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テーブルのコンセプトを小説風にした件


僕は一般的な「家族」に多分ずっと憧れてて、今は多分一般的な家族のパパだと思う。
そんな事もあり家族とダイニングテーブルとの関係性を大事にしたブランドで在りたくて、メインユーザーの目線でブランドの価値観やコンセプトが伝わるようにちょっとした小説風にしてまとめてみました。
Excelとかフレームワークから始まる新規事業立案へのカウンターカルチャーとして文章から出発してみようと思います。

【はじまり:新居への引っ越しと一枚板との出会い】

私は、今年で32歳になる平凡な主婦です。名前は「香織(かおり)」といいます。ごく普通の会社員の夫・大輝(だいき)と、もうすぐ2歳になる息子の颯太(そうた)を連れて、新しい家へ引っ越すことになりました。ちょうど私のお腹の中には、第二子となる赤ちゃんがいます。性別はまだわかりませんが、どんな子に育つのかなと今からワクワクしているところです。

実はこの新居、夫婦共働きでコツコツと貯めてきたお金を元手に、中古の一戸建てをリノベーションする形で手に入れたものです。駅から少し遠いけれど、緑が多く、閑静な住宅街の角地にある家。まだまだ手入れが必要なところはありますが、ふと目をやると庭には季節の花が咲いていて、古いけれど温かみのある雰囲気が私たちの心を惹きつけました。

「ここで新しい家族の物語を始めるのも悪くないね」
夫とそう話し合い、家探しの末にたどり着いた場所。やっとの思いで購入したこの家を、私たちは「宝物を見つけたような」気持ちで少しずつ手直ししながら暮らしています。家は少しレトロだけど、リフォームしてできあがった明るいリビングには、朝日が柔らかく差し込んでくる。縁側からは、四季折々の空気を感じ取ることができる。そんな穏やかな雰囲気の新居に似合う家具を探すのが、私たち夫婦の小さな楽しみになりました。

引っ越しのバタバタも落ち着き始め、ある週末、家族みんなでインテリアショップを巡っているときです。ひときわ存在感を放つ、大きな無垢の一枚板のテーブルが目に飛び込んできました。私は普段、そこまで「家具」にこだわりがあるわけではありません。どちらかというと生活動線を重視するタイプでした。だけど、そのテーブルの重厚感と存在感、一目で「本物だ」と感じるオーラに、不思議と心が惹きつけられたのです。

「ねぇ、大輝……あのテーブル、なんだかすごい雰囲気があるね」
私がそう言うと、夫も頷きながらテーブルを撫でてみました。指先に伝わる木の温もりは、合板やビニールシートで覆われた家具とはまったく違う、生命力を感じさせるものでした。颯太も興味深そうに、テーブルの脚を触っては「これ、なぁに?」と目をキラキラさせている。なんとなく、それが可愛らしくて、そしてほほ笑ましくて、私は「家族三人+お腹の子で、このテーブルを囲む未来」を想像してみたのです。

店員さんからは「このテーブルは樹齢100年以上のケヤキです」「木目が一本一本違うのが一枚板の特徴で、世界に同じものは一つとしてありません」といった説明を受けました。価格はやはり高価で、思わず息を呑むような額でした。でも、夫と目を合わせると、ふたりともそれが「夢のある買い物」だと、言葉なくとも察したのです。もともと長く使える本物志向の家具を探していたこともあり、私たちは大きな決断をしました。

「これから一生、大切に使っていこうね」
そう誓い合いながら、私たちは無垢の一枚板テーブルを家に迎えることを決めたのです。

【息子との日常:木の温もりに触れる朝と夜】

無垢の一枚板テーブルがリビングに届いたのは、引っ越してからちょうど1か月ほど経った、まだ春の冷たい風が残る頃でした。大きなダンボールに頑丈に梱包されたそのテーブルを、配送員さんが慎重に運び入れてくれる様子を、颯太は不思議そうに眺めていたのを覚えています。梱包が解かれると、木目のはっきりとしたケヤキの面が姿を現し、部屋いっぱいにすでに木の香りが広がっているような気がしました。

「わあ……やっぱりすごい迫力」
夫と私は興奮気味にテーブルを囲み、まるで神聖な儀式か何かのようにその表面を撫でました。何度触れても、その温もりと木目の美しさにドキッとする。一方の颯太はまだ小さいので、「大きいねぇ、すごいねぇ」と言わんばかりに目を丸くしているだけ。でも、その様子がますます可愛くて、これからこの子が大きくなるまで、ずっとこのテーブルを使うんだな……そう思うと、嬉しさと不思議な感慨が胸に込み上げてきたのです。

翌朝、初めてこのテーブルで朝食をとりました。私の作ったサンドイッチを並べ、ミルクを入れたコップを置き、まだ幼い息子のための小さな椅子を添える。するとどうでしょう、今まで使っていた合板のテーブルとはまるで違う「特別感」が漂うんです。夫がどこか照れくさそうに「なんかさ、すごく贅沢だよね」と笑いました。私も同じ気持ちでした。普通のパンと目玉焼きなのに、テーブルの存在感と木の柔らかな色合いが、食卓全体を一気に華やかに、でもどこか落ち着いた空間に変えてくれるのです。

まだ言葉も片言な颯太は、時々テーブルの天板を手のひらでペタペタと触っては、じっと見つめています。「木」っていうものが、彼にとってどう映っているのだろう。自然のものだと感じているのか、ただの遊び場だと思っているのか……。
そんな小さな疑問もまた、新しい発見のきっかけになりました。私は、無垢材の持つ「五感に訴える力」を改めて実感します。大人であっても、視覚的な美しさに加えて、手触りや木の香りにほっとする瞬間がある。ましてや子どもにとっては、木の表情や質感が「興味や好奇心を掻き立てる大きな要素」になるのだと思ったのです。

【子育ての日々:嬉しいこと、悲しいこと、すべてを刻む】

新居に移って数か月後、私のお腹も少しずつ大きくなり始めました。産婦人科の先生からは「赤ちゃんは順調ですよ」と言われ、ほっと安心した気持ちで家事や仕事を続けています。夫も育児に協力的ですし、颯太はまだ手がかかるけれど、笑顔を見ると疲れも吹き飛ぶような不思議な力を持っています。

私がキッチンでお昼を作っているとき、颯太はいつもリビングにあるこの一枚板テーブルにクレヨンを持ってきて、ガリガリと落書きをしようとします。もちろん、テーブルが傷つかないように、普段はシートやマットを敷いているのですが、子どもは好奇心のかたまり。私が目を離した隙に、あっという間にテーブルの端にクレヨンの跡をつけてしまったことがありました。

最初は「ちょっと、何してるの!」と少し声を荒らげてしまった私ですが、ふとそのクレヨンの線をよく見ると、まるで颯太なりにテーブルの木目を感じ取ろうとしているかのような、不思議な曲線が描かれていました。無垢の一枚板テーブルは、多少の傷や汚れも「その家族だけの味」として刻まれていくと聞いていましたが、正直、「少しくらいの傷なら味わいになる」と言っても、いざ自分の目で見るとやはりショックを受けることもあります。でも、後から考えればそれも大切な思い出。子どもが小さいうちは、すべてが経験。傷ひとつひとつが、家族の歴史を作る証となるのだと、自分に言い聞かせるようになりました。

そのうち、颯太がお絵かきをするときには、私のほうが率先して「専用のシート」を用意したり、テーブルに貼る「保護シール」を使ったりと、先回りして対策をするようになります。おかげで大きな落書き被害(?)は減りましたが、それでも時々は小さなへこみが増えていく。木の色も、最初に比べて少し深みが増した気がします。そうやって少しずつ「育っていく」一枚板テーブルを見ていると、私自身も母として、妻として、女性として成長していかなきゃな……と思うのです。

【第二子の誕生と、家族の新しい節目】

やがて臨月が近づき、私は産休に入りました。大きなお腹を支えながら、まだ幼い颯太の世話をするのは思った以上に大変です。夫はなるべく早く帰ろうと努力してくれるし、両親や義両親も手伝いに来てくれる時もあります。それでも、夜中にお腹が張って苦しくなったり、急に不安になることもある。そんなとき、私はよくリビングのこの一枚板テーブルに腰掛けて、ひとり静かに夜を過ごしたりしました。

真夜中、家族が寝静まった後のリビングはしんと静まりかえり、テーブルの上には小さなスタンドライトの灯りだけがやわらかく広がっています。無垢の木の表面に照らされるその光と影のコントラストを眺めていると、気持ちが不思議と落ち着いてきます。私にとって一枚板テーブルは、家族が集う場であると同時に、自分が心を落ち着ける「癒しの空間」でもあるのかもしれません。木のぬくもりというのは、なぜか人の心を穏やかにしてくれる力を持っているように思うのです。

そして、予定日を迎える少し前。私は長男のときよりも軽い陣痛で病院へ向かい、そこで無事に女の子を出産しました。新しく生まれた娘に「真奈(まな)」と名付けると決まったのは、実は出産直後。夫と「可愛い響きだし、優しい子に育ってくれそう」という理由で、夜通し話し合った末のことでした。

退院後、家族四人が新居に揃った最初の夜。私はリビングで、赤ちゃんを抱っこしながら、ふと泣きそうになる自分に気がつきました。嬉しいのです。無事に生まれてきてくれたこと、こうして家族みんなが同じ空間を共有していること、そしてこの場所を舞台に、これから先どんな思い出が作られていくのだろう……と想像するだけで、胸がいっぱいになるのです。

「真奈、ようこそ我が家へ。あなたが大きくなったら、ここでいろんな話をしようね」
そう語りかけながら、私は赤ちゃんの柔らかな髪を撫で、そっと一枚板のテーブルの表面にも手を触れてみました。私たちが選んだこのテーブルは、今までは三人家族の思い出を刻んできた。
でも、これからは四人、そしていつかは五人、六人になるかもしれない。時が経ち、子どもたちが成長していくうちに、家族の形が変わっていくかもしれない。それでも、このテーブルが家の中心にあって、私たちを温かく見守り続けてくれるのだと思うと、不安や疲れもふっと消えて、穏やかな気持ちがあふれてきました。

【成長する子どもたち:毎日が特別なイベント】

日々はあっという間に過ぎていきます。颯太も真奈も、どんどん大きくなり、それぞれが驚くほどのスピードで成長していく。最初のうちは、赤ちゃんを抱えながらの育児に慣れず、私はしょっちゅう寝不足でイライラしていました。そんなときでも、食卓を囲んでご飯を食べるときだけは、家族が自然と会話をするので、気持ちがほぐれていくのを感じます。

「今日、幼稚園でこんなことあったんだよ!」
「ママ、真奈はまだしゃべれないけど、ぼくが面倒みてあげるね!」
颯太がそんなことを言うと、夫は笑いながら「頼りにしてるぞ、兄ちゃん」と颯太の頭を撫でる。私は思わず「成長したなぁ」と、嬉しくて胸がいっぱいになるのです。

無垢の一枚板テーブルの上には、時にはおもちゃや絵本が散乱します。朝ごはんを慌ただしく食べた後、そのままになっている食器やコップが雑然としたままになってしまうこともある。夕方、子どもたちが寝てしまったあとの深夜、私がその食器を片付けようとする頃には、もうクタクタで、ついテーブルに突っ伏して眠りそうになることも珍しくありません。でも、木の手触りが頭皮に心地よくて、「ああ、また明日もがんばろう」と思えるのです。

時間が経ち、颯太が小学校に入学したころには、真奈ももう言葉をしっかり話せるようになりました。2歳違いの兄妹は、喜びもケンカも絶えません。
しょっちゅうテーブルの下で取っ組み合いをしては、私に「危ないからやめなさい!」と怒鳴られる。それでも、家族みんながそろってご飯を食べるときには、どこか楽しそうに笑い合っている。誕生日会やクリスマスには、真奈が画用紙で作った飾りをテーブルの端に貼り付け、颯太が風船を持って走り回る。そのたびにテーブルは傷だらけ、シールまみれ。でも、その不完全さが今となっては、かけがえのない「家族の痕跡」なのだと感じます。

【嬉しさと切なさ:大切な人たちと迎えるイベント】

家族が増えたり、子どもたちが大きくなるだけが人生の変化ではありません。時には、悲しいことや辛いことも起きます。夫の両親が体調を崩して入院したと聞いたときは、不安で心が締め付けられました。病院から戻ってきた夫は、言葉少なに一枚板のテーブルに肘をつき、ため息をついていました。私もどう声をかけていいのか分からず、ただ隣に座ってコーヒーを差し出す。
すると夫は少し笑って、「ありがとう……ちょっと落ち着く」と呟き、コーヒーを飲みながらテーブルを撫でていました。
祖父母が遊びに来てくれるときも、テーブルは大活躍します。とくにお正月には、家族みんなが集まって、おせち料理を並べたり、雑煮を作ったり、子どもたちが新年の挨拶をしたり。
そのときの楽しげな笑い声や、賑やかな食器の音が、木目に深く染み込んでいくようです。祖母がよく言うのです。「このテーブル、温かいねぇ。
ずっとみんなで大事に使いなさいよ。きっと、このテーブルにはいろんな思い出が刻まれるわよ」。その言葉の通り、少しずつテーブルの表面には小さな傷や色の変化が目立ち始めました。だけど私には、それが「家族の歴史そのもの」に見えるのです。

【子どもたちの自立:巣立ちの予感と新たな物語】

月日が流れ、いつの間にか颯太は中学生になり、真奈も小学校の高学年になりました。思えば、二人ともあっという間に大きくなってしまったな、と感慨深い気持ちになります。以前のように子どもたちがリビングで走り回ることは少なくなり、むしろ自分の部屋で過ごす時間が増えてきた。ちょっと寂しい反面、それが「成長の証」だとも感じています。

それでも、家族全員が顔を合わせる時間は、やっぱり夕食のとき。勉強や部活、習い事でそれぞれ忙しくなっても、できるだけ夕食は一緒に食べようというのが我が家の暗黙のルールです。一枚板のテーブルは相変わらずリビングの中心に鎮座し、時を重ねた風合いがますます深みを増している。
子どもたちが小さい頃の落書きや傷はそのまま残っていて、それを見るたびに「そういえば、あの頃はこんな失敗もあったね」と笑い合える。そんな小さな会話が、家族の大きな財産になっているのです。

季節の行事は相変わらず、ここで楽しみます。クリスマスには大きなケーキを囲み、誕生日には子どもたちがサプライズで夫や私を祝ってくれることもあります。子どもが幼い頃には夫婦で用意していたパーティーも、今では子どもたちのほうがアイディア豊富で、「今年はこんな演出をしてみようよ!」と提案してくれる。私たち夫婦は少し手伝うだけで、あとは若い力に任せることもしばしばです。そうして家族みんなが笑い合う時間を、一枚板のテーブルは昔と変わらず、優しく支えてくれているように思えます。

【母としての想い:私の大切な時間と空間】

私自身も、気づけばもうすぐ40歳。日々忙しさに追われる中で、一人の時間を楽しむ余裕が少しだけ増えました。早朝に目が覚めると、誰もいないリビングで、温かいお茶を淹れて静かに飲むことがあります。無垢の一枚板テーブルに肘をついて、外から差し込む柔らかな朝日を眺めながら、この家での暮らしを振り返るのです。

私は、なぜこのテーブルを選んだのだろう?
高価だったし、お手入れも大変だし、子どもたちが小さい頃は傷つけないかとハラハラした。でも、結局は「このテーブルが家族みんなの思い出を育むための大切なステージ」になった。今では、テーブルの中に私たちの歴史や物語がまるで年輪のように刻まれていると感じるのです。

無垢の一枚板は、その木が何十年、何百年と生きた証。大地に根を下ろし、雨風を受け、太陽を浴びて育った命。その命が今、私たちの家庭を照らす存在になっている。ふとそんなことを考えると、とても神秘的で、大切に扱わなきゃと思えるのです。そして同時に、私たちもこのテーブルと同じように、環境や周囲の人々の支えによって人生を育ててもらっているのだと思います。

【節目のイベント:子どもの卒業式と家族の集い】

颯太が中学を卒業する春、私たちはこの一枚板のテーブルを囲んで、小さな「卒業おめでとう会」を開きました。とはいえ、特別な料理を作ったわけでもなく、外食に行くわけでもなく、ただ家族四人でいつものように食卓を囲むだけ。でも、その「いつもの食卓」が、私にとっては何よりの幸せだったのです。
颯太は小さいころ、テーブルの角でおでこをぶつけて大泣きしたことがありました。真奈と取り合いのケンカをして涙をこぼしたこともある。だけど今は、そんな彼が背筋を伸ばして、「これから高校でがんばるよ」と笑顔で宣言している。その姿が誇らしくて、私の目には涙が滲んできました。

「大きくなったなぁ……」としみじみつぶやくと、夫も「ほんと、あっという間だ」と、二人で笑いあう。真奈は「お兄ちゃん、おめでとう!」と手作りのカードを渡しながら、そっとテーブルを撫でました。彼女にとっても、このテーブルは「家族の思い出の象徴」なのかもしれません。子どもたちなりに、この木の存在が家族の中で大事な意味を持っていると感じているのだと思うと、母としては嬉しい限りです。

【これから先の未来:ずっと変わらない「居場所」】

月日はさらに流れ、子どもたちがそれぞれの道を歩み出す頃、私たち夫婦も人生の新しいステージを迎えることになります。夫は転勤があり、遠方へ引っ越す話が出てくるかもしれない。子どもたちも大学や就職で家を離れるかもしれない。だけど、この家と一枚板のテーブルは、ずっとここにあり続けるのだと思うのです。

遠くに行ったとしても、家族が集まれる場所があるって、なんて素敵なことなんだろう。子どもたちが大人になったとき、恋人や配偶者を連れて帰省し、このテーブルを見て「懐かしいなぁ」と微笑んでくれたら、そんな幸せなことはありません。ここで食事をして、ここで笑い、ここで悩みを打ち明ける。家族にとっての「帰る場所」が、この無垢の一枚板テーブルを中心に広がっているように感じます。

やがて、孫ができたら、今度はその孫がテーブルの下をくぐり抜けたり、落書きをしようとしたりするかもしれない。私はもう、おばあちゃんになるのかな……なんて想像すると、やっぱり嬉しくて笑ってしまう。もちろん、人生には辛いことや大変なことも待ち受けているだろうけど、「帰る場所」があるからこそ、頑張れるんじゃないかなと思います。

【エピローグ:私と一枚板が紡ぐ物語】

木目の模様には、もう数えきれないほどの傷や汚れが重なっています。一部は塗装が薄くなり、少し白っぽくなってきたところもある。それでも、まるでその「痕跡」こそが私たちの家族の歩みを物語る勲章のように思えてくる。子どもたちが巣立ったあと、夫婦ふたりになっても、私はこのテーブルの前に座り、静かにお茶を飲みながら「そういえば、あのときこんなことがあったね」と思い出すのでしょう。

私の周りにも「一枚板なんて手入れが大変じゃない?」とか「傷がつくと嫌だな……」と躊躇する友人はたくさんいます。でも、その傷や汚れは、生活していれば必ず増えていくもの。むしろ、それこそが家族の証しであり、一枚板はそれをまるごと受け入れて、さらに味わい深い表情へと変化してくれるのです。消してしまいたくなるような悲しい出来事も、笑い飛ばせるほどの楽しい思い出も、すべてを木目が優しく包み込んでくれるような……そんな気がするのです。

これから先、子どもたちはますます成長し、親の手を離れ、それぞれの道を歩んでいくでしょう。もしかすると、私たち夫婦が年老いて、子どもたちに世話をしてもらう立場になるときも来るかもしれません。それでもきっと、一枚板のテーブルはずっと我が家にあり続けて、家族を見守ってくれると思います。孫やひ孫がこの家を訪れたとき、「このテーブル、すごいね、なんだか温かい!」と驚いてくれる未来を、私はこっそり夢見ているのです。

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