「ガザ・モノローグ2010」 その8

8.エイハブ・エラヤンさん 1994年生まれ アル・サフツァイ通り

世界に対して目が向くようになった最初の頃、僕の考えは狭かった。人生というのは、誕生して、成長し、結婚し、子どもを産み、働き、育て、養い、教育し、結婚させて、死ぬものだと思っていたから。

でも戦争が終わって、人生はそれより難しいものだと気づいた。人生におけるどんなに小さな一歩にも、その背後に無数の結び目があるんだ。

子どものときに、自分の家の前で何もせず座っている男たちがそこら中にいるのを見てたから、僕は働き口を見つけられないことが怖かった。それは怖かったし、何より悲しいことだった。それが原因で、ガザの子どもたちが責任を取らされて、小さい時から自分の子ども時代を否定されていたからだ。

お母さんはよく僕に「エイハブは私の息子たちの中でもいちばんだね」と言った。なぜなら僕はいつも家にいて、問題ごとを一つも起こさなかったから。

戦争が起きた時、お父さんは僕らを家に閉じ込めた。怖かったからだと思う。2時間もたって、僕は退屈し始めて、家の周りを散歩しにでかけた。でもその時の散歩は、何かが違った……。爆撃されると思ったから、車の近くを歩くのが怖かった。戦闘機がやってきて爆弾を落とすのに気がつけるよう、ずっと空を見ながら歩いていた。サフツァイ地区はそれほど活動が少ないにも関わらず、僕は怖くて仕方なかった。まるで何か怖い目にあったかのように、走って家に帰って、戦争が終わるまでずっと家の中にいた。

戦争が終わって、僕の人生は大きく変わった。周りの人たちとの関係が深まったんだ。お隣の人たちに知られ始めて、お年寄りの人たちとチェッカーズを遊ぶようになった。自由な時間の全部を家の外で過ごすようになって、家の中には一分でもいられないようになった。そうしたらお母さんは、「エイハブは私の息子たちの中でもいちばんだね」なんて言わなくなった。

僕の人生は戦争の前にはなくて、戦争の後から始まったんだ。神は僕を護っている! この町で、この空気を吸い、歌って、踊って、泣いて、そうして人生は転がりながら前に進んでいくんだ……


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