[ 言葉の繊維 ] 10. 稲富公民館(糸島の星空)
旅は空気を感じさせてくれる。
福岡で飛行機から降りたとき。
岐志漁港で潮風を感じたとき。
風情ある建物が残る前原商店街を歩いたとき。
気温。風。匂い。音。透明感。
その土地の空気の肌触りというか感触は、
体全体で感じるときもあるし、頬で感じるときもある。
撮影のそれもまた独特のものであった。
映画「糸」の主人公である「絢」を演じる
田中美里さんがおなじ空間にいる。
糸島で生まれ育った絢は、上京して傷つき戻ってきている。
そんな絢が、人々が集まる会で前にでなければならなくなるシーンだ。
絢が呼ばれる。
田中美里さんが立ち上がった。
現場の空気が変わった。
ただ、立ち上がっただけなのに。
そこには、とまどう絢がいた。
僕は一瞬で映画の世界に連れていかれた。
視線や指先。
佇まいや表情が、不安、動揺、困惑、わずかな抵抗を示していた。
言葉はいらなかった。
撮影を終え、わずかな外灯をたよりに、集まった方々が帰っていく。
田中美里さんは丁寧にお礼を伝えていた。
その後、ロングコートに身を包み、一人夜空を見上げていた。
自分が感じたことを伝えたい。
熱くなっていた僕はそう思った。
「田中さん。かっこよかったです」
「えっ?かっこよかった??」
目を丸くして田中美里さんが僕を見た。
あがり症である。
人とコミュニケーションをとりたいと強く思うときほど、
相手にとっては唐突なときがある。
学んでいたはずだった。
頭が真っ白になって、もうなにを話したか覚えていない。
ちょっと困っていたけれど、笑顔でいてくれたように思う。
覚えているのは、一瞬で映画の世界に連れていかれた感覚と、
撮影後にロングコートのポケットに手をいれながら身を包み、
星空を見上げている田中美里さんだ。
糸島の夜は静か。
空気は澄んでいた。
(写真は物語にもでてくるバス停です)
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