「ガザ・モノローグ2010」その20

20.ムハンマド・エル・オムラニさん 1995年生まれ アル・シュザイヤー/アル・モンタール

ガザの温かい腕と地獄の業火。恐怖、おそれ、死、破壊。そのさなかで、今回は、この地区は「安全」だった。占領軍が攻撃をする時はいつも、まず私たちが攻撃される。でも今回は、この地区を攻撃するのに飽きたようで、なにか変化を求めたようだ。ラッキーだった。

私は一日中椅子に座って、家から国境に向かって逃げていく人たちを見ている。荷物を持ち、息子や娘を連れて、西へ行く人たち。肩に子どもを乗せながら行く人や、背中に母を負って行く人……。どこに向かおうが、彼らの行き着く先は一緒だ。ガザはひとところに収縮しつつあるんだから。境界線はだんだんと縮まっている。その境界線は縮まり続けて、私の家の近くのモスクからも人が逃げ始める。お父さんに「え、次はうちの番? でもどこに行けばいいの?」と聞く。するとお父さんは家に留まるよう、頑なにこう言うんだ。「家を捨てるのは尊厳を捨てるのと同じだ」それを聞いて私は自分に言う。「動くな。お前は他の人より優れてない。何が起ころうとも、成り行きに任せるしかない」

一日中食べ物を探すのに忙しくしている。時には、家から1000メートルも離れた道路の配水管から水を汲むために、いとこと歩いて行くこともある。私たちはサブリという人からロバの車を借りる。サブリとその兄弟たちは、よく私たちを助けてくれる。彼は道すがら、自分と自分の馬のヒーローみたいな行動について話す。荒野を駆けて、自分がいかにして鳥をスリングショットで仕留めたかという話を。私は、スリングショットを手にしたことがない。——恐ろしいから。でも、恐怖の日々にも関わらず、その話は楽しくて、面白かった。こうしてよく、道を歩く恐怖を紛らわすために、私たちは話をした。

昼が終わり夜が来る時、「夜が不安を連れてやってきた」と言う。私たちは寝ることができない。15分寝て、3時間起きる。爆撃が起きている中、どうして眠ることができるだろう? そして私たちは、運命が迎えに来るまでベッドで横になる。時々、窓の端から赤い炎と煙に覆われた空を見て、ふと疑問がわく時がある。「どうして世界の他の場所は安らかでいるのに、僕たちは地獄にいるんだろう?」

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