アフィリエイト、WEB制作、コーチング・・・もがいて葛藤して、たどり着いた【強みを見つける質問の専門家~プロフィール】
初めまして!「強みを見つける質問の専門家」山口です。
私は現在、自分の強み活かしてオンリーワンのビジネスを創るビジネスコーチとして活動しています。
今年で起業歴は11年目になりますが、コーチングを学び始めたのは約3年ほど前からで、40歳を超えてからです。元々はアフィリエイトで起業して、その後、ホームページ制作や個人事業主対象のWEBの集客のコンサルタントをやっていました。
たまたまコミュニティで僕のメンターであるコーチに出会い、強みの質問をすることで自分の価値観に合った生き方、働き方ができるようになっていきました。
結果、自分の強み活かしたコーチングを実践していったところ、
・ライバルと差別化できたことでお客様に選ばれ続ける=売上が安定
・売り込まなくて高単価のコーチングが契約が獲れる
・リピートや継続率がアップ
と、強みを見つける質問のお陰でアフィリやコンサル時代の労働時間は半分に減り、売上は2倍以上になることができました。
また、収入面以外にも価値観に合った働き方、生き方が見つかったことで、
・自分の価値観に合ったお客様とだけ仕事ができるのでストレスフリー
・他人との比較や周りの目線が気にならなくなった
・人生に迷いがなくなり納得感を持てるようになった
・仕事にも自分自身にも自信が持てるようになった
という感じで、自分の人生の目的や生きる指針が出来たことで、精神的にも余裕が持てるようになっていきました。
こんな感じで紹介すると、一見、順風満帆に思えるかもしれませんが、
そこまでの道のりは、
・日光蕁麻疹
・高校中退
・転職20回以上
・借金生活
・倒産危機
など、「金なし、学歴なし、キャリアなし」のないない尽くしの人生でしたΣ(゚д゚lll)
そんな私のこれまでの経歴を振り返りながら、私が現在どんな想いで仕事に向き合っているのか、そして、何を目指しているのかについてを書いてみたいと思います。
ひとりぼっち&日光蕁麻疹、そして高校中退
今までの人生の中で谷底期だった転職時代や倒産危機の時のお話をする前に、まずは高校時代から遡りお話をさせて頂きます。
今でこそ自分のことを情報発信している私ですが、学生時代は全く自分のことを人に話すことなどなく、人付き合いも苦手な子供でした。
高校に入った時は、同じ中学から一緒に入った男子は1人だけ(しかも、仲ほぼ話したこともない)で、自分から話しかけるタイプでもない私は入学式以後、どんどん友達ができている同級生を横目に完全に孤立していきました。
弁当食べるのも当然1人、学校から帰宅するのも1人、休み時間も何もせずに机でボーっと何か考えているふりをして時間が過ぎるのをひたすらやりすごしていました。
他に孤立していた象徴的な話としては、文化祭を休んだ次の日にクラスに行くと、自分の机と椅子がなく(倉庫に一旦移動していたため)
しかも、クラスメイトはもちろんですが、先生もそれを放置(というかクラスで浮いている私を先生はあからさまに嫌っていたので無視ですね)というような状況でした。
学校行っても机も椅子もない。というか居場所がない。
そんな私は、精神的にストレスを抱えていたのか、突然、日光蕁麻疹(光線過敏症)という病気になってしまったのです。
ちなみに日光蕁麻疹とは、太陽にあたると露出している肌の部分に蕁麻疹がでる症状で、ひどい場合はやけどみたくただれることもあるそうです(僕はそこまでひどくはなかったけど)。
なので、体育の授業や部活はもちろんですが、登下校は夏でも長袖&帽子&できれば日傘をささなくてはいけないと医師から言われました(余計に浮きますよね)。
幸い病気が発症したのが夏休み期間中だったこともあり、とりあえずは、そんな目立つ恰好で学校に行く必要には迫られなかったのですが、僕的にはクラスでの孤立に加えて、さらにそんな病気まで持ってしまって、完全に心が折れかけていました。
で、結局、高校1年の夏で高校を辞めることにしました(実際には中退するまでに家出や両親とのケンカなど色々あるのですが長くなるので割愛します)
「なんで俺、こんなことしてるんだろう・・・」で、転職を繰り返す
高校を辞めてから調理師専門学校、そしてちょっとしたニート期間を挟み、大検(現在の高卒認定試験)を受けて大学に行くも1年で中退。その後、フリーターになり23歳で始めて就職をします。
※↑ここも色々とネタがあるのですが割愛。
初就職先は大阪の某飲食チェーン店。
専門学校が飲食系でしたし、フリーター時代にも飲食店でバイトして仕事に慣れていたこともありましたし、あとはお給料も良く、寮もあったのでこの会社を選びました。
ただ、実際に入ってみると朝は9時から仕込み、お店は23時に閉店してそこから片付けやレジ閉めなど全て終わるのが24時過ぎ。
休憩時間もお昼と夜の賄の食事の時間のみ(合わせて40分~1時間程度)。
さらにお休みは週に1日&半休があるのですが、その半休も9時に来て夜営業が始める前の17時に終わると言うわけのわからない半休制度(というか、8時間働いてるので、もはや一般企業の普通の出勤ですよね)。
また、肝心のお休みも月に1度の勉強会?みたいな集まりに駆り出さられる(本来は店長が集まる会なのに)地獄の日々。
月間の勤務時間が実質400時間近いという超ブラック企業でした(後からわかった話では各店舗の店長によりけりだったそうですけど)。
そんなとき、お正月の営業の前に足りない食材をスーパーに買い出しにいったときに、そのついでにちょっと10分くらいベンチで座ってボーっとサボってたんですね。
その時に、楽しそうにお正月の準備で食材を買い出しに来ているたくさんの親子連れを見ていると、何だかわからないけど、涙が出てきて、
「あー、俺は何をやってるんだろう。これがホントに俺やりたかったことなのかな・・・」
となんか無性に情けなくなってきて、その時には年が明けたら今の仕事はとりあえずやめようと心に誓っていました。
休みがなさすぎてお金を使う暇もなく、お給料はほぼ手つかずに残っていたので、そのお金で年明けに会社を辞めて東京へ引越ししました。
結局、初就職は3ヵ月半で幕を閉じることになりました。
それから、東京へ行き、ここから僕の転職人生が始まります。
ここも本来はめちゃくちゃ色々と辛い出来事があったのですが、割愛してざっと転職した職種だけを並べると
・宝石販売営業(昔のデート商法を使った営業)
・精密機器の営業事務
・自動車保険のオペレーター
・某公共機関の電話サポート
・NHKの受信料の委託営業
・アミューズメント施設の店員
・学習塾の教室長
・印刷会社の作業員
・飲食店(韓国料理、居酒屋、焼き鳥屋、ダイニングバー、日本料理店など)
などなど。
特に飲食店は転々としていて、入店後1日~3日程度で辞めたお店もあるので、思い出せないくらいの数の会社で働きました(まあ、それを働いたと言えるかは別ですが・・・)
正社員での転職回数は20回以上、アルバイト(単発含む)や派遣のお仕事を含めると50回以上は職場が変わっていると思います。
とにかく当時は、その仕事がやりたいわけではなく、ご飯を食べる為、生活をするための
いわゆる
「ライスワーク」
でしたので、ふとしたときに
「なんで俺こんなことしてるんだろう・・・」
と急激に辞めたくなってしまうのです。
※だからといって当時、別にこれといって明確な夢があるわけでもなく・・・。
だいたいの原因は人間関係と時間の拘束なんですが、他にも日々のストレスが積もり積もって、どこかでプツンと糸が切れる。
そんな感じの繰り返しでした。
さらに、転職をする際にどうしても辞めてから新しい会社で働くまでの面接→入社までのタイムラグが早くても1~2ヶ月、なかなか決まらない場合はもっと時間がかかるときもあり、
かといっていつ新しい就職先が決まるかもわからないので長期のアルバイトもなかなか入れられずに、その間に生活費がなくなりお金を借りる。
転職の度にその悪循環にハマり借金までできてしまう始末(300万)。
30代半ばまでそんな生活を繰り返し、気がつけば、
「お金なし、学歴なし、キャリアなし。」
ないない尽くしの人生を迎えていました。
そう、完全に私は社会不適合者でした。
今更ながら、当時はホントにご迷惑かけましたm(__)m。
ただ、今となってはこの谷底期がの悶々としていた毎日の中で自問自答した日々が今の自分の才能や思考を作り上げていく礎となり、今の自分を作ったと言っても過言ではありません。
そういった意味ではこの谷底期は「神様からのギフト」だったと思っています。
人生の転機~アフィリエイトとの出会い
借金も300万まで増えてきて、正直、これ以上、僕の仕事の状態、手取りのお給料ではどこもお金を貸してくれない(ちなみに借金は全部、消費者金融)状況で、生活もホントにギリギリでした。
なので、とにかくまずは借金の返済金だけでも仕事の給料とは別に稼がなくてはどうにもならない。
というこうとで、当時、働いていた派遣のお仕事が週に4日しか働けない会社だったので、空いた日で何か副業ができないか?とマンガ喫茶で色々と調べました。
そのときに、初めて知ったのがアフィリエイトの存在でした。
当時は自分で商品やサービスを作って売ると言うのはかなりハードルが高く感じたので、まずは「アフィリエイト」に取り組みました。
自分でブログを作って情報発信することでお金が貰える。
しかも、在宅で資金も要らないし、資格や特別なスキルもいらない。
さらに中には月収で数百万円稼いでいる強者もいるらしい。
僕はこの情報発信ビジネスを知った時に、
「こんな世界があるのか。なんて夢があるんだ!」
と思い、早速、家にあった中古のパソコンでブログを起ち上げて実践してみました。
実践するにあたり、とりあえず誰か参考になる人のブログを探そうと、怪しくない雰囲気で、なんとなく良さげな人で、稼いでいそうなブログを徹底的にリサーチをして、見よう見まねで記事を書いていきました。
すると、3日目にして53円の報酬が入り、
「あ、ホントにブログってお金稼ぐことできるんだ!」
とお給料以外でお金をもらった、自分で稼いだことがめちゃくちゃ嬉しくて今でも鮮明に当時の事を覚えています。
そこから、ブログで情報発信をすることにハマった僕は仕事から帰って寝るまでの間、約2~3時間毎日ブログを書き、仕事がない日には1日中ブログを書いていました。
もっといえば、勤務中以外の通勤のときも、
「今度はこんなことを書いてみよう」
と頭の中はブログを書く事でいっぱいでした。
そんな感じでブログを書く事にハマった私は、ブログ開始当月は3000円、翌月には1万5000円、3ヵ月目に3万円を稼いだときに、
「毎日、3時間で3万円稼げたなら、1日15時間やれば15万くらい稼げるのでは?」
と通勤途中の電車の中で安易に考え、
頭ではもう少し稼いでお給料超えしてからの方がいいのでは?という考えもあったのですが、
一方で、
「いや、自分がやりたいことがみつかったのに、それに集中しないのは逆に自分に不誠実だ!」
という想いがあり、結局その日で会社を辞めてきましたm(__)m。
まあ、本当は単に会社辞めたかっただけなんですけどね^^;。
そこから、1日15時間とはいきませんでしたが、1日12時間以上はパソコンの前に座り情報発信を続けた結果、3ヵ月後には20万円を稼ぎ、さらに半年後、ブログ開始から1年後には月収で100万円を稼ぐことができました。
それまでは借金も利息を返済するだけの生活でしたが、稼いだ金額をどんどん返済に充てたお陰で、数か月で全額返済することができました^^。
また、借金返済後は稼いだお金は親に仕送りしたり、もっと深く情報発信ビジネスを学ぶために教材を買ったりセミナーへ行ったり塾へは行ったりと自分に投資していきました。
※ちなみに余談ですが、この数年前に「ノートの書いたことは実現する」っていうのを本で読んで、書いていたのですが、当時のノートを今、読み返すと書いたことはほとんど実現していました。
言語化して見える化するって本当に大事ですね(*_*)
見せかけの成功、倒産危機、そしてメンターとの出会い
それから、僕は個人事業主を2年ほど経て、その後、2016年に会社を設立しました。
そして、個人事業主時代にブログを通じて知り合った妻と結婚。
仕事も自分でブログ記事を書いて稼ぐというやり方から、事業主の方やこれから起業したい方向けに、一緒にネットで集客をするための仕組みを作るお仕事へと業態を変更していきました。
理由としては、ブログを書くことに疲れて手が止まってしまったこと。アフィリエイトに幸せな未来を感じることが出来なかったことが理由です。
ただし、そこから第2の谷底期が始まります。
アフィリエイトとからの収入という基盤があったからこその業態変更だったのですが、Googleのアップデートで売上が激減(ピークの10分の1程度に)。
さらに、簡単に集客できるだろうと甘く考えていたWEB制作やコンサルの仕事も全く集客ができずに売上は雀の涙程度。
今までは他人の商品を売っていたのが、自分自身を売ることになったときに、どうしたらお客さんが集まるのか?どうすれば他の同業者と違いを出すことができるのか?
全く見えなくなってしまっていたのです。
そこで当時の私は、
「売上が上がらないのは自分のスキルや知識が足りないからだ」
と思い、セミナー、教材、コンサルなど片っ端からノウハウを学びまくりました。
当時は、やっていなかったSNS、LINE、メルマガ、セールスライティング、などなど。
ですが、なかなか成果に繋がらない、一方で周りの同業者はどんどん集客して仕事を受注している状況に
「もっと勉強しなくては!もっと稼がなくては!もっと実績を作らないと!」
と日に日に焦りが募っていきました。
結局、1年間でコンサルなど500万以上を投資して勉強するものの成果はゼロ。
会社の資金も底をついてきて融資を受けてなんとか耐えている状況。
とはいえ、このまま売上が上がらなければ近いうちに倒産になる。
そんな状況でした。
そんなときにたまたま経営者のコミュニティでコーチと出会い(現在の僕のメンター)
「手段ではなく、目的からビジネスを創るとうまくいく」
と教えてもらったのが、今のコーチングビジネスを始めるきっかけになっていったのです。
「手段」ではなく「目的」から考える
このときまでの私は、
「どうすればお金が稼げるのか?」
「自分の知識やスキルが活かせる仕事って何だろう?」
と手段からビジネスを決めて始めていたのですが、
それこそが転職を20回も繰り返し、ブログの手が止まり、ホームページ制作やWEB集客のコンサルをやってもイマイチ、うまく軌道に乗らなかった原因だったのだと知ったのです。
そうではなく、
「自分がどうなりたいのか?」
「どういう人生を歩いて行きたいのか?」
自分の生き方や在り方、人生の目的があって、その目的を満たすために何をやっていくかという手段、ビジネスを創る。
つまり、
「生き方ベースでビジネスを創る」
ことが大事なんだと気づいたのです。
そこから、僕はコーチングを学び、自分の価値観を知り、人生の目的、ミッションを出して、強みを活かした自分だけのコーチングを創りあげていったところ、
・ライバルと差別化できたことでお客様に選ばれ続ける=売上が安定
・売り込まなくて高単価のコーチングが契約が獲れる
・リピートや継続率がアップ
と、アフィリやコンサル時代の労働時間は半分に減り、売上は2倍以上になることができました。
また、収入面以外にも価値観に合った働き方、生き方が見つかったことで、
・自分の価値観に合ったお客様とだけ仕事ができるのでストレスフリー
・他人との比較や周りの目線が気にならなくなった
・人生に迷いがなくなり納得感を持てるようになった
・仕事にも自分自身にも自信が持てるようになった
という感じで、精神的にも余裕が持てるようになっていきました。
それもこれもすべては、自分に質問することで
「自分の価値観や強みを知る」
ことが出来たからなのです。
「質問が変われば人生が変わる」
質問には実は人生を変える劇的な力があります。
マザー・テレサの有名な名言にも、
という言葉があります(実は老子の言葉らしいです)
じゃあ、どうすれば「思考」が変わるのか?
実は思考を変える方法はたくさんあります。
例えば、
・本を読む
・旅先で新しい文化に触れる
・様々な人と触れ合う
など、今の自分にない新しい価値観に触れるようなことがあれば、「視点が変わる」ため、思考が変わるきっかけになります。
そして、自分ひとりで出来て、なおかつお金も人の力も必要ない最も効率がいい思考を変える方法があります。
それが、
「自分への質問を変える」
ということです。
他にもアインシュタインの有名な言葉で、
「もし、あなたがが死にそうな状況になって、
助かる方法を考えるのに1時間あるとしたら、どんな事をしますか?」
と問われたアインシュタインはこう回答しました。
「最初の55分は適切な質問を探すのに費やすだろう」
本当にその通りで、質問をすることには人生を劇的に変える力があるんです。
多くの起業家が抱える悩みを解消するヒントがココにある
僕自身、今のコーチングを始めるまでは、
「自分の強みがわからない」
「どうすればライバルと差別化できるのか?」
「しっくりくるコンセプトが作ることができない」
「今のビジネスにやりがいを感じない」
そんなモヤモヤを抱えながらビジネスをやっていました。
ですが、自分の強みを知る質問をすることで、自分の価値観に合った働き方や生き方を見つけることができます。
そして、自分の価値観に合ったお客様を明確にして、さらに自分の強みを活かした商品、サービスをつくることで、
ライバルと差別化でき、独自性や希少性がある「自分だけのオンリーワンのビジネス」をつくることができます。
そうすることで、「あなただから買いたい」と指名してもらえ、お客様に選ばれ続ける、長期安定したビジネスを構築していくことができます。
その土台となるのは、
「自分の強み、価値観を知る」
ことです。
アナタにも他の人と違った個性や才能が必ずあります。
その魅せ方を知らないだけです。魅せ方を変えることで桁が変わります。
【最後まで読んでくれたアナタへ】
自分の強みや価値観を知ることの大切さ、そして強みや価値観を引き出すための質問の大切さに気付いて頂けたかと思います。
とはいえ、
「でも、どうやって強みを引き出す質問をすればいいの?」
「自分ひとりでやるにはハードルが高い」
という疑問もあると思います。
巷には自己分析やストレングスファインダーなど、様々な自分の価値観や強みを知るための書籍やツールがあります。
もちろん、まずはご自身でやってみるのも良いと思います。
ですが、実際にやってみるとわかるように、自分ひとりで自分の心を深く掘り下げていくことは、かなり難しいことです。
そこで、note読者へ特別に、
「自分の強みや価値観を知るワークショップ」
を開催しています。
このワークショップでは、アナタの強みや、心の奥底にある大切にしている価値観を明確にするためのワークショップです。
今後のビジネスや人生の指針、ヒントを得ることができます。
詳しくは以下に書いていますので、興味がある方はぜひ、よんでみてくださいね。