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「幽囚の心得」               第5章 「非日常性」に身を置く(3)

 なお、世人は「日常性」を「常識」と近接した概念と捉える傾向があるがそれはやや正確性に欠ける。「常識」とは、健全な一般人が共通に持っている、または持つべきである、普通の知識や思慮分別をいうが、「日常性」は基本的には、結果としての連綿たる時間の経過を表すものであり、本来、価値的なものを含まない。

 これまでの議論で用いてきた「日常性」の概念は、その時代時代、その時点時点の風潮を表すものであり、それは意図の明確性は要求されないものの、人間がこうあらんと作為して創出した結果の状況及び環境の総体をいう。従前の「日常性」、新たなる「日常性」と表現されるのはそれ故である。
 しかし、世人のように「日常性」を「常識」と近接した概念と捉えると、それはより硬直化したものと性質付けられ、因習と結び付けられた概念に変質してしまう。同時に「常識」という概念もこれに引き摺られて旧套に安んずることを是とする因循姑息、頑迷固陋な徒輩の振舞いを正当化するために利用される如何わしいものに変容してしまう。
 「常識」なる概念も合理と慣習的価値によって成り立つものであって、金科玉条のものではない。これが「常識」と「日常性」の概念を接近して捉えることになると、全く柔軟性を失うことになるのだ。「日常性」の概念はこのように「常識」という概念から切り離された創造の対象として観念しなければならないというべきである。

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