怖い。だけど、怖いだけじゃない。
今回はずらずらずらっと書くので、
いつもよりかなり読みにくいと思います。
ずらずら書きたい気分に駆られたので、
ご了承ください🍧
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私は中学生になってから
SNSというものに触れ出した。
当時それをSNSだと思って触れていたわけではないが、アニメのなりきりチャットをしながら知らない人と話したり、mixiや前略プロフがすぐに流行ったので乗っかり、Gackt好きが集まる掲示板で情報交換を楽しんだ。
GacktのLIVEには母とよく行っていたが、
LIVE会場ではその掲示板で知り合ったお姉様方と実際に会い、とても可愛がってもらった。
当時Gacktファンは私よりみんなお姉様方だと会場で認識していたことや、KinKi Kidsのファンとは全然違う優しさを感じていたことで、完全に安心しきってチケット譲渡も直接会って行っていた。
男性ファンがそこまで多くなかったというのもあるかもしれない。今はたくさんいるけどね。
高校生の時の記憶はあまりないけど、
私自身いじめからネットで誹謗中傷を受けたこともあり、母と兄たちがそれを必死になって削除要請してくれたという記憶がある。
大学生になってしばらくしてからTwitterを始め、そこでは主に知っている人とだけ繋がるようにした。
私は大学では日本文化についての学科にも関わらず、全く関係ない情報系のゼミに入り、ネット依存やゲーム依存について調べた。
卒論は「選挙活動におけるTwitter利用について」。当時政治家でTwitterを利用している人はそこまで多くなく、取材を受けてくれる政治家の方とのコンタクトも取れたので、卒論制作は楽しかった記憶がある。
社会人になったくらいからInstagramが流行ったのかな。もちろん便乗もして、今も3つアカウントを持っている。(今月で1つは閉鎖、あとはプライベートとオープン用)
最近人狼を始めたことをきっかけに、Twitterのアカウントも増やした。
増やしたアカウントは人狼関連で知り合った方やnoterさん、その他ゲームアプリを通じて情報交換してくれる方、という感じで、オープンにしている。
noteももちろんSNSのひとつと捉えていいだろう。
仕事として情報を載せている人もいるけど、私は私の世界だけ。小説を書くわけでもなく、ただ感じたことを徒然と。
「生産性がない」と言われたらそれまでだけど、身近なSNS嫌い/理解しようとしない人にそう言われて、結構がっくりも来た。
SNSでの誹謗中傷やデマなどによる被害は
止め処なく起こっているのは知っている。
心無い言葉は相手が見えないからこそ簡単にぽんと言えて、言った本人はそれを放った瞬間に、言ったことさえも覚えていないだろう。だけどその言葉を受けた人は、ずっと心に傷を負う。
「そんなの気にしなければいいのに」と放った側は言うかもしれないが、人間そんな簡単なものじゃない。悲しみや傷は、たとえ癒えたとしても残り続けるものだ。
私自身、去年似たような恐怖を感じた。
世界の狭さを感じた。
それはInstagramで起きたことだったので、その時Instagramは全て閉じてしまおうか本気で迷った。だけど「ましろの世界観が好き」と励ましてくれた友人たちがいてくれたことで、思い留まった。思い留まりながらも、ずっと色んなことを考え続けた時にこの言葉に出会った。
『だめなら逃げてみる - 自分を休める225の言葉』 小池一夫著 2018年
この言葉を見た瞬間、
今の私に言ってくれているんだと感じた。
SNSで起こる事件や悩みは加害者にとっても、被害者にとっても、現代病と言えるだろう。
だけど、その一方でSNSに救われることだってたくさんたくさんある。
これはSNS嫌いな人には分かってもらえないだろうが、SNSで受けた傷を、SNSが癒すことだってできる。身近な人ではないからこそ、相談できたり、本心を曝け出せる場面もある。
私自身、それぞれのSNSにおいて、怖い思いもしたけれど、その一方で救われる場面にも出逢ってきた。
SNSは、顔の見えない人との対話。
それが悪い方向に作用することもあれば、
良い方向に作用することもある。
そして結局SNSの向こう側には"人"がいる。
相手がいい人か悪い人かなんて分からない。
"だから怖いんだ"という教育ももちろん必要。
けれど、それだけが全てなわけじゃない。
薬と一緒。
用法容量をしっかり守って、
自分自身も節度と敬意を持って、
SNSの向こう側の人に接すること。
見えない相手だからこそ、自分は良しとして書いたものをどう受け取るか分からない。
ただの文字だけでは伝わらないニュアンスだってたくさんあるから、全てが自分の思った通りに伝わっている、受け止めてもらえると考えるのはやめよう。
だって私のこれらの言葉のどこかで、心を痛める人もいるかもしれないから。
私がふと発した些細な言葉で、誰かが傷つくかもしれない。
言葉は時として針となり、刃となる。
そのことも忘れちゃいけない。
だからもしもこれまでの私の記事や言葉であなたが心を痛めたら、教えてほしい。私はそれをきちんと受け止めて、謝って、反省したい。
そして10人傷つけた人を5人に減らし、3人に減らし、1人に減らし、いつかは誰も傷付かずに済むように、見えないあなたも大切にしたい。
私はあなたが感じるほどいい人なんかじゃない。考えはどこかねじ曲がっていて、強欲で、貪欲。
だけど、受け止める覚悟はある。
SNSは怖い。だけど、怖いだけじゃない。
世界は怖い。だけど、怖いだけじゃない。
言葉は怖い。だけど、怖いだけじゃない。
人は怖い。だけど、怖いだけじゃない。
まとまっていないこの文章も、
きっと誰かが感じてとってくれるはず。
いつも読んでくれて、ありがとう。