【エッセイ】ネットアングラ体験記 in 2000
遠い昔。この国の遥か果ての大きな都市、札幌の地で。
学生の頃、高価だったグラフィックソフトなどのソフトウェアがネットで拾えてなおかつそのシリアルナンバーも手に入れられた。アングラだったのだろう。中には、使ってみるとちょっと不具合のあるソフトもあった。今思うと、提供側がなにかをいじっていたのかな、と思う。2000年前後の時代だ。
僕のアングラ体験。きっかけはこうだった。当時僕が夢中だったアイドル・Mを、同様に好きな人とネットで知り合い、その人がそのアイドル・Mのファンサイトをこれから作るにあたって、そのアイドル・Mが出演しているCM曲を僕が耳コピーして作ったMIDIファイルを使いたい、という話があった。いつもWEBやIRCソフトでチャットしていた仲間のひとりだった。
そのうち、その人からいわゆる割れ物ソフトがたくさん収録されたCDが送られてくる。なんでも使っていいから、と。でも、そのなかでもこのグラフィックソフトを使って自画像的キャラクターを作って欲しい、とのことだった。その人が作るサイトのひとつの部屋を僕に割り当てるとのことだった。
僕はそのソフトで怪物みたいなキャラクターを描き、その人が当時としてはかなり画期的なフラッシュオンリーのサイトでアニメーションにして使った。もちろんそのページでは、僕が作成したMIDIファイルが流れている。
そのサイトは完成することなく、記憶はおぼろげだけど一般公開されなかったかもしれない。当時のパソコンの性能ではフリーズしてしまうようなサイトだった。その人はもともとふらっとチャットスペースをたまに訪れる人だった。今思うとアングラの危険な人物だったのかなと思う。自称中華屋だった(ラーメン屋だったかな?)。
その人から送られてきたCDには、当時としては先端だったMP3形式の音楽ファイルも多数入っていた。B’zがやたら多くて、「B’z好きでしょ?」なんて言われて、僕は好きでも嫌いでもないような感じだったのだけど、「好き」と答えた。
当時の学生たち、Win98が普及してパソコンやインターネットはマストだ、と迫られた世代だけど、そういった割れ物ソフトを無条件に使ってしまいがちで、すごく危険だったな、と今は思う。なかには、雑誌付録の辞書CDの、検索が3回までなんてものをバイナリエディタで制限解除してしまう人もいた(のちに東大生になった)。
そういう時代と空気の中、ナップスターなんかが出てきた。ふつうの感覚ででてきたんですよ、ああいうものは。僕はMP3エンコードソフトは使ったけど、不特定多数とやりとりしたり提供したりはしなかったなあ。自分がDTMで作った曲をMP3にしてたほうだ。
……昔話でございました。