おめかしの毛ぎらい

なぜ私がお化粧をしないのか
そして服にこだわらないのか
おしゃれを毛嫌いしてるのか

これには心理があることが分かった

本当はお化粧だって可愛くしたいし
服にもこだわりたいし
筋トレした美ボディになりたいし
圧倒的に自分の美しさを追究したい

その一方でそれを止めている僕がいる
きっとそれは何かを恐れているから

お化粧をして服にこだわって
美しく可愛い私になったら
不都合なことがあると思ってるから

それは何なんだろう

僕は考えました

可愛くなることを一旦オメカシってことにします

オメカシすると
きっと自分に怖いことが起きると思ってる
オメカシをすると目立つんです
可愛くなってしまうんです
それが怖いんです
なぜでしょう
可愛くなるとどうして不都合なんでしょう
可愛くなると僕の心の奥の奥が不安になるんです
内気な僕と目立つ僕が葛藤するからでしょうか
目立つ僕として接せられることが嫌なのかもしれません
僕はこんなにも内気だったり考えやすかったりするのに
それを否定している気分になるからかもしれません
どうして目立つ僕が嫌なんですか
どうして目立つと不都合なんですか

オメカシをしないことによって
心の奥が不安がることを避けている?
他に何を避けているんだ?(分からないーーー!)
そして
オメカシをしないことによって
目立つことを避けている?
評価されることを避けている?

僕は僕が目立つことによって
社会に評価されるのが怖いのかもしれません
順位をつけられるのが怖いのかもしれません
そしてそう思うのは
僕自身も同じように他者を評価しています
そんな自分を嫌だなーって思う時もあります

美しい自分になったらどうしても目立ってしまう
だって可愛くて、スタイルが良くて、愛嬌があって、変な部分もあって、真面目な部分もあって、お酒が好きで、たまに酔い過ぎると道路に寝転んで、勉強もできない方じゃないし、天真爛漫っぽいって言われても哲学チックだし、声も可愛いし、髪の毛もサラサラだし、世間の荒波に弱いし、いろんなお仕事やってきてある程度いろんなおもしろい世界を見てきたし、日本の底辺みたいな暮らしもある程度してみたし、芸術的才能もあるし、筋肉付きやすくて鏡見るとなんて美しい体なんだろうって思うし、
もしこういう人間っぽい愛くるしい自分が
もしこんなに素敵な女の子が
さらに美しくなったら
否が応でも目立ってしまいます

でもそれには必ず評価がつきもの
それに耐えられる自信がないのかもしれません
だから世に言う順位がつく物事から避けようとするのかもしれません
心の中でも分かってます
僕はエマ・ワトソンじゃないけど
僕は橋本環奈じゃないけど
それでも僕は僕で
僕ってやっぱり美しくて眩しいのです
何でなのでしょう
こんなにも欠点があるのに
誰かになりたいとは思わない
僕でよかったと思うのです

そしてそんな僕は
オメカシしてなかったら言い訳ができます
もし何かうまくいかなくても

だってオメカシしてないから仕方ないよねって

でも本心で生きるっていうのは
そんな評価のある中でも
どんな評価をされたとしても
それはそれとして
僕自身でいることに無防備でいること
なのかもしれません
オメカシしたいならする
それで堂々と評価されて
それをニヒヒと嬉しがる
ただそれだけだったんです
結論、美しさを追究できる状態というのは
僕にとっては自然な状態だったのかもしれません

みる

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