【稽古場の片隅から、希望を描く】その2
かわいいコンビニ店員飯田さん新作本公演『空腹』の、稽古場のエッセイレポートとして書き綴る本稿「稽古場の片隅から、希望を描く」
前回は稽古場にたどり着く前の個人的な懊悩で終わってしまったので、今回は開演1週間前にせまった稽古場から、物語の内容についてレポートしていきます!
観劇判断の材料に。
あるいは観劇後の感想合わせに。
どうぞご笑覧ください。
うまく生きられない人の「嘆き」
公式Xにて、物語のあらすじが更新されている。
わたしは、池内風作品の見どころは、社会でうまく生きていけない人たちの哀しくも可笑しい「嘆き」が描かれるところだと思っている。その人たちは本心が剥き出しだったり、逆に自意識が強すぎたりするせいで、社会生活にうまく入り込んでいけない。
今作でも、そのような人たちがシェアハウスでの共同生活を余儀なくされている様が描かれる。
舞台は東京のはずれにある、一軒家のシェアハウス。おそらく家賃は5〜7万ほど。そこには数人の男女が住んでいて、1人の男がそれを管理している。
この登場人物たちを、このシェアハウスの日常を垣間見る形で記述していきたい。
とある日の風景。
とある日の夕方。10畳に満たない広さのリビングを、どこか少年の空気を纏った雰囲気の青年が掃除をしている。彼はこの薄ぼけたシェアハウスの住人のひとり、小鳥遊陽向(演:廣瀬智晴)。リビングにはどこか幸の薄そうな女性の倉下幸(演:橋本菜摘)も居て、スーパーで半額になっていたコロッケを温めている。この光景がシェアハウスにおける日常のようだ。
やがて解体業派遣社員の武藤勝次(演:渡辺翔)が数本の発泡酒を持って帰ってくる。製作がひと段落したスプレーアーティストの南雲遊(演:宇野愛海)もそれに引き寄せられ、リビングは一瞬にして宴会の様相を呈してくる。だがその宴は、辛い現実を忘れるための、一瞬の慰めであることを皆どこかで理解している。
ひとり、その空気と異なる佇まいを持つ登場人物が、このシェアハウスの管理人の美濃部國光(演:吉田悟郎)だ。彼は新しい入居者の対応や、部屋の維持管理のために度々シェアハウスを訪れるのだが、この管理人による善意は、住人には皮肉に取られかねない。例えば、手土産に持ってくるプレミアムビールのロング缶が、机上に置かれる発泡酒の350ml缶と対照的に映る。そのギャップは、発泡酒に満足する住人の自尊心を否応なしに刺激するのである。
リビングには常に、互いを牽制しあい、各々の善意と本心の間をはかりあう、微妙な空気が漂っている。
住人の朝霧京香(演:小林れい)も、美濃部と同じように、他の住人とは異なる佇まいを持つ人間だ。彼女は殺伐としたリビングのテーブルに一輪の花を活けるような心の余裕がある。しかし、花は腹を満たしてはくれない。生活に苦しむ面々にはその善意を「施し」と捉えられかねない。
なるほど、妬みと嫉みが象徴として可視化し、ふとした瞬間に緊張感が高まるこのシェアハウスにおいて、新しい入居者の日下部青葉(演:長南洸生)の存在は、一服の清涼剤のようだ。彼は小鳥遊と高校の同級生で、久しぶりの再会を喜んでいるのだった。
社会のどん底にいる人間を描く。
本番に向けて練度が高まっていく通し稽古を見ながら、手元のメモ帳に書き殴った言葉がある。
「これは緊張と緩和の両極を行き来しながら、徐々に剥き出しにされていく、極限状態の「人間」についての物語だ。」
登場人物それぞれに、ストレスがかかっている。そのストレスの原因は、お互いの本音を探り合い、なんとか互いに自尊心を保ち合うラインを見つけるための、言葉の応酬に由来している。
脚本であらかじめ内容を知ってはいたものの、稽古場の蛍光灯によって陰影がくっきりと浮かび上がる俳優の顔を見て、肉声となったセリフを聞くと、その応酬に何度も息を呑まされる。
鍋の底をさらおうとすると、金属と金属が擦れ合う音がする。
社会の底でも同様に、人間と人間が擦れ合い、削り合い、引っ掻き合う音がする。
この演劇は、その音が紡ぐ哀歌だ。
人間関係を成り立たせる潤滑油としての善意と配慮が剥がれ落ち、剥き出しになったザラザラの心が、ひとつ屋根の下に押し込められている。
その生活にいっときの救いがあるとしたら、酒かギャンブルだけ。
本質的な救いはない。
ここまで書いていて、気がついた方もいるかもしれない。
演劇の歴史のなかで、同じようにストレートに「貧困」と「人間」の有り様を描いた傑作戯曲があることを。
それは、ロシアの劇作家マクシム・ゴーリキー作『どん底』である。
ゴーリキーの『どん底』は、帝政末期のロシアの安宿を舞台に貧困の底で生きる人間たちの人生が描かれている。そこで主題となるのはやはり、どんなに苦しくても無目的に生きながらえてしまう人間という存在の業だ。
いわばこの『空腹』は、現代日本を舞台に換骨奪胎した、現代版『どん底』と言えるかもしれない。
次回は時間が許せば、「どん底」について触れつつ、今作の魅力を深掘りしていきたい。
ご期待ください!