入れ屋池田屋の前まで来ると漸く拘置所の門に辿り着く。下田は工事が終わり高架の階段の昇り降りをせずに済むことに安堵を感じながら建物の入口に近づいた。
こんなに巨大な建物の割りには弁護士控室には先客は一組だけだった。この部屋が混み合っているのを見たことがない。それほど待たさず接見室に案内されるということもあるかもしれないが、一般面会に訪れる人数に比して、弁護士の面会が少ないのは相対的にそうなのだと思う。意外と弁護士は接見にいかないのだろう。
下田が受け取った面会番号がモニター画面に映し出され、スピーカーから番号が呼ぶ声が聞こえた。下田は弁護士控室を出て長い廊下を通ってエレベーターに乗った。指定の階に着いて受付で番号の記載された紙を渡して接見室に入った。
アクリル板の向こう側にやや太ったかに見える北山の顔が見えた。下田が入ると頭を下げて「先生、すみません。宜しくお願いいたします。」と言う。
「少し太ったかい?」
下田が声を掛ける。
「菓子ばかり食っているからかもしれません。」
こんなところに入って必要以上に菓子を食うという、そのこと自体が下田は気に入らなかったが、未決囚にありがちのことではあった。
「さて、君の未来の話をしようか。」
下田は北山に向き合った。これからこいつの人生の話をする。