言語オタ2人が行くジャーマンましロード後編
1 はじめに
「言語オタ2人が行くジャーマンましロード後編」へようこそ。今回は、「言語オタ2人が行くジャーマンましロードの旅」、4日目から7日目までについて記す。メインはドイツの鉄道旅とケルンの観光の話となる。
2 トレンフートからケルンまでの鉄道旅
4日目はいよいよトレンフートを去る日。のどかな村での生活も今日で終わる。
昼13時。車でそばの駅まで送ってもらい、電車をいくつか乗り継いでケルンの街へ向かう。オタくんの友人のご家族に大変お世話になり、村を去りがたかったのだが、それと同じぐらい、ケルンまでの鉄道旅もとても楽しみだった。
別の記事で紹介するが、今回は特別に安いチケットを使ってドイツの電車に乗ることになっていた。このチケットは安いのは良いのだが、いわゆる日本でいう各駅停車の電車にしか乗ることができない。そのため、大体3時間半ほどかけてケルンに行く必要がある。ちなみに、ドイツの新幹線(ICE)を使うともっと早く行くことができる。繰り返すが、今回の旅は、「安さ」が優先されるのだ。しかし、地元の各駅停車に乗れることはそれはそれで楽しみである。
何本も電車を乗り継いだ上に、駅名がドイツ語なので、全てのルートを覚えているわけではないが、2時間ほどは無事に電車を乗り継ぐことができた。電車はそれほど感動する面白さはなかったが、唯一驚いた事として、ギースンという駅に着いた時、連結されていた電車が切り離され、別の方向に2つの電車が走り出したことだ。いわゆる日本でいう、ハヤブサとコマチの連結と同じだ。
そして、ジーグンという街で最初のトラブル発生。なんと、ホームの勘違いで電車を逃してしまった。あとケルンまで1本というところだったのに……。加えて次の電車は1時間後まで来ない。しかたなく1時間待つことに。駅はそれほど小さいわけではなかったが、特にすることもなく、強い日差しの下、日光浴をするだけになった。
1時間後。やっと電車が来て乗り込んだのだが、なかなか発車しない。しばらくすると放送が流れて、電車は30分遅れるとのことだった。別の記事でも触れるが、ドイツの電車が遅れることは日常茶飯事らしく、我慢するしかない。
しかし、30分経ってもまだ発車しない。するとまた放送が流れた。この電車の運転手が遅れていて、キャンセルになってしまったようだ。しかたなく、向かい側のホームに止まっている電車に乗り換えることに。時刻は17時40分。到着予定時刻は17時30分なので、この時点でオーバーしてしまっている。
18時15分。乗り換えた電車がケルンに向けてやっと出発した。到着予定時刻は19時30分だ。ケルンの街へは、東ヨーロッパの大河であるライン川沿いを走ることになる。遅れていて焦っているとは言え、いくつも鉄橋を渡ったりして、個人的にはお気に入りの電車だ。しかし結局のところ、予定時刻を15分も送れ、19時45分ごろにようやく、ドイツ有数の大都市、ケルンへ到着。
ケルンに到着すると、まるで長旅を終えたわれわれを祝福するように、大聖堂の鐘が鳴り響いた。ケルンにはヨーロッパ随一の大聖堂があるのだ。長旅で疲れていたこともあり、とても安心した。
20時半。今日の夕飯を食べることに。「安さ」、重視なので、安くていっぱい食べられるトルコ料理のお店に行った。通称、ドネルボックスと呼ばれる箱には、ポテト、ベーコン、マカロニなどが詰め込まれていて、5ユーロほど。確かにお腹いっぱい安く食べるのにはうってつけの料理だ。感動する美味しさはなかったが、味も悪くない。
21時。この日のお宿へ向かう。この日と明日はケルンのホステルに宿泊予定。知らない人と6人で部屋をシェアすることになった。夜に部屋で作業するのは原則禁止。大きな声で話すこともできない。加えてちょっと困ったのが、このホステルはトイレとシャワーが外なので、夜中に用を足すのが面倒なのだ。
そんな中、真しろは夜明けまでにやらないといけないことがあったので、ホステルから作業カフェに移動した。この作業が思ったより時間を要したため、結局寝るのは深夜2時になった。とはいえ、周りの人のいびきや外の音がうるさくて、おそらく眠りの質は最悪だっただろう。長旅とホステルの睡眠というダブルパンチは、このあとの活動に響くことになる。
3 5日目
朝10時。少し遅めにホステルで起床。夕べ、シャワーを浴びれなかったのでシャワーを浴びに行く。このホステルにはシャンプーなどは付いておらず、使いたい場合は持参する必要があった。飛行機を使うため洗剤類を以て来れなかった真しろは、ただ体をシャワーで洗うことしかできなかった。
11時半。今日は日中、デュッセルドルフにいるオタくんの友達に会うことになっていたので、30分かけて電車でデュッセルドルフへ移動した。その後、オタくんと彼の友人と3人で川沿いを歩いたり公園でおしゃべりしたりした。しかし、正直なところ、昨日のダブルパンチが体に響いていて思うように街を楽しめなかった。
夕方5時ごろ。再びケルンのホステルへ戻ってきた。1時間ほど休憩してこの日の夜ご飯を食べることに。何度も言うが、「安さ」重視なのもあって、今日の夜はマクドナルド。ちなみにこれがこの日最初で最後の食事になった。
腹ごしらえをしてから、軽く川沿いを歩いてみることにした。トレンフートでもそうだったが、夏の夜のドイツは、外でたくさんの人たちがお酒を飲みながら憩っていた。川沿いは比較的涼しく、落ち着くのに最適な場所だ。
ところが、晴れ男の真しろが疲れていたせいなのか、突然の雷雨が我々を襲う。しかたなく真しろたちもホステルへ引き返すことに。雷雨に交じって聞こえる鐘の音が、この日は悲しげだった。その日は疲れていたので、いびきや外の騒音に耐えながらも、かなり睡眠を取ることができた。
4 6日目
6日目は朝9時から行動を開始。シャワーを浴びたかったのだが、今日は予想以上にシャワーが汚かったので、浴びれぬまま外出した。ちなみにこのホステルはこれでおしまいになる。
最初に向かったのは、ケルンに行くなら当然訪れるべきケルン大聖堂。中に入って展示物を見たり、いくつかの部屋を回ったりした。オルガンの演奏も時間によっては聴くことができるようなのだが、この日はあいにく聞けなかった。
10時。早くも大聖堂をあとにして次に向かったのは、チョコレートミュージアム。チョコレート好きの真しろにとってはたまらない場所だ。このミュージアムは、リンツというチョコレートブランドが手がけているらしく、チケットを買うと入り口で無料のチョコレートをもらうことができた。
ミュージアムの中では、チョコレートの原料となるカカオの生産方法、チョコレートの製造工程、チョコレートの消費や市場について、チョコレート文化やチョコレートの歴史についてなど、チョコレートについて深く学べる展示が多数あった。チョコレートを製造するマシンにも触れることができた。また、よく話題にされることだが、カカオ豆を取り巻く貧困や児童労働についても考えることができ、おいしいチョコレートを食べるときも感謝しなければいけないと思い直した。
11時半。チョコレートづくしの時間を終えて、再びデュッセルドルフへ向かうことに。なぜなら、この日の夜に宿泊するホステルはそこにあるからだ。昨日と同じく30分かけてデュッセルドルフへ向かった。別の記事でも触れるが、車内ではスピーカーを大音量にして歌を歌う人たちがたくさんいた。
14時。なんだかんだあってホステルに到着。この時点では誰もチェックインしておらず、部屋にはオタくんと二人きりだったので少しリラックスできた。今回のホステルは、トイレもシャワーも部屋の中にある。
15時。この日は、村でお世話になったオタくんの友人とラストディナーを楽しむために、彼女が勉強しているというミュンスターへ向かった。この街は少し北上する必要はあるが、1時間半で着くらしい。再び電車に乗ってそこへ向かう。
17時。無事オタくんの友人に再会し、ミュンスターの街を歩いた。この街では再び教会とお城を訪れた。教会ではオルガンの演奏を聴くことができ、しばし神秘的な音に魅了された。お城にはきれいな花がたくさん咲いていて、癒やされる時間となった。
この日の夜ご飯は少し奮発して、この地域で有名なピザを食べることに。薄いピザ生地の上にはチーズとベーコン、タマネギが載っていて、サイズも小さいので食べやすかった。ディナーの間は、言語学の話やお互いの国の文化の話など、かなり意識の高い話で盛り上がった。
21時。名残惜しくもそろそろお別れの時間。ハグをなんども繰り返してオタくんの友人と別れ、われわれも電車に乗車した。
時間も少し遅かったため、1本でデュッセルドルフに帰ることはできず、途中で乗り換えを強いられた。そんなこんなでデュッセルドルフに着いたのは日付が変わるのと同じぐらいになった。ちなみに電車の中では、首都当てクイズや国境当てクイズなど、これまたニッチなゲームで盛り上がっていた。
真夜中のデュッセルドルフの街をなんとか攻略し、ホステルへ戻って眠ろうとしたとき、最後のトラブル発生。なんと、自分が寝る予定だったベッドに知らない女性が……。オタくんがなんとか彼女を起こし、ベッドもきれいにしてくれて眠ることができた。しかし彼女はなかなか起きてくれなかったので、かなりひやひやさせられた。一応カードキーにベッドの番号が書かれているらしいのでそれを見間違えた可能性はあるが、それにしてもホステルはやはり泊まりづらいと思ってしまう。
5 7日目
6月10日。今日がいよいよ最終日だ。朝9時に起きて行動開始。今日もシャワーが混み合っていて浴びれずに外出。
最初に向かったのは、デュッセルドルフにあるアジアンストリート。デュッセルドルフは日本人が多く住む街として有名なのだ。確かに、日本の物を売っているスーパーや、Little Tokyoと書かれた看板などが目に付く。
せっかくなので日本食を食べることに。今回真しろたちがいただいたのは唐揚げ。オタくんは食べたことがないらしく、紹介することにした。唐揚げのお店ではあるが、ラムネやメロンパンなど、日本ならではの商品も置いてあって、スタッフもおそらく日本人だった。唐揚げなんてしばらく食べていないので、少しだけ日本に帰った気分にさせてくれる。オタくんも、ボリューミーさには驚いていたが、おいしそうに食べてくれていて安心した。
13時。特にもうやることもないので、ケルンの空港へ向かうことに。いよいよ帰路に就くタイミングだ。ちなみにデュッセルドルフにも小さな空港があるらしい。
ケルンの空港は、街の中心街からは少し離れていて、周りには森が広がっている。チェックインを早めに済ませ、ゲートで待つこと1時間程度。ようやく乗る予定の飛行機に搭乗できた。17時半に無事に離陸し、英国時間18時頃に着陸した。
無事、英国に戻ってきたのはいいものの、バスの接続が全然なく、3時間ほど空港で待機することに。軽くディナーを済ませてもまだまだおつりが来るほどに時間は有り余っていた。早くシャワーを浴びてベッドにダイブしたかった真しろたちは、言葉少なに時間を潰すしかない。しかしそれでも最後のほうは、真しろが日本語を教えたりアニメについて話したりしていたらバスに乗る時間になった。
23時。リムジンバスと路線バスを乗り継いで、長い長いこの日の旅、そしてドイツ旅行もとうとうおしまい。修行場へ戻ってきた。真しろにとっては、旅のどんな瞬間よりも、終わりの瞬間が1番つらい。空はまだほんのり明るかった。
6 総括
今回の旅の感想をいくつかに分けて書いておく。
6.1 夏のドイツは楽しい
今回初めてドイツに行ったが、古い町並みを残しつつ、街の人たちも陽気で、とても楽しい国だなと感じた。特に夏は日が長く、遅い時間まで川沿いで日光浴できるのは本当に素晴らしい。イングランドに比べて川の影響を色濃く受けている国であるだけに、ライン川などの川沿いを歩くのは本当に面白い経験だった。たくさんドイツ人の知り合いもできたことだし、また是非訪ねたい。
6.2 2人旅の利点と欠点
今回は前回のましロード企画と違って2人旅だった。オタくんにいろいろお任せしてしまっていたので、安心して旅行ができた。その反面、お金の使い方でどうしても価値観がずれたり、どの程度気を遣っていいか分らなかったり、旅の時間が経つにつれて悩みは増えていく。1人旅は、全部自分で考えなければいけないのは大変だが、状況の許す限り、旅の予定をフレキシブルに変えられたり、自分の価値観で行動できたりするのでそれが魅力だろう。少なくとも真しろは、4日以上複数人と旅をするのは難しそうだ。
6.3 「安さ」重視の利点と欠点
今回は、安い飛行機で英国とドイツを往復したり、ホステルに泊まったり、オタくんの友人の家でお世話になって予算を節約したり、ご飯代をケチったりして、まだ計算はしていないが、かなり安い旅になった。物価の高いヨーロッパでお金のない学生にとっては財布に嬉しい旅だが、それゆえに伴うリスクもあった。安い飛行機はいいとして、ホステルは決してよく眠れる場所ではないこと。現地の料理を食べたければ多少お金を出す必要があること。電車を安価に乗れるチケットを取ると、速い電車に乗れないこと。このようなリスクと財布への優しさのどちらを優先するかによって、「安さ」を重視すべきか否かは異なってくるだろう。このことは、日本で旅行をする以上に考えなくてはいけないことだ。
7 終わりに
かなり長くなったが、これで、「ジャーマンましロード」の旅も終わりとなる。もしかするとこれでヨーロッパ旅行はいったんおしまいになってしまうかもしれないが、とても充実した旅になった。改めて旅に誘ってくれたオタくんには感謝したい。また、もし機会があれば、日本の品を持って、お世話になったトレンフートの村を訪ねたい。
それでは今日はこの辺で。Have a nice day!
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