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みっつの劇場と機能停止

 ただ、しかし最初に記しておくが、3日間の公演を終え、私は混乱していた。絡まる糸をほぐす作業が必要だと感じていた。これから、プロジェクトの概要と日程を確認しながら、糸を並べ、重ねる作業に移ろうと思う。

 改めて書く程でもないのが、来年は第32回夏季オリンピックが東京で開催される。1964年の第18回大会より56年ぶりの東京でのオリンピック。それぞれに思う事はあると思うし、私も非常に複雑な感情を抱いて来年まで過ごす事になりそうだ。社会は『ありがとう平成』『平成最期の〜』などと空転の躁状態が加速し、新元号「令和」は前代未聞の10連休の真ん中から始まる。そんな、SFのような偽造された祭りの少し前、2019年3月9,10,11日に高山明氏を中心としたPort B公演《新・東京修学旅行プロジェクト 福島編》は行われた。

 前シリーズ《東京修学旅行プロジェクト》と合わせて、計5回行われてきたこのプロジェクトは、高山曰くベルトルト・ブレヒトの「教育劇(learning play)」の理念を継承して上演されている。私は演劇に明るい立場ではないので、教育劇について基本的な事だけを記載すると、観客は「観客」でなく「演者」である事。そこでの「演技」は役に憑依するという事ではなく、その役を観察し報告する事。そのプロセスは日常まで拡張され、自己さえも観察し報告する「自己を批評する態度」を持ちえる事。その先に観客/演者という二項の立場は融解し、元観客たちが世界を報告する運動体になる事。そのときに演技は、自己の立ち位置を役へと「異化」させたことで、「自己」と「役」の二層の思考で世界を受容し報告していくプロセスが、他ならぬ「演劇」であり、同時におよそ最良の「教育」にもなり得る。高山は、このブレヒトの教育劇の現代版と銘打ち、一連の「東京修学旅行プロジェクト」を行ってきた。ここでは、観客が「修学旅行生」に成り切り、ある時は「タイからの修学旅行生」の身振りで「外国人」として東京を観光し、ある時はクルド人がガイドする「彼らの文化体系から見えた東京」を、共に歩く。その時、私たちは、異界の入り口に足を踏み入れたような感覚に一瞬襲われる。高山はヴァルター・ベンヤミンの「森のなかで道に迷うように都市のなかで道に迷うには、修練を要する。」という言葉を用いて、このプロセスを説明している。観客に修学旅行生役が与えられるこの演出は、最短距離で「自己」と「役」の二層を成立させ、その狭間から見えた東京に出会い直す事を可能にした。観客から修学旅行生へ。この過程はあまりにも「演技」をしている実感がないので、むしろ修学旅行生の「コスプレ」をしている感覚に近いのかもしれない。

 もうひとつこのプロジェクトの輪郭を探る為に重要な事項がある。私たちが「劇場」と言っている場所だ。ただ、高山のいう「劇場」は私たちの知る劇場ではなく、世界最古のディオニソス劇場を原型としている。紀元前5世紀前後から存在していたその劇場は、屋外ゆえ【テアトロン(theaterの語源)=観客席】から【ポリス=都市】が眺められるような建築であり、観客と都市の間に舞台が存在し、それらを媒介する役割をなしていた。そもそもtheaterとは観客席の事であり、その観客をつくる装置として劇場があり、そこで生成された「一個人=観客」と「都市や社会」が「演劇」によって出会い直す場であった。


 それでは《新・東京修学旅行プロジェクト 福島編》について考えていきたい。

1日目〈修学旅行生は誰か〉
 今までのこのプロジェクトでは、参加者が修学旅行生を演じるツアーパフォーマンス形式をとってきた。しかし今回は、東京と福島の高校生(残念ながら不参加ではあったが、クルド人の高校生の方も参加を予定されていたそうだ)が、まさしく修学旅行を行うプログラムとなっている。3日間通した旅程表で確認する限りでは、クローズなプログラムが多く、そこには一般の参加者が参加する事はできない。1日目はキックオフミーティングと夕食兼懇親会が、一般参加者の参加できるオープンプログラムになっていた。
 そして今回は「東京オリンピック」に焦点を当てた修学旅行のプログラムが組まれており、その中でも1964年の東京五輪男子マラソンで銅メダルを獲得し、次回のメキシコ五輪では金メダルを期待されていたものの、開催年の1968年に自死された円谷幸吉氏を主軸に組み立てられてた。言い方を変えれば、彼が1964年の東京オリンピックのガイド役と言えるかもしれない。さらに補助線を引く形(もう1人のガイド)として、円谷幸吉と同郷であり、あの特撮の神様「円谷プロダクション」の円谷英二を組み込み、まずは高校生たちによる幸吉と英二のプレゼンを一般参加者に向けて行った。その後、新聞記者や翻訳家の方々を交えたディスカッションが行われたあと、場所を代々木『アンコールワット』に移して懇親会になる。

2日目 〈記録をみる〉
 多くのクローズドなレクチャーの中で唯一オープンレクチャーになっていた2日目は、映画監督の諏訪敦彦氏を講師とし、東京五輪とベルリン五輪の記録映像を見比べながら、どのような手法で作られ、それにはどのような意図があったのかを紐解く2時間のワークショップが行われた。最後に円谷英二が特撮で参加している「ハワイ・マレー沖海戦」にも触れる。

3日目 〈3月11日〉
 3日間のクローズドなプログラムの中で訪れた場所を、高校生たちが一般参加者に報告するという報告会。まず、Port Bからのレクチャーパフォーマンスとして《103系統のケンタウロス》などを発表している佐藤朋子による幸吉と英二を横断して語る「2人の円谷」が行われた。彼らは上京と同時期に「圓谷」から「円谷」を名乗り、幸吉の自死からわずか2カ月半後に放映されたウルトラセブン26話『超兵器r1号』にて、主人公モロボシ・ダンは劇中で、怪獣に対して殺戮能力を上げ続ける超兵器について「それは、血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」と言い捨てる。レクチャーパフォーマンスの最後は、川端康成、三島由紀夫らが絶賛した幸吉の遺書を、佐藤自身が読み上げる「報告」をした。
 高校生の報告会は、高山が高校生に質問を投げかけ、それに応答することで、彼らの「報告」とした。高校生ラッパーとして参加していた玉名ラーメンの新曲を披露し「報告」をした。そして、会場の外に横付けされた、はとバスに高校生だけ乗り込み、彼らは帰路に着いた。3月11日の夜である。


 はたして高校生は修学旅行生を演じていたのか。そもそも高校生が宿泊を伴った団体行動を行えば、それは「修学旅行」になる。では「修学旅行生」は誰が演じていたのか。
 今回一般参加者は、3日間通して「観客席」に座り、すなわち【テアトロン性=観客性】が強い状況で上演を見ていた。初日は国立競技場近くの地下1階で、それ故、窓などはないスペースであった。2日目は、2015年のトルコ総選挙在外投票時に、クルド系トルコ人とトルコ人の間で対立があったトルコ大使館のすぐ隣の1階。入り口はガラス張りで解放感はあるが、奥行きがあり、奥の方は日中も照明がなければ暗そうなギャラリーだった。3日目は妹島和世設計のSHIBAURA HOUSE。ここは、7つある階層の全てがガラス張りの建築で、都市が否応なく風景になる。その風景の中、街を行き交う人々がこちらをチラチラ見てくる。
 私は、この日を追うごとに都市の風景を獲得していく構造に、ディオニソス劇場を思い出さずにはいられなくなった。3日目にはとうとう、このプロジェクトの存在を知らないであろう通行人でさえ「観客」になり、私たち一般参加者は、SHIBAURA HOUSEという舞台上にいる「観客役」になっていた。修学旅行生は「修学旅行生役」になり、3日間、2020年東京五輪に向け準備していく東京を、移動し体感しながら、1964年東京五輪を、思考し追いかけた。ここで彼/彼女らには、東京の時間的な多重化を経験し、「未来」と「過去」のセパレートの間で宙吊りになりながら、「現在」の東京で「修学旅行生役」として舞台上にいた。
 それぞれの役が、SIBAURA HOUSEの「内」と「外」で、それぞれの演技を演じた。修学旅行生役(高校生)は修学旅行を報告し、観客役(一般参加者)は3月11日という象徴的な日にコミュニティ化している人々として、観客(通行人)に提示していた。それは、もはや「コスプレ」などでもない無自覚の演技である。そこには今まで行ってきた《東京修学旅行プロジェクト》及び《新・東京修学旅行プロジェクト》とは違う、新しい「二重化」が起きていたのだ。
 この公演は、高校生たちが、バスに乗り、帰路に着くところで終わる。それは、役者が舞台袖にはけていく行為以外何者でもない。付け加えるなら、彼/彼女らは、そのまま生活に戻っていった。すなわちSHIBAURA HOUSEの「内」からも「外」からも”はけて”いったのだ。ここに私のとりあえずの結論がある。

みっつの劇場
 私たち一般参加者は、この公演の間、新・東京修学旅行プロジェクト内の『フォーマット』と3日間のプログラムが行われた『会場』の間を『劇場構成』に見立てて行き来してきた。しかし、現代に適応すべくブレヒト教育劇のリライトをし続ける試みが通底しているはずの本公演で、修学旅行生や観客を誰が演じているのか、わからないまま時間が流れていた。ただし、3 日目の最後、はとバスに乗った高校生が、全てから”はけて”いった時、ここには劇場が、三重に存在していた事に気が付いた。まず、ひとつめの劇場は、ツアーパフォーマンス公演として、かろうじてフォーマット化された「見えない劇場」である。ふたつめの劇場は、3日間場所を変え続けたプログラムを行った会場としての「従来の劇場」があった。そして、みっつめの劇場は、およそ観客と呼べない存在まで「観客」に引き込み拡張する「鏡の劇場」が生まれていた。つまり、「みっつの劇場」に同居した私たちは、1つの役を「三重化」させていたとも言える。二層から、三層へ。いや、「層」というよりは、ゲル状の3点が、それぞれに触れ合い、結合しているような感覚に近いだろうか。そのような融接点が生まれるのは、もちろん「鏡の劇場」の存在にある。では、その劇場はどのようなものなのか。それは、身体的特徴が左右対称で生まれてくる一卵性双生児におけるミラーツイン現象のようなものではないだろうかと仮説を立てる。短く例を上げてみよう。私たちが、ブレヒト教育劇を仮にインストールしたとして、その身振りが可能であるならば、観客である私たちが、観客役を報告する劇場がここにできる。劇場とは言えない空間でも、いや、であるからこそ、突然に立ち上がる。それは、同時に自己さえも観察して報告する「自己を批評する態度」を持ちえる劇場でもある。そして、この劇場こそ、社会と切断されていない劇場でもある。なぜなら、まわりを見回せば、そこには多くの「公共」と対面しているからだ。つまり、あなたが立ち上げた劇場は、街と共にそこに存在し、「街からみる劇場」と「劇場からみる街」の合わせ鏡の間で、演技をすることになる。その乱反射の先に、思いもよらない「街の姿」あるいは「自己の姿」が映り込む。これが、ブレヒト教育劇とディオニソス劇場の交点である「鏡の劇場」へ迷い込むための導線に思えてならない。ではなぜ、ここまでに劇場を新たに作らねばならないのかという問いにぶつかるのだが、それは、容易に想像できる。すなわち、多くの既存の劇場が機能を失効しているからなのだろう。そこで多くの「演劇」が、「演劇」のための「演劇」が繰り返された結果、そこで生まれた共通言語が、劇場の外で共通する事はない。これは他の多くのカテゴリーにも当てはまるだろう。高山は、劇場の始まりディオニソスを召喚し、社会と接続する演劇を原点からリライトする試みを行なっている。

 糸をほぐす作業はここまでである。そして私が書いているここもまた、劇場になり得るのかもしれない。社会にある絡まる糸は、無数にあり、ほぐすことを強要もされていない。むしろ、そのようなものは捨てて、絡まることのない糸だけで生活もできてしまう。ただし、糸をほぐし、重ね、多くの時間を費やしてでも「織布」にしていく行為こそが批評ではないのか。
 報告(report)の語源に『持ち帰る』という意味があるそうだ。Port Bは、報告者の港(port)である。彼/彼女らによる報告は、社会から排除された物事を、いくつもの鏡を立てて港に導き、B面の再生ボタンを押し続ける運動体である。

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