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子供が料理を覚えていくということ

なぜだろう
40も半ば過ぎたというのに、つい先日ふと気付いたことがある。
それはもう20年ほども食べていない母の作る麻婆豆腐が全くもって麻婆豆腐ではないということ。

母の作る麻婆豆腐は、豆腐とひき肉とピーマンのスープ(少しだけ餡)だった。
ちなみに、全く辛くはない。
大きめにカットされたピーマンが沢山入っているのが特徴で、子供の頃の私は麻婆豆腐と言えばピーマン料理、麻婆豆腐と言えばスープだと思っていた。

そんな私が大人になって中華料理屋さんで食べたピーマン、ではなく麻婆豆腐は全くの別物で。
『なんだこれ?!ピーマンが入ってない!』
『このお店はちょっと変わった麻婆豆腐を出すんだなぁ』と驚いたのを覚えている。

それを、なぜつい先日思い出したのだろう。
いや、なぜそれをつい先日まで考えなかったのだろう。

親が作る料理を子供は覚えていく。
私の麻婆豆腐のように、誰もがその料理を心の内に持っているのかもしれない。

認識の違いが発生する理由はいくつかあると思われる。
一つは、地域による違い
例えば、肉じゃがには牛肉を使うか豚肉を使うか。
これは親(もしくは祖父母)の出身地域によって変わってくる。
東日本では豚肉、西日本では牛肉を使うのが一般的となる。(西日本でも鹿児島や沖縄では豚肉)
もう一つの理由は、経済的理由
特に牛肉の代わりに豚肉や鶏肉を使ったりするパターン。とびっこをキャビアと言ってみたり。サンタとは12年契約だとか…。
よくあります。
そして、さらにもう一つの理由として考えられるのは親が何気なく言った冗談を子供が信じてしまうパターン。

はてさて?
うちの麻婆豆腐はどのパターンだろうか?

うーん、どうにもいまいちしっくりこない。
私にピーマンを食べさせたくて母が考えた創作レシピだったのだろうか?

もちろん、考えても答えは出ない。

母が生きているうちに聞いておこうということで、

親に電話をしてみた。

そうしたら、なんと!!


こんなパターンがあったか!!


なんと!!!


「麻婆豆腐ってお店で食べたことないのよ」


思わず膝を打った。

母は麻婆豆腐とはどういう料理かを知らなかったのだ。

私が小学生だった1970年代から80年代。
家族で外食すると言えば数ヶ月に一度?位の大イベントだった。
夢のマイカーに乗って、欧米からチェーンストア理論を引っさげて日本に上陸してきたファミリーレストラン(すかいらーくだったかなぁ?忘れたなぁ)に行くのだ。
父の食べるサーロインステーキを一口分けてもらった時の感動たるや!
(今分析すると、あれってハラミじゃないかと思うけど・・・)
私の注文したハンバーグが来るのを待ちきれずに食器をガチャガチャ言わせていると父にひどく叱られた。
そこで“みっともない”という概念を教わり、食器をガチャガチャ言わせてはいけないのだというマナーを覚えた。
我慢の末に食べたハンバーグがこの世のモノとは思えないほどの美味しさだったこと。
家族みんな笑顔だった。
数ヶ月に一度行くファミリーレストランは夢の国だった。


たしかに、そこに麻婆豆腐はなかったように思う。
もちろん携帯電話やインターネットもない。
その当時、母が麻婆豆腐のレシピを知りえる手段はほとんどなかったということだ。
なんとなく聞きかじった知識で編み出したのが豆腐とピーマンの醤油餡かけスープだったということか。

なるほどー。
たしかにー。


いまだ本当の麻婆豆腐を食べたことがないという母は、山椒の辛さが嫌だと言う。

そこまで辛くはないが、本当の麻婆豆腐を食べに行こうと約束をして電話を切った。

さてさて、どこの中華料理屋さんに連れて行こうかな。



私は麻婆豆腐が大好きです。


感謝します。

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工藤昌幸
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