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梅雨末期の大雨の中、本隊に遅れて咲いた木槿の花、却ってひときわ美しいと感じた

 表題とは全然、関係ないが、図書館で借りた「インターネットは、自由を奪う」という本を読んだ、いろいろ思うこと、感じることがある。
 読書とは、他の人が考えたことを学習することで、自分で一から考える手間を省ける、半面、なにも考えず、他人が考えたことをああやこうや思うことがある。それもいい、当然、悪しき面がある。
 インターネットの成り立ち、どう発展していったか、いまどうなのか、これからどうなのか、様々な問題点がある。
 先般、急に問題化先鋭化したchatGTP、よくわからないうちに、世間では、現代社会を急激に変える問題として、まるで幕末の黒船みたいな扱いだった。それでも何の問題も解決しないまま、さも現実化は当たり前みたいな感じになった。
 最先端をゆく社会なら、それなりの対応もしよう、ほとんどは、何のことやらわからないままに推移していく。そのうち直面して、愕然となる。特に、最近は、賃上げや処分水など、以前から問題とされていたことが、急にクローズアップされて、突き進んでいく。LGBTQ法成立だって、あれよあれよっていうまに法律になってしまった。国会ですら、短時間でほとんど議論もなく、国民全体で基本的な合意や理解もないまま社会を変える法律ができた。
 マスコミが自分の意見を国民全体の意見として出して、あらぬ方向に進めて、責任はまったくとらない。かつての戦争もそうだったらしいけど。みんな想定外、負けるとは知らなかったとか。
 インターネット、目が覚めたら、とりあえず照明を点けると同時に、パソコンやスマホでニュースや天気予報を見る、それからだいろいろ始めるのは。
 多くのネット関連企業、いま世界の花形だ。かつてはマイクロソフトやなにやかやがアマゾン、ファイスブック、グーグルなどに移行し、これからもどんどん変わっていくだろう。
 その影響がアメリカだけでなく、西欧や中国、そして日本なども影響を受けている、国民一人ひとりも、また日々の生活がネットでがんじがらめにされている。それは思い過ごしだろう。
 そういう点に、この本は、気づかさせてくれた。
 ただの空想のマトリックスの映画のなかのようなものかもしれない。思い込みの幻想の社会なのかも。
 少しはネットをセーブして、自分で考える時間を持ちたいものだ。
 そう考えた。
 もう眠くなった、あしたがんばろう!

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