私が顔面のコンプレックスを捨てるまで
最近、私は自分の容姿が優れていると認めることにした。
別に、女優さんになれるわけでも、モデルさんのように容姿でお金を稼ぐこと、お金を稼ぐための方法の1つとすることが出来るわけでもないが
私は私の顔が美しいと思うようになった。
まず1つの要因は、肌が綺麗になったこと。
30年ちかく、多分15年は確実に自分に合った化粧品に会えてなかった。
冬になると肌が剥がれ落ちたり、赤くなったり、ニキビで大荒れしたこともある。
そんな超絶敏感肌でそのわりにターンオーバーの早い肌に合った化粧品をようやく見つけたのだ。
その化粧品との出会いはまたの機会にして、フォーカスは私の心に移ろうと思う。
私は小学生に上がるまで自分は美人だと思っていた。可愛いと言われることが多かったからだ。
小学生高学年の時に親友となったOというブスによってその価値観は崩された。
彼女は私を自分がいかに優れているかの踏み台にしたし、馬鹿にされたし、何も出来ないというように批判された。
今にして思うと彼女は団地育ちのブスで、リア充を気取っていたが大学に入っても彼女の容姿で周りに振り向かれることはなかったように思う。
そんなOのイジメや言葉の力、そして思春期から家族に容姿を否定されること、肌荒れや友人関係がうまくいかないこと、そういうものが重なって私は自分の顔が嫌いになった。
写真に写るのも大嫌いだったし、丸顔も厚い唇も、写真に写ると大きく見える顔も嫌いだった。
社会人になって、化粧を覚えて美人と言われるようにフルメイクで通った時もあるが、肌が弱くてニキビだらけになってボロボロになり、自分の容姿にますます自信をなくした。
去年まで、約5年くらい居た場所で年上のブスのリーダーに容姿について、メイクについて、服装について、色々と言われるようになりパワハラを受けてから、私はメイクもしないし、服装も適当になった。
そして、一年前私は、全てが嫌いだった。自分の顔も、体も、肌質も心も。
けれどもカウンセラーと主治医と、あなたは美人よと言ってくれる親友や、可愛いよ大丈夫と言ってくれる友人の力を借りて私は胸を張るようになった。
私は可愛い。だれがなんというおと、否定しようとも、肌は美しいし色白でキメだって細かい。
スタイルははっきりいってその辺のグラビアアイドルより抜群だ。
お陰で変な人が近寄ってくるけれど、それは私の容姿が優れて、私のユーモアに惹かれてくるから。
たまにニキビだって出来るし寝癖もたっている。それでも私はおしゃれだし胸を張っている。
周りがどう思おうと、私は私らしく美しくあれればいいのだ。
ちょうどいいブスなんて言葉を見かけて、この卑怯な言葉は、ブスの言い訳だなと思う。
誰がなんと言おうと、自分が美しいと思い努力すれば、それは美しいのだ。
ブスであること、それは醜い言い訳をしているだけだ。
私はコンプレックスがあり、弱い女で、どうぞ私を消費して利用してくださいと言っているようなものだと思う。
私は、美人でありたい。