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「音声合成ソフト」文化という名のアイデンティティ。
※このnoteではボカロP名を、敬称略させていただく。
あいのうたをご存知だろうか。
そもそも、VOCALOID、そしてUTAUをご存知だろうか。
あいのうた。
2023年8月7日、YouTubeにて公開された一曲。
歌うのは、VOCALOID初音ミクとUTAU重音テト。
大漠波新が 創ったうた だ。
その楽曲、歌詞の中に強くこだわり抜かれたメッセージを感じるのはもちろんだが、わたしは曲中、MVの中に目に見えるようわかりやすく込められたメッセージに対して…何と言ったらいいだろうか、平たい表現だが衝撃を受けた。
わたしとVOCALOID、UTAUの出会いはもう10年以上前に遡る(のは驚いた、時の流れは早い)。
初めて聞いた曲はsupercell、ryoの「ワールドイズマイン」。機械音声とは思えないほどの調教技術。自分の幼さもあったとは思うが、すんなりと耳に入ってきた。
しかもなんて可愛い歌詞。ワガママツンデレお姫様、最強。
自分でPCを触るようになりYouTubeでひたすらVOCALOID楽曲、というよりはその創作MVを漁ることが楽しかった。「ワールドイズマイン」「メルト」「ブラック★ロックシューター」「初めての恋が終わる時」、supercell作品からどんどんと手を広げ、「悪ノ娘」シリーズや「下剋上」「ココロ」など鏡音作品を通じて"ほのぼのシリーズ"から「暗い森のサーカス」が怖くなく見れたし、「人柱アリス」は家族に心配された思い出があるし…。
初めて買ってもらった音楽プレーヤーに入れた初めてのアルバムはsupercell。「くるくるまーくのすごいやつ」「嘘つきのパレード」「その一秒スローモーション」はよく聞いたなぁ。
鏡音リン・レンのVOCALOIDソフト、UTAUでデフォ子や重音テトを実際に触ったこともある。ピアノの試し弾きみたいに、既存の楽曲通りに音を並べることしかしなかったが。
思い出を振り返れば、こんなにも、これ以上に蘇ってくるものがある。
1つの声からたくさんのセカイが広がるその文化に、わたしはそう、カルチャーショックを受けたのだ。
だがあの頃の世間は狭かった。アニメ、マンガは今と異なる"オタク"文化だった。"一般"からは敬遠された。当時も、わたしはその抵抗感を否定する気は無かったが、かなしい気持ちを感じたことはもちろんあった。し、好きなものを好きと言えないことにもどかしさを感じたこともあった。
ならあたしの声を使えばいいよ
人によっては理解不能で
「なんて耳障り ひどい声だって言われるけど」
きっと君の力になれる だからあたしを歌わせてみて
そう君の 君だけの言葉でさ
それでも。たくさんの人がたくさんのセカイを載せてくれた。その声は楽曲制作に留まらず、絵師さん、歌い手さん、いろいろな軸にセカイを増やしていった。
おかげでわたしは大好きな絵師さんに出会えたし、大好きな絵師さんが手がける楽曲を通じていろいろな楽曲を聴いたし、芋蔓式とでも言うのか。とてもいい意味で、根が深く広く張り巡らされ、結びつき合い、手を取り合っていたようなイメージだ。
それがどうだろう。数年前には「衰退」の文字が蔓延った。花が咲き乱れていたあのセカイは砂漠になってしまった。自分もその頃を境に、そのセカイから離れてしまったような気がする。
それがどうして今になって、その砂漠に新たな生命が芽吹いたのか。
長くなってしまったが、冒頭に戻る。
まず、この曲を聴いて、見て、泣きそうになった。記憶違いで実は泣いていたかもしれない。
曲の途中にて背景に、さまざまなVOCALOID楽曲のサムネイル画像が散りばめられる。他のMVでもそういった表現はあるが、そんなのオタクは間違いなく大好き過ぎるだろう。ずるい。
それぞれの楽曲が持つパワーは凄まじい。大きなセカイが衰退しようが、新たな生命が芽吹こうが、そこに確かに一つひとつのセカイが残っている。
秘密基地に集まって、あの頃思い出して話をしようとコメント欄が賑わう。
愛を謳って、謳って、雲の上に行ってしまったあの人達のことだって、今も多くの人がもう一回、もう一回と声をあげ再生を繰り返す。
まさに永愛だ。
それはすべて、人が紡いできた のだ 。と、この「あいのうた」は教えてくれた、ような気がする。
こうしてnoteを書くわたしは文書を作成している。絵も描くし、歌やダンスは下手だけど好きだ。
ただ、何百万、何千万とのデータが数秒で生み出すものと、たったひとつの生命がその生涯をかけて生み出すもの。
未来も嘘も、こんなかたちにしてきたのはわたしたちだ。
「正しい進化の在り方を止めることはできないし止めてもならない。」衰退があれば発展もある。消失もどこかの世界線ではあり得た話だ。
そうさせるのは、わたしたちがどこに文化価値、アイデンティティを見出せるかにかかっているのではないか。
何故なら情熱は本能で作動する
時間は止まらない 時間は戻らない
時間はただ進むだけ
終わらない唄を叫ぼうか