「ガザ・モノローグ2010」 その3

3.アシュラフ・エル・スーシさん 1994年生まれ アル・ワフダ通り

近所の子どもたちはみんな、兄のことが好きでした。彼はそよ風よりも穏やかな人で、お父さんからお小遣いをもらっては、僕に分けてくれました。

みんな兄のことが好きだったのです。友達がやってきて、彼と一緒に学校へ行きます。蝶々のように飛び出して……。世界はまるで、彼のために作られたかのようでした。

イスラエル空軍が宙を舞い、そのヘリコプターの音は獣が自分の獲物に襲い掛かろうとしているようでした。

指名手配中の男が乗った車が、ヤームーク通りを疾走していました。蝶々たちは車の近くにいましたが、彼らはその車の静けさが自分たちを焼き尽くすとは知りませんでした。

ミサイルがその車に直撃しました。僕の兄のタレクは地面から5メートルも飛びました。車の高さよりも高く跳び上がったのち、地面に着地し、まるで何事もなかったかのように歩き始めました。救急車が来て死体を回収し始めて、周りの人たちは彼に救急車に乗るように言いました。でも彼は「どうってことないよ」と言って学校に向かって歩き続けました。

100メートルほど歩いた頃でしょうか、彼は手を心臓に当てて倒れ、亡くなりました。僕はその時通りにいて、スクールバスが来るのを待っていたのですが、そこへ姉がやってきて何が起きたのか見に行こうと言いました。僕はそうしました。でも、タレクとは会えないまま、学校に行きました。

授業を受けている時、おじさんがやってきて僕に学校を3日間休むように言いました。僕は何も疑わないまま車に乗り込んだのですが、おじさんは運転手にニュースのラジオを切るように言いました。おじさんはニュースが好きだったので、僕はおかしいと思いました。家に着くと、家の周りに大きな人だかりができていました。僕はお父さんが椅子に座って泣いているのを見ました。お父さんが泣いているのを見るのは初めてで、手にはタレクの写真を抱えていました。僕はお父さんに聞きました。「ねえ、お兄ちゃんは殉教したの?」お父さんは言いました。「神よ、彼にご慈悲を」

車が彼を迎えにきました。僕たちはお別れを言うために駆け寄りました。彼はまるで天使のように眠っていました。手にはその時持っていた本を抱えていました。

お父さんは彼を墓地に埋めるのを嫌がりましたが、僕は車に乗り込み、さよならを言って、ファティーハの祈りをお墓に捧げました……。僕は3ヶ月間毎日墓に行って、彼と話をしました。

夜になると、僕は部屋に飾られている彼の写真を見つめます。それには「英雄的な殉教者- タレク」と文字が書かれています。

兄が殉教してから、僕はベッドで一人で寝ています。僕たちはかつて一つのベッドに二人で重なり合い、時々自分の手足がどこにあるのかわからないほど、混ざり合って寝ていました。でも今は、僕はベッドを独り占めしています!

僕は兄のことを決して忘れません。

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