「うる星やつら」と女装・女体化表現(閲覧注意)
*本稿においては「女装・入れ替わり・女性化・女体化」を扱いますので、そうしたジャンルが苦手な方はご遠慮ください。
2022(令和4)年初頭に飛び込んできたビッグニュースにオールドファンは誰もが目を疑いました。
なんとあの伝説のアニメ「うる星やつら」の再アニメ化という企画なんですね。
1981(昭和56)年といえば、「機動戦士ガンダム」が放送されたのが2年前。現代の様にあらゆる民放が24時間何らかの放送を流し続け、インターネットで情報が飛び交う時代ではありません。
正真正銘夜の11時ともなればTV画面は「砂嵐」となる時代です。BSもCSも地方局も何にもありません。
そんな限られたテレビ放送枠をナイターに邪魔されながら(時代ですねえ)足掛け5年に渡って占拠し続け、劇場版6本、OAV12本を含む全195回のTV放送と、そして数えきれない「再放送」が行われました。
「何でもあり」のその作風は間違いなく後世に猛烈な影響を与え、無数のファンダムを成立させ、「ガンダム」とはまた違ったベクトルで「オタク」を量産しました。
その辺りの事情は、「オタク第二世代」よりも、更に直撃世代に近い「オタク第一世代」の方がより詳しく、熱狂的でしょう。
本稿は、令和版「うる星やつら」が放送開始になった暁には、各社から発売されるであろうムックや特集号において「昭和版を振り返る」コラムとして仮に原稿依頼されたなら?という何とも手前勝手な「前提」を勝手に想定した読み物になります。
・・・と思ったんですが、画像を引用できるものでしまくった結果余りそうはなりませんでしたね。ご容赦を。記事としては楽しめるものになっているという自負はございますので。
ちなみに「映像」については全てのTVシリーズ、映画、OAVに至るまで「全て」振り返っていますので、「『うる星やつら』全体」に興味がある方はどうぞ。
では始めます。
*****
19回。
これは何の回数でしょうか?
これはTVアニメ「うる星やつら」全195回の放送の中で、男性の「女装・入れ替わり・女性化」などが登場する回数です。実に全体の「10%」近くにも及びます。
この回数及び比率は多いと言えるでしょうか?
後に「女になったり男に戻ったりする」特異体質を持つ主人公が活躍する「らんま1/2」(連載1987年36号から1996年、TV放送1989年から1992年)が登場します。当然こちらは100%ということになります。
しかし「うる星やつら」は「女装・女体化」作品であることを謳った作品ではありません。にもかかわらず、おおよそ10回に1回の割合で登場するというのはかなり多いと言って構わないのではないでしょうか。
元々TVアニメの枠組みに収まらない「破戒」的な演出や「タブー」を恐れずに描くことに同アニメは積極的でした。
表現において「最大のタブー」の一つが「男が女装する(させられる)」こと、でありまた「男が女になってしまう」こと、でしょう。
2020年代においては、むしろ「配慮すべき」とされている同概念ですが、80年代ともなれば「女装趣味がある」などと暴露されることは社会的地位を失うことと同義でした。
確かに「8時だョ!全員集合」(1969年10月4日~1985年9月28日)などでは志村けん氏のバレリーナ女装が定番でした。
その後の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(1986年1月11日から1992年3月28日)でも特に後半のコントでやたらにセーラー服女装が登場したり、ライバルの「オレたちひょうきん族」(1981年5月16日から1989年10月14日)に至っては毎週何らかの女装が登場していたと言っても過言ではないでしょう(バレリーナ姿(?)のフラワーダンサーズ、明石家さんまによるバニーガール「おまち娘」等々)。
歌舞伎の女形の例を持ち出すまでもなく、日本の芸能、バラエティ番組は「女装」が溢れています。
しかし、それをもって「一般的な風俗だった」と見做すことは出来ません。むしろ、「非日常」であるからこそ芸になっていたと言えます。
この手の「日本における作品の表現において、女装・入れ替わり・女体化」などがどれくらいタブーとされていたかの証拠は幾らでもあげられますが、映画「転校生」(1982(昭和57)年)が原作出版時に批評家から酷評されたことを皮切りに、出資会社の一つが「男女の入れ替わり」という題材を「破廉恥すぎる」との理由で降板した…といった例を挙げるに留めましょう。
極端なことを言えば「女装」が登場するだけでそれは猛烈に刺激的な見世物となってしまう「タブーでありながら(あるからこそ?)」安易な見世物となっていたとも言えます。
それを「何でもあり」であるこのアニメが放置するか?と言えばするわけがないのです。
何しろ、長期連載の学園ものアニメや漫画などにおいても1回くらいは「入れ替わり」「女装」くらいはやっていましたから、この破天荒アニメでやらない訳がないのです。それにしても10%というのはかなりのものだと思いますが。
「うる星やつら」…ここは1981(昭和56)年から放送されたTVアニメ版を指します…の大まかな概要。
要するに「押しかけ女房」として地球人「諸星あたる」と同居した「ラム」とその周囲の人々のSFギャグコメディです。
第1話によって「地球人代表」に選ばれた諸星あたるですが、その後巻き起こる怪異の数々は必ずしも「宇宙(地球外)由来」のものばかりではなく、むしろ地球の土着の妖怪、怪異、妖精、超自然現象なども多いです。
なので、「ラムの襲来が全ての引き金を引いた」訳ではないともいえます。仮にラムが来なかったとしてもあたるの周囲に巻き起こる騒動の半分程度は普通に起こっていた様に見えるんですよねえ…。
まあ、このあたりは「ウルトラマン」(1966年7月17日から1967年4月9日)も同様だったりします。あの番組の中の「地球」は随分危ないところみたいです。閑話休題。
「うる星やつら」は頑張れば何種類かに分類できるのでしょうが、「ドラえもん」(1969(昭和44)年~)の様に「秘密道具を出して~」といったパターンがある訳ではありません。
あたるは「怪異を引き寄せる特異体質」といった言い方もされますが、大抵はあずかり知らないところから何かがやってきたりしますし、あの世界の中で万能のスーパーパワーに見えるラムとてしょっちゅう事態に巻き込まれて酷い目に遭います。
では、ここから筆者のカウントによる「女装・入れ替わり・女体化」エピソードをご紹介いたしましょう。「単に女装キャラがモブにいた」程度のものは省略してあります(話数カウントは放送回数順)。
面白いのは、これだけ破天荒なアニメなのにその表現が「石橋を叩いて渡る」様に徐々に過激に、露悪的にエスカレートしていくことです。
つまり、「最初はおっかなびっくり」ということでもあります。
ではどうぞ。
その1 第9話「眠れる美女クラマ姫」
なんと放送回数にして9回目、放送開始から2か月程度でもう登場しているんですね。
「クラマ姫」なる人物が成り行きであたると結ばれなければならなくなってしまうんですが、その「スケベを矯正する」(?)という名目で「アニマ光線」を浴びせるんですが、結果あたるの「精神が女そのもの」になってしまいます。
これもなかなか哲学的な命題で「精神が女性」とは何を指すのでしょうか。大人しい男性も乱暴な女性もいますし。
ちなみに「精神が女性化する」(???)症状はらんまも陥ったことがあり、ジェンダーギャップを扱ったコメディ作品にはありがち展開なのかもしれません。
結局うやむやのまま決着するのですが、最初の「女性化」はこんな感じでした。
その2 第24話「イヤーマッフルに御用心!」(1982年4月21日)
イヤーマッフル型の「人格交換器」を宇宙人(?)が街頭販売しており、入手したあたるたちレギュラーの中身が入れ替わってしまう騒動。
原作だと単に勘違いした宇宙人がカルチャーギャップを嘆(なげ)いて終わるだけなんですが、アニメオリジナル展開として「大勢が入れ替わってパニックになったまま」終わってしまうことが挙げられます。
まあ、イヤーマッフルを外せば元に戻るので、「修復不可能なパニック」も多々起こるこのアニメにおいては軽い方だと言えます。
基本的には原作通りとはいえ、やはりいきなり「女装・女体化」はハードルが高かったのか手堅く「入れ替わり」からですね。
ちなみに、ABパートで別の話を放送する体制から、引き延ばして後半にアニメオリジナル展開を付け加えて放送する体制になって最初のエピソードでもあります。
その節目にこうした展開を持ってくるあたり、実にこのアニメらしいです。
その3 第27話「翔んだドラキュラ」(1982年5月12日)
恐らくは地球産(?)の怪異である「自称・ドラキュラ伯爵」が登場し、そのそばにずっとついているお付きのコウモリくんが「変身」します。
あたるのご機嫌を取るため、人間の美女に変身するのですがこれが可愛いこと!
いわゆる「少年声」でお芝居するコウモリくんがあたるに迫られて困惑したりパニックになったりするのはこうした作品の醍醐味を見事に表現しており、傑作と言えます。
ちなみに「そうでない存在が、魅力的な美女になる」展開は元が幼女などでこのアニメに度々登場します。それの元が「少年」(といってもコウモリですが)であったということですね。
その4 第37話「怪人赤マントあらわる!」(1982年7月28日)
うる星ファンの間でも人気のエピソードで、「赤マント面堂」などの様にこの回の女装姿を二次創作するファンも多いです。
ここで登場するのが所謂(いわゆる)「学園祭女装」で、諸星あたる、面堂終太郎、そして「ラム親衛隊」(以下親衛隊)(メガネ、カクガリ、パーマ、チビ)たち。
ギトギトのメイクにドギツイ色と柄(ヘビ!)のミニスカートドレス。
彼らは恐らく「場を盛り上げるため」に自ら進んで女装をしていると思われます(劇中で明言されない)。「罰ゲーム」ですらありません。
この時、面堂の女装姿を見てしのぶは窒息するほど爆笑しており、面堂も基本的には恥ずかしがる素振りは見せるものの、「宴会女装に失敗した」という程度の精神的ダメージしか受けていません。
「自ら望んで行った女装は恥ずかしくないものだ」という原則でもあるのでしょうか。
これは後のエピソードに登場する「女装」と「女装させられた男」「女装した男を見せられた女のリアクション」が異なっていますので覚えておいてください。
その5 「花ムコの名は竜之介」(1983年5月11日)
完全に少年の造型で実は女の子であり、ことあるごとに「俺は女だー!」と叫び、着替えシーンでは豊かなバストを披露する「藤波竜之介」というキャラは正に時代を先取りした性別越境キャラでしょう。
後の乱馬親子の原型となった父親とのドタバタも笑いどころ。
またも登場した「クラマ姫」が実は女性だと知らず竜之介に惹かれてしまい、「ならば竜之介を男にしてしまえばいいのだ」とばかり「性転換銃」を持ち出すのですが、誤ってあたるに直撃してしまいます。
これまで紹介してきた中でも最も「王道」にして「正統派」の「女体化エピソード」と言えると思います。
全体をほぼこのワンアイデアで押し切っており、あたるが「女になっている」ことに対して教室全体でずっこけたり、乳房の柔らかさに触れた面堂や親衛隊たち男レギュラーが全身に寒気が走って飛び上がったりと実に新鮮なリアクションを取ってくれます。
つまり「男が女になる」というのはそれほど「大事件」だったということです。
ちなみに何故かピンク色のシャツを着たりはするものの、あたるは所謂(いわゆる)「女装」といえる服装をすることはついぞありませんでした。
もしかしたら「男が女になった」ところでキャパシティオーバーであってそれ以上は無理だったのかもしれません?
また、「女性化(肉体の変化)」と「女装」は全く違うものであるという証左なのかもしれませんね。
その6 第82話「太陽がいっぱい浮気がいっぱい」(1983年8月24日)
これは典型的な「論理(屁理屈)」回。
ラムの科学力(?)で人間の男になることが出来たイルカがいるんですが、ちょっと油断するとイケメンが崩れてしまい、女性たちの前で下手を撃ち続けたことで「人間の『男』はつらい」と嘆きます。
「男」は「つらい」から、それなら「女」になっちゃう・・・という論理のアクロバット。
うる星やつらってこういう「屁理屈を捏(こ)ねて油断をすると女にされる」危なっかしさがあるアニメでそれがスリリングでした。
その7 第90話「レディー竜之介!」(1983年11月23日)
竜之介の「花嫁修業」ならぬ「女らしくする」修行を買って出るあたると面堂。
何故か体操服にブルマの「女子生徒」イメージになって流麗な「女言葉」を操ります。
このアニメ、あんなに「女装は嫌だ」「女になんてなりたくない」と見せかけて、なぜか自主的に女装だのに飛び込んで行く回が多々あります。
その8 第97話「決斗!弁天VS三人娘!!」(1984年1月25日)
この「三人娘」はその後、後半の低迷期において「これでもか」とばかりにローテーションで回ってくることになるので軽くトラウマになっていたりしますがそれはまた別の話。
典型的な「シチュエーションのみ」。
後に「女装・入れ替わり・女体化」ジャンル界隈で「皮」と呼ばれることになる表現の源流があります。
「三人娘」の一人の特技に「脱皮」があり、脱ぎ捨てた皮は何故か別人が「着る」ことであたかもその人物になったかの様に装うことが出来ます。つまり、「三人娘」の一人の肉体になれるというわけ。
ちなみにこの場面、本編と殆(ほとん)ど関係がありません。スタッフの趣味でしょうか?
その9 第100話「大金庫!決死のサバイバル!」(1984年2月15日)
81年版のアニメオリジナル回でも屈指の知名度を誇る傑作回ですね。
たった2人で面堂家地下の金庫をさまよう「だけ」の回。
何故かお互いがセーラー服の女子高生になったイメージを見ます。
正直意味不明です(笑)。
何しろ原作が全く存在しないアニメオリジナル回なのでスタッフの欲望、妄想が炸裂しているのでしょう。ちなみにまだこの辺は俗にいう「前半」・・・押井守チーフディレクター率いるスタジオぴえろ時代・・・の作品でもあります。
この二人のホモソーシャルな関係性の「匂わせ」はあちこちに描かれていますがかなり露骨なそれですね。
その10 第107話「異次元空間ダーリンはどこだっちゃ!?」(1984年4月11日)
ここでスタジオディーンに製作体制が一新されて第1回目の放送になります。
最終回の1話前の「人気投票」において、後期で唯一ランクインした回であるという点がこのアニメの「後半」を物語る要素とも言えますね。
ともあれ、節目にこうした要素を持った回を当て込むのがこのアニメ。
「異次元空間」の名の通り、ラムがかなり様々な異空間を右往左往します。その中には「男女が逆転した」世界もある訳です。
こうした「逆転設定世界」が登場した時に「そのキャラがもしも女だったら」ビジュアルが見えることはままあります。
その11 第110話「き・え・な・いルージュマジック」(1984年5月9日)
塗った相手同士が「物理的に」引きあって強引にキスする体制となってしまう「秘密道具」たる口紅を巡るドタバタ。
当然ビジュアル的にはれっきとした男たちが争って口紅を塗り、赤い唇でドタバタする展開となるわけです。
相変わらず見事なツボを突いてくるなあと。
その12 第116話「愛と闘魂! グローブVSパンツの決闘!!」(1984年6月20日)
遂に来てしまいました。古今東西恐らく「強制女装」を扱ったフィクションの中ではある意味決定版と言っていいのではないでしょうか。
今風に言うならば「特級呪物」が方々から持ち込まれるのですが、なんとその中に「呪われたトゥシューズ」なるものが紛れていて、何故かよりによって男性である面堂終太郎に取り憑いてしまう・・・という、バカバカしさも極まれる展開。
ちなみにこの後半は完全にアニメオリジナルです。つまり、「わざわざこの強制女装場面を付け加えた」ということなんです。
普通に紹介していたらキリが無いので、思い切りはしょりますが、「呪いのトゥシューズ」などと言いつつ全身がバレリーナの扮装となっています。
普通に考えたらおかしなことだらけです。そもそもどうして女子生徒に取り憑かないのか?とか。
いうまでもなく「それじゃ面白く無いから」でしょう。
理屈なんていらんのです(いや、いるだろ)。
「怪人赤マント」では自ら「趣味の悪いドレス」に袖を通し、女言葉でクネクネと決めていたはずの面堂は、ここに来て「バレリーナ」として公衆の面前で踊りながらこうモノローグします。
「ラムさん…この面堂終太郎ともあろうものが、何故にあなたの目の前でこの様な…面堂家末代までの恥辱だ…」
つまり、単に女装させるだけでは駄目で「最大級に恥ずかしがらせる」ことを「演出として選んだ」ということです。
バレリーナとして現れた段階で「絶対的タブー」をぶち込んでいたこのアニメは更に「これでもか」とばかりに追い打ちを掛け捲った訳です。
「赤マント」回では爆笑していた女子生徒たちは「きゃー!いやー!(あの面堂さまがあんなお姿をなさるなんて!)」などと絶叫しており、その意味でも意識に齟齬があります。
正直この回など「どうしちゃったの!?」と言えるほど「男に女装させる」ことそのものが最大目的化しています。素晴らしい。
その13 第120話「原生動物の逆襲!プールサイドは大騒ぎ!」(1984年7月25日)
恐らくは人類初の「キメラ」型人体変形を伴う「女体化」アニメ、いや映像作品ではないかと思われます。
正直、これに関しては語ることが多すぎるので、詳しくは以下の一連のツイートをどうぞ。
「キメラ」というのは私が勝手に呼んでいるものですが、「男の身体の一部だけが女性化した状態」のことで、これより後のアニメには殆ど見られません。
上記ツイートは異変に気が付いた面堂の乳房のみが女性化した状態。この後、髪の毛、手、脚、お尻…と次々にムクムクと変形するかの様に女性へと変貌していくことになります。
この当時、「朝起きたら女になっていた」といったものはあっても、はっきりと意識を残しながら女へと変貌していく自らの肉体を体験させられるなどという演出は空前だったでしょう。
この回のストーリーは簡単に言うとプールに出現した「原生動物」の中に吸い込まれてしまい、そこには「原始世界」を模した世界が広がっていた・・・というもの。
何故かその世界に元からいた「自称・アダムとイブ」が体外に排出されてしまいます。そして、面堂の身体に異変が起って・・・というわけ。
簡単に言えば、面堂は男としての意識を完全に残したまま、肉体の機能のみが「メス化」「女性化」してしまうことになります。
面堂曰く「この世界にアダムとイブがいなくなった今…僕たちがアダムとイブにならねばならないというわけか!?」
子供ながらに「アダムとイブになる」ことの意味は分かります。
つまりこの他に何もない原始世界において、裸の男女として生殖行為をし、子を産み、育てなくてはならない・・・ということです。
原始世界から排出された「イブ」は白人で金髪の美女でした。
「イブの存在を肩代わりしなくてはならない」割に、「白人で金髪」の美女・・・イブそのもの・・・になった訳ではないのです。
面堂は「面堂終太郎」の意識を完全に残したまま、「肉体の機能」として「女性の生殖機能」を背負わされました。よって、「人種」すら元のままです。
正直、今風に言う「萌え」など感じる余裕は全くなく、このアニメを見てから数年は思い出すだけでも恐ろしい「恐怖体験」そのものでした。
面堂は何やら「原理」的なことをつぶやいてはいましたが、実際のところ「どうして面堂が女性化したか」の原因は不明なのです。
そして二人はその肉体が元に戻るどころか、元の世界に戻る道筋すら全く示されず唐突に物語が終わってしまいます。
このエピソードは元になる原作はありますが、プールサイドで戯れて終わりです。「原始世界に取り込まれる」など全てアニメオリジナルです。
当然、面堂の女性化もです。
とにかくこの凄さは幾ら言葉を尽くしても伝えきれません。
幾つかポイントがあります。
一つは、面堂ひとりの女体化・女性化に対して大げさに言うならば「1エピソード」丸々一編を捧げているということです。
またその「論理」にしても「アダムとイブ」という特大のギミックを持ち出しました。
言い方を変えれば、「ここまでしないと」一人の男を女にしてしまうことが出来なかった時代だとも言えます。
今はもっと気楽ですからね。
それでいて、単に「男を女にする」以上のことすらやっています。それが「フェチ」。
入れ替わりなどを使って「女の肉体に」なったキャラはこの時代でも大勢いますが、せいぜい「乳房」に注目するくらいでした。
ところがそこに「手」という「パーツフェチ」を持ち込みます。
更に、「脚」や「お尻」といった、男子小学生では全く目が向かないパーツも大きくクローズアップすることになります。
全く、なんてアニメでしょうか。
ちなみに「グローブVSパンツ」ではあれほどクローズアップした「女装」はこの回には登場しないということになります。
まあ、「超常現象」で肉体が変化してしまうのに比べれば、基本的には人工的に行われる「女装」はある種のバカバカしさがあり、プリミティブな「本能」を押してくるこの回には食い合わせはよくないでしょう。
ここがある種の「到達点」であることは間違いないでしょう。
「うる星やつら」第1話でラムのブラジャーを引きはがして乳首が見える場面でPTAからの抗議が殺到することを見越してのチーフディレクターと局との丁々発止のやり取りがあり、実際クレームが殺到する騒ぎになった・・・というのはお馴染みの「うる星やつら」うんちくなんですが、「元・男」の服をはぎ取って、ほぼ乳房を露出させ、明らかにその後の「性的暴行」を連想させるエンディングにクレームはこなかったんでしょうかね(^^;;。他人事ながら心配になります。
余りにも凄すぎて理解が追い付かず、クレームが来なかったのか、熱心なPTAさんは全盛期に比べれば人気が下降気味だったこのアニメをもう見ていなかったのか・・・。
とはいえ今でこそ厳しい評価の多い「後編」に突入しているとはいえ、映画「ビューティフル・ドリーマー」も公開され、下手すると新規参入組も加えてある意味最も盛り上がっていた時期だとも思うのですが・・・。
ちなみに全身の肉体が女性のものになっているはずの面堂終太郎ですが「声」のみは男性時のままです。ただ、声まで女性声優さんに演じてもらうと見た目がこれだけ違うのに「同一人物」という認識が難しくなるので、これは英断だったと思います。ちなみにこの後の「青い鳥」でも踏襲される演出です。
その14 第127話「愛のすみかはいずこ?栗子と長十郎」(1984年9月26日)
男性と女性の人格を持つ栗と梨が色んな人物に憑依して小芝居をする話。
その15 第130話「燃えよかくし芸! この道一直線」(1984年10月31日)
色々ありますが、唐突に出てきたあたるのセーラー服女装が結構可愛い・・・という話。
今の時代はクリック一つでほぼ何でも手に入りますけど、この時代にどうやって女子の制服を調達したのか・・・なんてどうでもいいことを思ったりして。
その16 第172話「幸福押し売り!ピントはずれの青い鳥!!」(1985年9月4日)
これまたこのジャンルの「極北」とでもいうべき回でしょう。
簡単に言うと、「本人が望んでいる望みを勝手に曲解してトンデモない能力を与えてしまう」という能力を持つ「青い鳥」が大暴れするお話。
大抵こういう「何でも出来る」能力が登場すると、男に無理やり女装させたり、男を女にしたりするもんです。
結果としてあたるは「触った男を女にする」能力を得た模様です。
「原生動物」では「謎の現象」であり、たった1回の性転換をするのに1話丸ごと使わなくてはならなかったそれが、ワンタッチで出来る様になるというお手軽変更です。
更に、もう一つ「大きすぎる」お手軽変更点がありました。
なんと、「触った男を女の肉体に性転換する」のみならず「服装も女物に女装させる」能力すら併せ持っていたんですね!
哀れ面堂はあたるに触れられたことで「セーラー服の女子高生」にされてしまうのです。
80年代における「セーラー服」がどれほどの「性的アイコン」であったかは「ブルセラ(ブルマとセーラー服)ショップ」などという通称が成立していたという事実を挙げるだけで十分でしょう。
ちなみにこの「面堂がセーラー服の女子高生にされる」場面は原作にも存在します。しかし、アニメオリジナル場面としてこんな場面が挿入されます。
なんとそのスカートをめくりあげるんですね!
一体何重に倒錯しているのか言葉を失います。ほぼ間違いなく当時のアニメの作画テンプレートに従っただけの結果ではありますが、スカートの内側にはご丁寧に白い下着までがしっかり描き込まれており、「下着女装」すらさせられていることが分かります。
私は今でも「これは単に男を女装させるだけの能力でよかった」と思っています。
シャレにならない結末を迎える「原生動物」に比べて、あたると反対の能力(女を男にし、男装させる)を持つ竜之介父の存在によって、男になったり女になったりと性別をいじり倒すドタバタコメディとなります。
その都度「女にされた」男たちは「いや~ん」などといかにも滑稽(こっけい)げなリアクションを取らされます。
これはむしろ「ただの女装」であった方がより面白かったと思うのです。
そこに「肉体まで女性化」までしちゃう!これこそが「うる星やつら」なんですね。
女性となったシルエットで逃げる面堂と飛びすがるあたる・・・という構図は「原生動物」の再現であり、放送当時にすら指摘されていたそうです。
無論、セーラー服まで着せられた面堂の「女性度合い」がより念入りになっているなどの差はありますが・・・。
この回においては、面堂以外にも多くの男子生徒、教師などが「女性化&女装」の被害に遭っています。
これは「原生動物」においては「変化の原因」が突き詰めて言えば不明だったことに比べて、明らかに人為的にしかも悪意に基づいて行われていることがハッキリ分かったことになります。
これは「らんま1/2」の「自分の意志で男にも女にもなれる」という要素の先取りです。
ともあれ、これまでは「ただ強制的に女装させられた」回があり、「女体化された」回があり、そして遂に「女性化された挙句、女装させられる」ところまで事態はエスカレートしていました。
ただ、これで「行きつくところまで行った」ことになります。
これ以降、仮に「女性化回」をやるとしたら、コスチュームを変えるくらいしか目先の変化は付けられないでしょう。
「らんま1/2」においては、らんまくんはるーみっくワールドお得意の「バニーガール衣装」を漫画版において劇中3回も着ています。
が、「うる星やつら」では「バニーガール化」被害に遭う男性キャラが出るところまでは時代が間に合いませんでしたね。
「親衛隊」もあたるの「セーラー服の女子高生化」能力の餌食に。
ただ、「何よあの子ったら・・・」などと一瞬で人格まで女性化したかのような淡白なリアクション。
性的暴行を思わせるリアクションや、スカートめくりなど一貫して「女性化された後」は被害者の立場に追いやられる面堂終太郎に対して、セーラー服を着こなしても平然としているあたるはやはりキャラの立ち位置が違うのでしょう。
その辺りの匙加減が分からず、あたるを女にしていた序盤に対して中盤からは面堂が被害に遭う様になって来ることになります。
その17 第181話「さらば温泉先生!?涙の送別マラソン大会」(1985年12月4日)
その名の通り温泉マーク先生の「送別会」が開かれるんですが、余興として何故か白無垢姿にさせられます。それだけ。
その18 「デートがしたい!あたるのテスト大作戦」(1986年1月22日)
まあ、あたるが調子に乗ってセーラー服女装をする回ということで。
それにしても毎度毎度どこから持ってくるんでしょうか。ちなみに前回は見えなかったスリップらしき白い下着がスカートの淵から見えているという「進化」(?)ポイントもあります。
だとすると「下着まで女装」してることになるんですが・・・?
その19 第188話「ダーリンがうちを好きだと言ったっちゃ」
ある意味一番の問題作。
何故か全体が猛烈にもっさりしており、脚本もセリフの間にいちいち変な間があったり、突然叫び出したり、まるで素人が作ったアニメみたいになっています。恐らく当時の苦しすぎる制作事情が齎(もたら)したんでしょう。
次々にらちもない妄想が繰り広げられるのですが、その中であたるが面倒に向かって「実はお前は女ではないか!」と言い放ち、その妄想場面が流れます。
当然妄想場面ですから、観ている側も「・・・そうですか」というしかありません。
初期であれば「言ったことが具現化する」とかの道具の暴走で、「面堂!きさま実は女ではないか!」と言い放った瞬間に実際にドレス美女になっちゃう!くらいはしたでしょう。
というかしたかったんじゃないかな?
その後「夢よもう一度」という事でもないのでしょうが「原生動物」「青い鳥」を思わせる構図で投げっぱなしで終わります。
画面の密度も全く違うし、何よりそれぞれのキャラが小さすぎです。
勝手な妄想ですが、恐らくドレス美女になった面堂を追いかけるあたる・・・という三度目のパターンをやりたかったのでは。
ぶっちゃけシリーズ化していいと思うんですけどね。
ともあれ、最終回の7話前に至ってすら「女装・女性化」を思わせる要素を含むエピソードを放送していた訳で、いかにこのアニメがそっち方面のタブーを破り続けていたかがお分かり頂けたと思います。
以上、19回にわたるTVアニメ「うる星やつら」における「女装・入れ替わり・女性化」エピソードの紹介でした。
まとめ
あくまでの「当時の純朴な少年」目線ではありますが、やはり「圧倒的な凄さ」という感じです。
今でこそ溢れかえっている「女装・女性化」ものですが、この当時これだけの回数と頻度と密度でタブーを破りまくった映像作品など無いでしょう。
単に女装するだけではなくて、上手く言えないんですが「絶妙なツボ」を突いて来るんですよ。
「恥ずかしいからそれだけは絶対にやって欲しくない」ことをモロにやってくるあの感じとか。
凡百のアニメなら原始世界で女性化まではしても、その後追いすがって服を破って乳房を露出はさせないでしょうし、特殊能力でれっきとした男・・・主人公のライバルの二枚目キャラをセーラー服の女子高生にした後に思いっきりスカートめくりあげたりもしないでしょう。
もっと言えば、単にバレリーナ女装させるのみならず恥辱のナレーションをさせた上公衆の面前で踊らせたりもしないでしょう。
そういう「もう勘弁して!」という事をやって来るんですね。
恐らく高橋先生は「男を女にし」たり、「男を無理やり女装させ」たりする展開だけ何か特別なものをお感じになり、その部分だけを抽出した「らんま1/2」を構想するに至られたのだと思います。
実はその「らんま」劇中においては日常的に女性化している「らんま」ではその美味しい役を演じさせ切れず、別のゲストキャラに徐々にその役割を奪われていくことになるのですがこれは「らんま論」(あれば)に譲りましょう。
ともあれ、今回の調査で「19回」であったことがハッキリと数字で判明したのが個人的には大きかったです。OAVにもう1回ありますが。
唯一原作にも「変身場面」を含む「青い鳥」エピソードが令和版でアニメ化されるのか?されたならばどう映像化されるか?を楽しみに待ちたいと思います。
有難うございました。
(2022(令和4)年5月18日(水))
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