シンエヴァンゲリオン私的感想
シンエヴァンゲリオンの超個人的感想です。
最近大きな病気をして手術やら2ヶ月近く寝たきりで、病院の帰りにようやく見れた映画がこのシンエヴァンゲリオンでした。
シリーズを通して見ても最高傑作で素晴らしい映画でしたし、自分の状況も踏まえて積もる想いがあって、吐き出さずにはいられなかったので、本当に私的な感想ですが、この場を借りて語らせてもらいたいです。
◆公式予告編から
・宇多田ヒカル版
・ミサトさんVer
◆ネタバレ無しの感想
・ケンケンがカジさん並みにイケメン
・シンジ君が一番大人
・”黒綾波“が尊い
・”式波“が至高でした
・マリさん無双で最強では
・ミサトさんカッコよ
とても優しい物語でした。TV版や旧劇場版、Airの続編でもあり、しっかりとオチがつけられていて、全ての庵野作品にケリがついていました。
広げた風呂敷を丁寧に畳み切った。そんな素晴らしい映画でした。どこぞの宇宙戦争映画のエピソード9とは大違い、120点満点の最高傑作でした。
一番好きなシーンはシンジと黒綾波のくだり。脳内で主題歌のBeautiful world流れてました。
綾波のおかげで強くなれる理由を知りました。
以下ネタバレ含む感想です。
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◆第三村が素晴らしい
第三村は、ニアサードインパクトの後に生き残った人々による疎開集落です。
未来技術と、寂れた農村と、異世界が混ざっててすごい新しいディストピア観を与えてくれました。
東序と破の間に起こった日本大震災で、エヴァンゲリオンは一時制作を中断してシンゴジラが生まれました。
東日本大震災とエヴァンゲリオンは切っても切り離せない関係にあると思います。
災害自体はシンゴジラで描いたと思うので、シンエヴァンゲリオンでは復興後の世界をうまく表現してくれたと思います。
そして和風ディストピアなあの世界観は、独創的で美しく、鮮烈な描写でした。
◆綾波に感情移入
一番好きなシーンはシンジと黒綾波のくだりです。
ネルフを離れ、ヴィレの第三村で生活をする黒綾波ですが、メンテナンス無しでは生きられない身体のため、自分と他者とを隔てることができなくなりLCLとなって死んでしまいます。
はじめは“綾波のそっくりさん”と呼ばれていた黒綾波ですが。
死期を悟った黒綾波は最後に好意を寄せているシンジの元を訪れて、名前をつけてもらって、シンジ君の前でLCLになって死ぬわけです。
最初にこのシーンを迎えた時はショックで悲しかったのですが、
物語の後半で序とシンの主題歌の宇多田ヒカルの【Beautiful world】流れて全てが救われました。
『もしも願いひとつだけ叶うなら、君の側で眠らせて』
これが黒綾波の本心の様に思えました。
綾波シリーズは、Qの最後ニアサードインパクトと、シンの第三村で劇場版を通して2人死ぬわけですが、
2回ともシンジ君の側で死ぬことができるわけで、道具として生み出された彼女に取っては非常に幸福なことだったのかもしれないと思いました。
アスカとの会話の中で、綾波シリーズはシンジに対して好意を抱く様に設計されていることを知った上で、シンジを好きになって良かったと言及があり、これもまた美しい描写でした。
私も最近大きな病気を経験して、死を覚悟する瞬間もあったのですが、好きな人に認められて、側で死ねたら最高だと言う気持ちは深く理解できます。
私は若い頃に自衛官として訓練を受けましたが、自衛官は国民の純粋な武力=意志を持たない道具であることを徹底的に叩き込まれるんですよね
そういう意味で、兵士であり儀式の道具である綾波と、自分の存在や死生観、恋愛観がシンクロして感情移入してしまいました。
劇場版に出てきた2人の綾波は、一件不幸に見えるけど、本当に幸せだったのだと思います。
◆シンジ君悟りの境地へ
私はよく妹にシンジ君(のメンタリティ)だと言われているので、今回のシンジ君の成長には一番刺激を受けました。
シリーズ通してずっとうだうだしていたシンジ君ですが、シンで大きく成長し、作中の人物の中で一番大人な振る舞いをするんです。これが大きな衝撃でした。
プロフェッショナルで特集されていましたが、庵野監督自信の挫折と克服の体験が背景にあるので、非常に説得力がありました。
破ではアスカ助けられず、綾波も失い、ニアサードインパクトで世界を崩壊させてしまい、
急では周囲から責められ、唯一味方してくれたカヲル君を目の前で失って完全に鬱状態で一度は廃人になってしまうシンジ君ですが、
この時、同時に庵野監督もQで全てを出し切って、過去作を越えられない想いから鬱状態になってしまったみたいです。
でも、第三村(疎開)で昔の友人に優しくされて、アスカにも諭されて、黒綾波にも好きだと言ってもらえて、徐々に吹っ切れていくんです。
周囲との触れ合いで鬱の状態から抜ける体験と、その後一人一人と向き合って決着をつけて行くシンジ君の姿に心を打たれました。
エヴァの物語は他人と自分の在り方の違いを受け入れられるかという、他者との接し方や境界の話だと思っています。
黒綾波が目の前で死んだ時に
「泣いたってしょうがない、涙で救えるのは自分だけだよ」
というシンジ君がアスカに言うのですが、
自分の問題や境遇を他人のせいにしていたシンジ君が、
他者に受け入れられることでようやく自分を受け入れて、他人ときちんと向き合える様になったんだと思います。
今までは自分の殻に閉じ籠るという意味でのATフィールドだったわけですが、
自分を自分として認識できた時、初めて他者と自分の境界がハッキリとして、他者と向き合える様になることが、本当のATフィールド=他者と自分を分ける境界なんだと思います。
私も、親が死んだり、失恋したり、仕事でついていなかったり、色々と不幸な境遇が多いと自分で思っているのですが、不遇をいつまでも人や運命のせいにしていじけていないで、
誰のせいでもなく、ただこれが自分であり、この自分で世界と向き合っていかなければならないのだと思いました。
◆式波・アスカの件
ケンケンとアスカが結ばれるという話は事前にネタバレ情報で知っていて
映画を見る前はケンケン?あんたバカァ?と思っていたのですが…
映画を見ていてケンケンは非常に良い男だと思いました。納得のアスカ√です。
僕は、恋愛がテーマの作品で、主人公に振られた負けヒロインが不幸になるのは違うかなと思うので、きっちりアスカも救われてくれて嬉しかったです。
ニアサードインパクトの後をシンジの旧友達が生き残れたのはケンケンのサバイバルスキルおかげでしょう。
ニアサーを乗り越えてかつてのシンジの同級生は立派な大人になった。
そして、アスカも彼らと同じ時を生きて大人になった。
劇中で、アスカがシンジを好きだったと伝え、シンジもアスカに好きだったと伝えるシーンがありますが、
別の時を生きて、別の人生を歩み始めるのに必要な「初恋は報われない」という通過儀礼だったのだと思います。
シンエヴァの結末では、シンジはマリと、アスカはケンケンと生きていくことになります。
同じ道を歩んだ者が、過去を認め合って、別の道を進むことを決める
とても美しい初恋、失恋への決着だと思いました。
私もこの気持ちはとても分かります。
初恋と失恋というのは、少年にとってそれほどまでにでかいもので、
人生の歩みを止めてしまう原因にもなるし、大きく踏み出していける勇気にもなるものです。
式波・アスカの人生についても丁寧に描かれていて非常に良かったです。
孤独を妬んだ幼少期、エヴァだけがアイデンティティだった少女時代、ケンケンと共に歩んだニアサー後の世界復興で居場所を見つけたわけです。
シンジとアスカが結ばれなかったことは切ないけど、これで良かったのだと思えました。
初恋ってのはなかなか割り切れるものでもないし、おそらく死ぬ瞬間まで鮮烈に思い出すものだと思うのですが、
いつまでもウジウジしてたら何にもならないと思いました。
カッコいい人生を送らないと。
シンエヴァは前に進む勇気をくれますよね。本当に素晴らしい。
◆プロフェッショナル庵野秀明スペシャル
迷走に次ぐ迷走、答えのない創作の迷宮でした。
世界最高峰の映画ですら、迷いと試行錯誤の連続で作られていることに勇気をもらいました。
自分にできることが、他者と繋がる手段が創作しかないから、自分には創作しかなくて、大勢が見て残るものを作れれば、作品ができれば死んでも構わない。っての完全に100%同感でした。
これが自分の全て。だから命懸けで全力で取り組む。僕もそうやって来たはずなのに、いつの間にかお金とか欲と、そんな俗人的なことで支配されていました。
また純粋な創作と向き合う日々に戻りたいと感じました。それが生きている証明なので。
◆マリエンドという結末の意味
マリは、エヴァのメインキャラのなかで唯一庵野監督が提案したキャラではなく
作中唯一、心理描写がないキャラですよね。
飄々としていて、常に明るく、ピンチを楽しむタイプ。そしてシンジを常に見守っている存在。
マリは、庵野監督の内面世界を描いたエヴァにおいて、唯一の他人を象徴しているのだと思います。
シンジ君がマリと生きていく=内向的だった若者が成長して、他者と向き合い生きていく
というエヴァシリーズの結末に相応しいエンディングだったと思います。
自分の世界に閉じこもっって他者を跳ね返す境界を作るのではなく、
自分を確立し、他人と向き合い生きていくこと
シンエヴァンゲリオンはまさしく、エヴァの最後に相応しい映画だったと思います。
何か生きるってことに挑戦してみたくなる映画でした。
何度でも見返そうと思います。
私もいつまでもウジウジせずに頑張るぞ!!
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