「運も実力のうち」という言葉

この言葉に救われたこともあれば
足元を掬われたこともある。


大嫌いな言葉だが、涎を垂らして求めることもある。


必要悪なのだろうか。


今日の私は、運がなかった。
運も実力のうちならば、実力がなかったということだ。

だが、運で獲得した報酬は、たとえ自分の能力でもぎ取ったものではなくても、実力として評価され、そしてそれを甘んじて受け入れ、多少の喜びと満足感を得る。

矛盾しているが、そんなものなのだろう。

そんな環境にいる自分自身が嫌いで、醜くて、そして許せない。
だが、どうすることもできない。

だから、「運も実力のうち」という言葉を、『必要悪』として処理する。

そして、また自分自身を嫌いになる。
内臓を全てズタズタに切り裂いて、出血し悶絶しながら亡骸となっていく様を、科学的には根拠のない、そして、おそらく役立たずで高の棒な「神様」とやらに見てもらいながら、絶命したいと心の底から願った数秒間が、今日確実に存在した。

だが、愛する妻がいて、妻と過ごす時間がとても尊く、こんな自分と共に過ごす時間を「幸せ」だと感じてくれる妻のためにも、神にその姿を見せるタイミングは今ではないと、脳みそでしっかりと理解し、そしてコントロールできている。

とりあえず、家に帰って「ただいま」と妻に言うことを目標に、帰宅するまでの時間を過ごす。

そんなことをnoteに書いたところで、なんの意味もないことも脳みそが理解しているが、心臓が理解してくれないので、ハイボールを一気に飲み干したタイミングで、胃の中のものを吐き出す代わりに、いや、胃袋そのものを腹から取り出すかわりに、noteにしたためた次第である。


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