御年93歳を迎えるフジコ・ヘミングさんの「革命」を生で聴いて感じたこと
こんにちは、ドイツに住む移民 ちぎらです。
先日なんと、かの有名なフジコ・ヘミングさんのピアノリサイタル(in マンハイム)に行ってきました。
92歳というご高齢にもかかわらず、今でも世界中でバリバリ活動されているフジコ・ヘミングさん。
今回の開催場所のマンハイムと、わたしが住んでいるハイデルベルグは電車で20分ほどのご近所さんで
今回は幸運にも、同じくハイデルベルグに住む日本人の友人からイベントのお誘いの連絡をもらいました。
実はフジコ・ヘミングさんは毎年この時期にマンハイムでピアノリサイタルを開催されているとのこと。
チケット代はなんと、驚きの15ユーロ。
あり得ないくらい円安になっている最近の為替で言っても、日本円にして2,400円ほど。日本で彼女の演奏を聴こうと思ったら、一番安いチケットでも6,000円はかかります。
知らなかったのですが、フジコ・ヘミングさんはドイツ・ベルリン生まれなのだそうです。ドイツにゆかりがあるとして、それでもなぜマンハイムでこの破格の値段で毎年リサイタルを開催しているのか…。
何かしらの縁があるとしか考えられませんが、今回誘ってくれたドイツ歴4年の友人(ピアノに詳しい)もそこまでは分からないようでした。
ここで少し、筆者のピアノ事情をお話すると
「小学生2年生くらいから中学2年生くらいまでピアノを習っていた。ピリオド。」といった感じです。
辞めてからというもの、すっかりピアノ演奏は遠い存在になってしまいましたが、いまだにピアノやクラシックを聴くのは大好き。
とはいえ
じゃあ、この曲ってなっていうの?作曲家はだれ?
と言われたら、あさっての方向を向いて口笛を吹く自信しかありません。
なんだって?こいつはピアノについてほとんど知識がないくせに、フジコ・ヘミングさんの音楽をこれから語ろうとしているのか?
そんなお叱りの声が聞こえてきそうです。でもそんな声は気にしません。
だって、べつにいいじゃない素人が語ったって!!!
という長い前置きを終えたところで、さっそく当日のお話をしていきたいと思います。
今回の会場は、マンハイム駅からも近いBaroque Palace Mannheim(マンハイム城)の中にあるThe Rittersaal(騎士の間)。
実はマンハイム城はヨーロッパにおいて、ヴェルサイユ宮殿についで第二に大きいバロック宮殿として知られており、今は宮殿の大半がマンハイム大学のキャンパスとして利用されているそう。
大学のキャンパスがバロック宮殿だなんて、なんて贅沢なの…。
中に入ると、まるで舞踏会場のよう。
外装では若干少し慎ましい印象を与えながら、内装はゴリゴリ豪華
というギャップ技を披露してくれます。
あれ、白馬の王子様とダンスをして、恋に落ちるために今日はここに来たんだっけ?
と思わず勘違いしてしまいそうです。
そのゴリゴリを超えてきたのが、今回の舞台 ”The Rittersaal(騎士の間)”。
めちゃめちゃシャンデリアーン…。
思ったよりも部屋が小さく、観客席も80席もなさそう。
ピアノも観客席のすぐ前です。
「いいのこんな目の前でフジコ・ヘミングさんの演奏を聴いても!?」
こんな近くで演奏が聴けると想像していなかった筆者は、どんどん心が高鳴るばかり。
日本語がちらほら聞こえてきたので、日本人の方もやはり結構いる様子でした。
服装はフォーマルな方もいればフランクな服装の方もいて
ピアノコンサートといえど日本とは異なり、そこまでカチッと決めてこないのがまたドイツらしい。
さて、会場の感想はここまでにして。
演奏開始予定時刻になり、普通にバラエティー番組に出演していそうなほどテンションの高い司会の方の挨拶(ドイツ語ゆえに何言ってるか全然分からなかった)が始まりました。
少しして他の観客の方が拍手をし始めると、横のドアから出てきたのが、歩行車とともに腰を曲げながら歩いてくるおばあさま。
そう、フジコ・ヘミングさんです。
ドレスの裾持ちのスタッフの方とゆっくりピアノの椅子まで移動し、席に座ると5行ほどの短い穏やかな挨拶をされるフジコ・ヘミングさん。
司会の方とのテンションの高低差がなんだか微笑ましく、顔の筋肉が緩んだ瞬間、すぐに演奏が始まりました。
今回の題目は
ドビュッシーの『月の光』、リストの『ラ・カンパネラ』、そして今回の記事の主役、ショパン『革命のエチュード』などを含む計12曲で、やはり超絶技巧と言われる曲がほとんど。
演奏が始まるとあることに気づきました。
その小柄な姿に不釣り合いともいえる、厚さと安定感のあるがっちりした手。その手が、まるで別の生き物のようにピアノの鍵盤の上をうねるうように動くのです。いや、うねっているのは手じゃない。手首の高さは変わらないのに、指だけもの凄い勢いでうねっている。
92歳でこんなたくましい手を持っているのは彼女くらいじゃないか…。
フジコ・ヘミングさんの演奏に対しては
”音の一つ一つが心に響いてくる”
とよく言われるようですが
どの演奏でも「なるほど、フジコ・ヘミングさんの演奏を生で聴いたことのある人はこういうことを言っていたのだな。」と言わざるを得ない”心を揺さぶられる感覚”を体感しました。
そのなかでも今回『革命』について書きたいと思ったのは、
単純に一番印象に残ったからです。
もう少し格好のつく理由をを挙げたいところですが
本当のことなので仕方ありません。
この作品は、ショパンの祖国であるポーランドでがロシアによって鎮圧されたときの強い怒りと悲しみが表現されていると言われています。
通説どおり、これまで聴いたことのある『革命』は”焦燥感に溢れた衝動的かつ爆発的な怒りと悲しみ”という解釈一択だと思っていました。
しかし、演奏が始まった瞬間、お?と思ったのです。
聞いたことのある『革命』と違う...。
ピアノ奏者の数だけ、それぞれの『革命』がある、というのは当然ですが
彼女の『革命』から伝わってきたのは、衝撃的というよりは、どっしりと重く、じわじわとえぐられるような感覚で
怒りというより、憎しみ。
悲劇というより、ホラー映画。
『自分より困っている誰かを助けたり、野良(猫)一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。』
『間違えたっていいじゃない。機械じゃないんだから』
などの多くの名言を残しているフジコ・ヘミングという人物像と
その やわらかい たたずまいからは、今回聴いた『革命』で感じた感情は到底浮かんでこないがゆえに、正直、意表を突かれた思い。
とはいえ彼女の波瀾万丈な人生を考えてみると、腑に落ちる気もしないでも...いやたしかに腑に落ちまくりです。
まるで「いいえ、わたしは自分の人生の中で起こった苦しい経験を忘れなんかしないわ」と嘲笑うかのように心臓に迫ってくる鈍い感覚。
彼女にとって『革命』は怒りと悲しみを通り越した”憎しみ”を表す曲なのか。
92歳というご年齢で憎しみを表現するときに源となっている彼女の原体験はなんだったのだろうか。
そんなことを考えさせられる演奏でした。
フジコ・ヘミングさんは楽譜なしで演奏することが多いようですが、当日も例外でなく
彼女がピアノの前に見ていたのは、小さな紙きれだけ。
どうやら題目が書いてあるようで、各演奏の前にどの曲を次に演奏するか、確認…いや、選んでいるようでした。
一応、決まっている題目の順番はパンフレットに記載されているのですが、実際に演奏された題目の順番はほとんどパンフレット通りではありませんでした(笑)
コンディション(あるいは気分?)によって、次の演奏曲を選んでいるようです。
最後に残ったのはショパンの『幻想即興曲』。
最後の演奏前にその紙きれをじっと見つめたあと
その紙きれを閉じ、胸元に静かに閉まったその所作がなんとも美しく思わずため息が出てしまうほどでした。
92歳というご年齢でも、ピアノとその生きざまを通して、こうして世界中で人々に感動と勇気を与えつづけているフジコ・ヘミングさん。
絶望に苛まれるような出来事も多かった彼女の人生ですが、つらい経験をたくさん乗り越えてきたからこそにじみ出る彼女の美しさを見ていると
わたしも、何があってもいくつになっても、希望を持って挑戦しつづけ、そして自分の人生を楽しめる人間でありたいと思いました。
92歳のわたしは、どんな風に生きているのだろう?
いや、どう生きていたいのだろう?
みなさんはどんな92歳でいたいと思いますか?
ぜひコメント欄で教えてください!
それでは今日はこの辺で。Tschüss! (またね!)