音楽がどれだけ美しくても、脳の外側に追い出される
人生に良いことなんかない。いつだって冴えない1日しか送れないし、本当に親友と呼べる人だって、愛してくれる人も存在しない。与えてないんだから当然なんだけど、与えてみようとして与えられていないんだから余計に苦しい。真似事が上手く行った試しなんてない。世界に1人だけという感覚がいつも付き纏う、嫌でしょうがないけど、どうにかする手段なんてない。ないと思い込んでるだけなのかも。嫌だけど成功するか分からないことを頑張る気力なんて無い。
音楽だけが美しい。音楽のことなんて何も分からないけど、くだらない自分でも慰めてくれる。生きても良いんだと思わせてくれる。繰り返し聴く。聴いてる時の季節や場所と音が結び付く。より自分の中で特別な音になる。自分に何も無くても本当に音楽は美しい。
でも、頭がゴミでたくさんになる。自分の欲が満たされないというゴミ。それを捨てたくて音楽を聴く。聴いても聴いてもどうしても捨てられない。今だけは忘れてこの瞬間を楽しむ!なんてどうしてもできない。どれだけ美しくてもゴミに邪魔される。ライブが好きだ、しょうもなさすぎる日常の反対にあるようなあの場所が。イヤホンの音で救われてるのだから、演奏で生まれた生の音を聞けばもっと素晴らしい体験が待っていると信じていた。実際は、ゴミがいつでも付き纏う。ライブはほんの数時間。その間でもずーっと付き纏う。くだらない自分には音楽が全てだと思っていた。実際は努力もいらずに手軽に自分を慰められる方法で楽をしていただけなのに。でも、それでも、音楽は本当に美しいと思う。この世の全てのように思える。俺にもその美しさを宿したい。
欲の満たし方なんてわからない、分からない、分からない。誰も教えてくれない。誰もいないのに。
人との付き合いなんて自分の気持ちと相手の気持ちなんだから、自分の望み通りに行くのは半分だけのはずだ。落ち込む理由なんてないはずだ。でも俺たちはこんなにも落ち込む。傲慢かな。こんなに悲しくなるなんて。自分の考え方を変えるべきなのかも。なんでこんなに対価を求める脳の作りになってしまってるのだろう。与えたい、与えたい。見返りが欲しい。それが無いととても動けない。自分を愛したい。自分が一番大切だと思いたい。いつも他人の目ばかり気にしてしまう。
いつも自分の問題だ。人間関係なんて。なんでこんなことで悩まなくちゃいけないんだろう。いや、俺たちにとって、もしかしたら人間関係が全てなのか。それも自分のことなのか。この思考の構造の欠陥を、どうやったら直せるんだろう
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