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仕事の楽しさと責任は両立するか?2/食とまなびのブログ

つづきです。

店長(会社)がスタッフに売上を求めるとき、しっかりと伝えなくてはいけないのは、どうやって売上を作るかというプロセスである。
プロセスなんて関係ない、詐欺でも犯罪でも売上を作れば何でもいいとは、まっとうな会社であればならないはずである。
そのプロセスにこそ、経営者がその商売を選んだ理由、想いがあるはずではないかと思う。

言い換えるとこれがコンセプトや理念という言葉になる。
そこをこそ従業員に語り聞かせ、共有し、共感し、実行してもらうべきである。
売上はその結果として跳ね返ってくるものであり、いわば副産物と言える。
そして、売上がしっかりと跳ね返ってくるように仕組みにしておくのがビジネスモデルであり、そこは経営者の仕事ということになる。
しかし、経営者が毎日お金のシビアさの中に首まで浸かって、支払いや金策のプレッシャーにさらされていると、ついつい本来の想いではなく、お金という結果にフォーカスしてアプローチしてしまうようになるのも十分分かるものである。
また、顧客満足(プロセス)というのは目に見えづらいため、どうしても売上や利益という数値の方が分かりやすく、管理、評価しやすいため評価は数値を見ていくことになりがちである。
プロセスから結果が作られるので、結果で評価していくことも本来は全く問題ないはずなのだが、評価のスパンが数ヶ月や1年などの期間に縛られざるを得ないため、結果が出るまでに時間のかかる言動は実行されづらくなっていく。さらに、本来求めるプロセスと違ったとしても短期的に結果の出るプロセスに対して行動を促されるようになってくる。

これが悪循環サイクルを回す1つの理由。

そして、もうひとつ別の視点。
そもそも、売上やお金に対して嫌悪感を感じる人、お金を稼ぐということがまるで良いことではないかのように感じてしまう人が非常に多くいるということ。
この思い込み、刷り込みは幼少期から発生するように思う。お金の勉強をしないからではないかと考えているが、その話は一旦置いておく。
かくいう私も理屈では分かっているが、心のどこかでそう感じている部分がないとは言い切れない。

さて、この部分に気づいていない(想い至っていない)段階のスタッフに、店長(会社)が売上に関するアプローチをすると思いっきり嫌悪感を湧かしてしまう可能性があるということだ。
例えば、売上目標の話をしただけで、『金、金、金の話ばかり』みたいに捉えられてしまうものだったりする。
そこまで露骨でなかったとしても、なんとなく売上目標だけではやる気にならない人が多いのがこの思い込みをよく表しているといえる。

人は意義を感じられた時には自然と行動を起こすものだが、売上(お金)には意義が感じられないのである。
お金自体には価値がないのだから、それは至極まっとうな話である。
お金自体には価値がなく、お金は交換出来るところに価値がある
では、何と交換しているのか?
まさしくそれが価値(満足度等)である。
高い満足度が得られれば高額な支払いでも納得する。
お金と満足度は等価交換なのである。
お金は価値の大きさを測る尺度ともいえる。

従って、仕事による売上というものは、どれだけ顧客満足度(価値)を生み出せたかを表した数値なのである。
コミュニケーションをする上で便利なので、売上という数値を共通のキーワードとして使用しているだけであって、求めているのは社会へ生み出す価値(プロセス)であることは変わらないのだ。

前述の通り、この部分はなぜか学校や家庭でも教えてくれない。
従って、会社が従業員に対してお金の勉強を実施すべきで、そうすることでより効率的、効果的に価値を生み出し続けることが出来るようになるのだと考える。

責任が重くなるということは、一人では作り出すことが出来ないほどの価値を作り出すチャンスということなわけだ。

スタッフのやる気を無くしたいと思う経営者はいない。
仕事はどこかの誰かの役に立っている(価値)から存在する。

人に親切にする、優しくしたら、ありがとうと言われる。
これをマネタイズ
するのが仕事と言えるだろう。

その部分にこそ仕事のやりがいがあるように思う。

感謝します。

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工藤昌幸
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