「ガザ・モノローグ2010」その25
25.マフムド・アファナさん 1995年生まれ アル・サフツァイ通り
臆病者と呼びたかったら、そう呼んでください。僕は戦争の後、物乞いの子どもたちに対して、時には僕を叩いてくる子たちにたいしても、なにも反応しなくなりました。僕はただ悲しくなり、彼らをその場に残して立ち去ります。戦争の前はこんなんじゃありませんでした。飛ぶ鳥も僕を避けていく。どうしてこんなふうになっちゃったんだろう。たくさんの子どもたちが戦争で死んでいくのを目の当たりにして、人はみんな死にゆくものであり、僕たちはただそれが遅かっただけだと感じ始めました。そして自分自身にこういうのです。「お前はあの子たちよりも歳をとっている」 僕は自分が100歳になったように感じます。
戦争は終わったけれど、僕の頭の中では続いています。僕は、世界のほかの子どもたちのようになりたい……この世界、中でもエルサレムにいるような子どもにはなりたくない。エルサレムにいるいとことオンラインで話した時、彼らは自分の子ども時代を生きていて、自分と同じようには絶対に考えないと思いました。僕はいとこたちにおかしな奴だと思われるのが嫌で、自分の考えを言うのが怖かったのです。僕は彼らの話を聞くふりをして、嘘をつきました。彼らは、僕が生きてきたような戦争を経験したわけではありませんでした。
僕の家族と、おじさん、おじいちゃんの家族はみんな、アナンおじさんのところへ行きました。そこは戦争地帯からは遠く離れていて、安全だったのです。もしくは、僕たちがそう思っていただけですが。
2日目、おじさんの家の隣の家が空爆に遭い、壁がこちらに崩れ落ちてきました。
3日目、僕たちが泊まっている家主のおじさんが朝ごはんのために豆とファラーフェルを買いに行きました。帰ってきた時、家の前に車を停めたのですが、車から降りようとする直前に、ミサイルがおじさんの頭上に堕ちてきました。上半身はアスファルトに崩れ落ち、救急車がやってきて下半身を車から引きずり出します。救急隊は上半身を集めてビニール袋に入れ、病院に連れて行きました。誰もが泣き叫び、お母さんはおじさんが無事に帰ってくるのを神に祈りました。
僕は、わからないのです。その時お母さんは自分自身に嘘をついたのか、それとも僕らに対して嘘をついたのか? もちろん、おじさんは帰ってこなかったし、これから無事に帰ってくることもないでしょう。
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