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「ポジティブ」と「勝手な期待」は似て非なるもの

『夜と霧』というナチス収容所を体験されたユダヤ人精神分析学者が書いた本の中に、こんな話が載っています。


・多くの収容者は1944年のクリスマスには戦争が終わると予想していた

・しかしそのタイミングでは戦争は終わらなかった

・予想が外れた翌年以降、希望にすがっていた人々の抵抗力が底をつき、大量に死者が増えた

※なお、ドイツ軍が連合国に降伏したのは1945年の5月なので、44年のクリスマスの約半年後


成功する人は「ポジティブ」な人が多いと聞きます。ですがこの話を聞くと、必ずしも「ポジティブ」であることが良いことばかりではない、いや「ポジティブ」の定義をもう少しきちんとする必要があることに気づきました。


ぼくが思うに、「ポジティブ」とは明るい未来を解像度高く想像し、その「ポジティブなイメージ」が日々のモチベーションになることを言うのだと思います。

一方で、『夜と霧』で描かれた方々は、「ポジティブ」を通り越し、「勝手な期待」をしてしまったのではないかと思いました。

おそらく、収容所の中で、いろんな噂が流れていたのでしょう。そしてだんだんと「クリスマスには戦争が終わり、自分たちは解放されるだろう」と思う人が増えてきた。

もちろんその情報が確からしい場合はまっとうな予想といえたかもしれません。ですが、残念ながらそれは確かな情報ではなかった。


この話は、75年が経ち、想像もし得なかった状況を生きる現代のわたしたちに、とても大切な教訓を与えてくれているように思います。

「元通りの日々が来る日を願って、それまで生き延びれるよう最善を尽くす」ことと、「◯◯年には元通りの日々が来るだろう」と「勝手な期待」をすることは似て非なることです。


もちろん、『夜と霧』で描かれた人々が「間違った思考をしていた」ということが言いたいのではありません。人は追い詰められると「勝手な期待」をし、そこを生きがいにしてしまうという性質を理解し、その感情バイアスを意識しながら日々思考することが大切なんだと思います。


明るい未来を想像したとき、それが「ポジティブ」なものなのか、「勝手な期待」なのか、その違いを強く意識してみるとよいかもしれません。





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西村マサヤ
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