イヤなのか、イヤじゃないのか
見たり関わったりしたら腹立つとか、イヤな気持ちになるってわかってて飛び込んでしまう、あの現象って不思議だ。
ニュースサイトを見てて「どうせ見たら胸クソ案件なんだろうな~」と思っても、見出しにつられて見てしまったり
「あの人の仕事手助けすると、倍になって渡されるし責任押し付けられるんだよな~」ってわかってるのに「手伝えることありますか?」って聞いちゃったり
結果、「見なきゃ良かった!」「やらなきゃ良かった!」ってなるのもわかっていて、実際そうなるのにやってしまうあのやつ。
あの現象に名前ってついているのだろうか?ついていないなら誰かつけてほしい。
ーーー
友達で、私のことをすぐメンヘラと呼ぶ奴がいる。
昔、友達ばかりをフォローしていたTwitterをやっていたとき、その子もフォロワーだったのだが、私が仕事で弱音を吐いたり、イヤなことがあって愚痴を呟くと「はい、メンヘラ~」と言ってきた。
あまりにも何度も言うので鬱陶しくて「私は自分の呟きたいことを呟いているから、イヤならフォローはずすかミュートにしてもろて」と言ったがどちらもせず、私のツイートを見てはそういう発言をする。
ただ言うだけならまだしも、別の友達にわざわざ私のツイートのスクショを撮って「メンヘラ爆誕!」と送り付ける始末。そして「こんなの送られてきたよww」って報告を受ける私。なにそれ気まず・・・。
イヤなら見なきゃいいのにわざわざ見るのってなぜ??
しかもそれを別の誰かに話すのはもっと意味がわからない。
見たいのか、見たくないのか?
どっちなんだい!
ーーー
このやり取りに疲れてしまって友達と繋がっていたTwitterは削除してしまったのだが、先日友達と話していて「こんなこともあったよね~」って話題から思い出してこの記事を書いている。この友達の行動も、同じ現象なのだろうか。
そう考えると、冒頭に述べたようなニュースサイト然り、仕事然り、友達の行動然り、日常生活には「イヤなのか、イヤじゃないのか」自分でもよくわからない、なんならイヤなのわかっててやっちゃう!みたいなことが溢れている。
避けようと思えば避けられるのに、あえて避けない選択をするのは、時として自分の選択能力バグってんな、と感じさせる。なぜ人は、避けられる障害に自ら飛び込むのだろう。
30代になって「逃げられる敵からは逃げる」を少しずつ習得しているが、日常の些細な敵から逃げるスキルを身に着けるには、はぐれメタルから逃げ出し方を教えてもらわないとまだまだ難しそうだ。
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