優しさの話【前編】
「優しさ」について、書き残しておきたい。
30代に入って初めて考えた大きな壁だと思う。
幾度となく、出会う人から「優しい人」と言われ続けたその意味が、心のどこを掬っても見えなくなって、私の『優しさ』はある日、枯渇した。
ごく自然に、人は優しいものに触れたいと思う。
親切にされたり、思いやりのある行為は、人に安心感や自信を与える。
人間関係を築き維持するため、とても重要な役割を果たしている。
私は物心ついた頃から、人に喜ばれることが好きだったそうだ。
「ありがとう」と言われると、とても嬉しそうにしていたと母は教えてくれた。それを知ったのは最近で、それまでは両親の教えが大きかったと思っていた。
誰しも「人に優しく」という教えは受けると思う。ただそれが両親がクリスチャンだった影響もあり、人に対する振る舞いや行いを常々意識していた。
困っている人を助け、導き、共に歩む。この流れは小学生の頃にはもう出来上がっていた。それを実践している私のことを、みんな口を揃えて言った。優しいね、と。
自分の非力さ、無力さに打ちのめされたこともある。
自分の力では助けることができないとき。導く先があっても本人が動けないとき。
その時はまだ10代で、幼さが何よりも悔しかった。本人も同様だったと思う。どうしようもない現実を、ただただ受け入れるしかなかった。
一緒にいることだけを選んだものの、自分に出来ることがあまりに少なくて、私は悔しくて悲しくて仕方なかった。
20代になった時は、教えられたこと全てが嫌になった。
人を初めてぞんざいに扱い、傷つけたりもした。許さず、恨んだ。与えられた相手なりの思いやりを、冷たく鼻で笑っていた。当時のことを知っている友人からは、言うて私はそんな悪いことはしていなかったと話す。なぜなら、相手が受けるだろう言葉のダメージを自らも受けていたから、だそうだ。だから私は優しいのだと、友人は言った。
人を(意図的に)傷つけた経験をした私は、結局優しさを手放すことは出来なかった。そして意図的に傷つける行為は、自分のためでしかなかったことを知った。もう二度としないと心に決めた。
30代になり、自分が歩んできた過去を遠い目で眺めるようになった。
そして環境が変わり見えるものも変わったとき。改めて気付いた。
この世界はあまりにも傷ついている人が多すぎる。
ネットの世界では特にその傷を見ることが多い。日常では隠したいことだからかもしれない。傷ついていることにも気付かない人もいる。傷ついていることに気付きたくない人、傷ついていると知られたくない人も。
この事実に私は虚しさすら感じ、同時に線引きが必要だと思った。
30年生きてきて、蓄えた経験や知識をいくら持ち合わせていても、私は出会う人すべてに手を差し伸べることは出来ない。その現実を受け入れる必要があった。
私が思う優しさとは。
人を大切にすること、思いやりを持ち、親切にすること。
困っている人を助けてあげること、支えてあげること。
共に歩み、生きていくこと。
私たちには、優しさが必要だ。
それは人に対しての優しさ。
そして人からもらう優しさ。
だから人に優しくする人に知って欲しい。
自ら生み出す優しさには、限界があるということ。
そしてその優しさが、時に形を歪めることがあるということ。
私は、優しくあろうとする人を守りたい。
だからこの記事を書こうと思った。
これが前置き。
長いなんて思わないで欲しい。
30年注ぎ込んだ私の優しさは、捨てたくても捨てられなかった、
私自身そのものでしかないのだから。
後編を読むにあたり、注意点がある。
・あくまでも経験からくる私個人の主観であるということ
・全てがパターン通りではないということ
・見方によっては否定されたような気分になる恐れがあるということ
上記の点を了承してくださった方に、読んでいただきたい。
私も同じ覚悟をもって、続きを書こうと思う。
どこかの誰かのために。