見出し画像

立場が変わると、見え方も違う

こんにちは。

気が付けば、もう6月も終わりですね。
ついこの間までゴールデンウィークがどうとか言っていたのに。

本当に時間が過ぎるのは早いものです。

今日も ”ましうー” に来て下さり、ありがとうございます。

立場が変わると見え方が違ってくる、というのはよくある話ですよね。

---

世の中にはいろんな人がいるわけで。

たとえば学生という狭い世界に絞ってみても、
生まれながらに裕福な家に育った人、
名家でありながら親の元から離れた人、
学費を工面するのもままならず働きながらどうにかする人、

など
その生活境遇の中身はさまざまであるようだ。

学生を続けるためにお金を必要とする人がたいてい選ぶ手段が
アルバイトである。
もちろん学生とは限らないが。

初めてありついた職種は確か工事現場の肉体労働だったろうか。
なんせ大人の世界に入っていくのも初だったので、
少年ながら未開の地に足を踏み入れるような、
緊張と不安に覆われていたのを覚えている。

これは単発で、一週間ほどで終わったのだけれど。


色々やっていく中で、表には目立たない、
それまで気にも留めていなかった職種もあった。

一年に一度行われる住宅地図の更新調査や、
春休み限定の大学の教科書販売なんかは、
一時的な活動だからあまり世間の目に触れることはない。

だから広く認知されている職種は、必然とちまたにありふれたものとなってくる。

例えば、塾の講師だったり、コンビニの店員、引越し屋、喫茶店などなど。

お金に不自由さを感じている苦学生は、
なんとか生活に潤いを加えようと、
有り余っている時間を投入し汗水かいて頑張るのであった。

---

だけど金銭面だけを求めていたわけでもなかったような気がする。

大人社会というものをほとんど知らない少年は、
色々な ”仕事”というものに直に触れて、
職業の種類を知ってみたり自分との相性を確かめたり、
といった気持ちも少しは持っていたのである。

だから実際に働いてみて、それまで抱いていたものと
結構イメージが離れているところもけっこうあったりした。

というか、立ち位置が変わるだけで、
見えるもの感じるものが全然違っているのである。


客としてレジの前に並んでいた目線が、そのお客を迎え入れる立場に変わると、
そこにはもう全く異なる世界が広がっている。

それまでは、
 なんでこの品物が切れているんだ
 商品の並びが解りにくいんだよ
 店員もっと愛想よくできないのか
なんて心の中で悪態をついていたのが

いざその仕事に就いてみると
なかなか殺風景なバックヤードに驚き
細かい品出しや整理に翻弄され
お客、あまりたくさん来るなと、決して口には出せないことを思ったりする。

一見華やかそうな喫茶店も、地味な作業がほとんどだったり。

安全丁寧に家具を運んでもらうことが当たり前と思っていたのに、
運ぶ立場になると肉体労働の重さとその神経の使いように参ってしまったり。

雇われた職場の雰囲気やカラーは、いざ就いてみないと決して解らない、
ある意味宝くじみたいなところがある。

でも職種を知るという意味では、それなりにいろんなことを感じることがあったりするのだった。

---

世の中には、表と裏、光と影、正と負、明と暗、陽と陰、など相反する法則があると言われる。

そこまで仰々しくはないが、
人と人との交流の中にも、あちらの立場・こちらの立場のように相反するもので成り立っているような気がする。

客室乗務員がプライベートで飛行機に乗ることは普通にある。
歯科医は自分で自分を治療できないから、どこかの患者にならなければならない。
コーヒーを提供する人が、違う店で客として座るのは珍しくはない。
工事現場で働く人だって普段道路を利用するし、
役者さんも客席で鑑賞することだってある。

サービスを提供していた側の人間は、
そこを離れると、サービスを受けることにもなる。

つまり、たいていの人は
あちら側に立っていたりこちら側に動いてみたりしている、ということがいえると思うのである。

あちら側を経験している人はこちら側に来てみると、
あちら側の状況や苦労なんかが客観的に見えたりする。

うまくできない事情があることも
見られたくないところをうまく隠そうとしているのも
自分らにはない工夫があったら勉強になったりもする。


近年、カスハラなんてことが言われて
サービスを提供する側をもう少し守ろうと
いろんなところでその対策に動き始めているようだ。

顧客の側は
お金を払っているんだから、それ相応の対価として当然のことを求めているのかもしれない。
生活にストレスがたまって、どこかにぶつけたいのかもしれない。

人それぞれ、さまざまな理由から攻撃的な行動になってしまうのだろう。

だけども
子どもに対して ”叱る” のと ”怒る” は違うように、
お客の側はもう少し、この苦情が次への進展に繋がるのか
考えても良いような気もするだ。


お店の側への理解が少ないのが、その原因の一つかもしれない。
もしくは、お客様は神様だと思い過ぎてはいないか。


長い目で見たら、
子どもだった人もいずれ親になったら、
子どもの側と親の側の掛け持ちになったりもする。

子どもを持って初めて親の気持ちが解る、なんていうのも
あちら側の気持ちが理解できていないという
一つの良い例かもしれない。


いいなと思ったら応援しよう!