新卒から5年間働いたDeNAの思い出
こんにちは、西村マサヤです。
先日リリースした退職note、たくさんの方に読んでいただき、ありがとうございました。
このnoteでは、前回触れなかったDeNA入社の経緯や在籍時の思い出を振り返ろうと思います。
DeNA入社のきっかけ
(恥ずかしくて振り返りたくないくらい尖っていた大学時代)
もう7年も前の話です。
大学3年になり、就活イベントのようなものに参加し始めたのですが、正直あまり順調とは言えませんでした。
というのも、どの会社の人事からも「協調性がない」「態度が悪い」「全部自分でしようとする」と言われ、なかなか良い評価がもらえない。当時は「良いアウトプットを出すことこそが一番大事なのに、なぜアウトプットと関係のない部分ばかりコメントしてくるのだろう...」と不思議に思っていました。
社会に出て自分はやっていけるのだろうか、と不安になったことを覚えています。
そんなある日、仲の良い先輩に誘われ、なんとなく選考を受けてみたのがDeNAとの出会いでした。一次選考はグループディスカッション。
5人1組で会議室に案内された後、人事が放った「ある一言」が、僕の運命を決めました。
「みなさんはお題に対して最も高いアウトプットを出すことだけに集中してください。
周りの人とうまくコミュニケーションすることばかりを気にしないようにしてください。」
この言葉を聞いた瞬間、僕に合う会社はこの世でDeNA以外存在しないと思いました。(そしてそれは間違っていなかった)
結果、サマーインターンは3次選考あたりで落ちてしまったのですが(普通に落ちた)、本選考でのリベンジに成功し、DeNAへの入社を決めました。(サマーで落ちても入社できることはあるので就活生のみんな、がんばろう)
ロジカルモンスターに囲まれて
(写真は内定式。 茶髪にピアス。完全になめてますね・・・汗)
DeNAの人たちはとにかく賢い。
そして自分に厳しい。めちゃくちゃ賢い人達が、めちゃくちゃ考え、働き、PDCAを回しまくる。
インターンやビジネス経験のなかった僕は、当然太刀打ちできるはずもなく、入社当時はどんなアウトプットを出しても認めてもらうことができませんでした。最初の3年くらいは、成果も、成長も、とにかく鈍かった。
バリバリ活躍し、出世していく同期。
そんな彼らを横目に、「自分はこのままで大丈夫だろうか」と、だんだん自信がなくなっていきました。
人間は、追い詰められると「自己保身」に走ります。
「僕のレベルが低いのではなく、DeNAのレベルが高すぎるだけ」と開き直り、転職活動へ。
あいにく「賢いフリ」と「おしゃべり」だけは得意だったので、他社さんからは良い反応をいただくことが多く、「やはり自分はDeNAを出ればもっと活躍できそう」と思うようになりました。
転職先の候補も絞られ、いよいよ「DeNAにいる時間ももう長くないな...」と考え始めた頃。
あるプロジェクトへのアサインが、僕の運命をまたも変えることになります。
「マーケティング思考」との出会い。
ロシュ・ダイアグノスティックスさんと共同で「子宮頸がん検診」の普及を目指すプロジェクトにジョインすることになりました。その当時、直前にプロジェクトリーダーをしていた案件が大失敗し、僕は実質社内ニート状態だったので、「ちょっと企画考えてよ」とアサインされたのです。
子宮頸がんについては全くの未知でしたが、データを調べたり、ヒアリングしたり、知り合いに頼んで婦人科までついていったりするうちに、検診受診率が50%以下のこの状況を変えなくてはいけないと強く思うようになりました。
このプロジェクトを成功に導くべく、必死に「マーケティング」の勉強をはじめました。
今振り返ると、この瞬間が人生の大きな転機だったのだと思います。
マーケティング本を読み漁り、フレームワークを頭に叩き込みながら、プロジェクトのPDCAを回し続ける日々。結果的に、このBlue Star Projectは横浜・神奈川のエリア限定ながら、Instagramでの投稿が5,000件を超えるなど、一定の成果を出すことができました。
Blue Star Projectの実績もあり、続いて「関節リウマチ」の啓発プロジェクトも立ち上げることになりました。
夫婦の愛の証である「結婚指輪」が、関節リウマチの早期発見につながるかもしれない。そんなコンセプトの動画を11/22「いい夫婦の日」にローンチ。
結果、半日も経たないうちにTwitterのトレンド入り。動画の再生数は10万回を突破。
目標としていたトレンド入りや、「指輪の広告かと思ったら騙された...」など、狙っていたリアクションを生み出すことに成功。言葉にできない達成感を味わえました。
この頃から、著名なマーケターの方々ともお話しさせていただく機会も増え、日々インプットした「マーケティング思考」を、個人のTwitterで素早くPDCAを回し、本業のプロジェクトで大きく仕掛ける、そんなサイクルができつつありました。
また個人でもマーケティングのお仕事をもらえるようになり、キャリアとしては何ら不満のない日々を送っていました。
ある1点を除いては。
自分のブランドをつくりたい
「マーケティング思考」を学べば学ぶほど、そしてプロジェクトの成果が出れば出るほど、僕の脳内にふつふつと湧いてきたある想い。
そう、「自分のブランドをつくりたい」という想いが、僕の体内をかけめぐるようになったのです。
最近よく「DeNAの中でブランドを立ち上げるという選択肢はなかったのか?」と聞かれることがあります。
もちろんその選択肢もあったと思います。ですが、これはなかなかうまく言葉にできないのですが、どうせやるなら「0の状態」から、仲間も、資金も、自分でなんとかする、そういうチャレンジのほうがおもしろそうだなと思ったのが大きい要因な気がします。
ちょうどその時は、27歳。
敬愛するB'zの松本さんが、スタジオミュージシャンを辞め、稲葉さんとB'zを結成したのが同じ27歳です。
そんなめぐり合わせに、勇気をもらいながら、気がつけば上司に退職と起業の意向を伝えていました。
また、その前後のタイミングで、僕の同世代に「ある悩み」を抱えた人が多くなってきたのも、起業の後押しになりました。
その「ある悩み」を、マーケティング思考で解決するブランドをつくる。
これが僕の会社のミッションです。
詳細はもう少しでお伝えできる予定なので、楽しみに待っていてもらえると嬉しいです。
DeNA卒業生の名に恥じぬよう、がんばります。
- 追記 --
そんなこんなで、生まれたのが「ヘアテクト」です。
悩んでいる同世代を見て、僕らに「寄り添える」ブランドが必要だと感じました。あらゆる心理ハードルを下げ、一人でも多くの悩める方の力になりたいと思います。
ぜひサイトだけでも、見てみてください。