社内報に原稿を書けと言われたってよ
はじめに
部署内にはすでに配信されてるんだけど、なんとかっていう部署に依頼された。中途入社なうえに大して貢献してもいないのになんでだろって思ったけど、別に断る理由もないので提出した。自分で言うのもなんだが、初めて居心地のいいというか、全く社交的でない私が珍しく環境に馴染んでいて、愛社精神というにはおこがましいが会社がもう要らんと言うまで居ようと思っているところなので、お受けした。
字数制限不問といわれたので調子に乗って書いてたらA4で2ページ半くらいになっちゃった。他の人は1枚くらいなのに。そのうえ、冒頭の偉い人の年頭の挨拶の次のページから。こういうのって有能な人が紙面を割くものじゃないの?
以下本文、会社名は伏せる。
あと、ここからですます調ね。
note慣れてなくて編集できてないから徐々に直します。
なんで私が〇〇に・・・?
原稿執筆の依頼を受け、「なぜ表舞台に出るような立場ではないのになんで?」と不思議に思いました。
決して立派な業績はありません。与太話と苦労話、愚痴ばかりの会社員人生です。
生まれは東京だが本籍は・・・
東京都江東区で生まれ、小学校低学年を宮城県仙台市に引っ越しましたが、いい意味でも悪い意味でも私の人格形成に影響を与えたのは、その次に引っ越した秋田県横手市(旧雄物川町)です。小学校高学年から高校卒業まで過ごしたのですが、ド田舎の学校にめったに来ない転校生として非常に珍しがられ、初日から珍獣を見るような好奇の目に晒され、毎日びくびくおどおどして過ごした記憶があります。このトラウマはいまだ抜けません。登校拒否にならず我慢して登校し続けたことが奇跡ですが、正直いい思い出はありません(秋田弁も全く身につかず)。あくまでもここが本籍だというだけで、残念ながらふるさとへ愛着や郷愁なんてほとんどない
「すごく密でない青春時代」を過ごしました。
河川公園
私にとっては「なにもいいことがなかったこの町」でもあえて有名なものをあげるなら、まずは実家から徒歩圏内の雄物川河川公園です。
秋田の1級河川だけに、規模の大きい河川公園です。
昔はツツガムシというダニに刺される被害がでて、安易に行かないように言われていましたが今はすっかり整備されています。河川敷を歩いていたら目の前を蛇が横断することがありますが、びっくりしないで迷わず行きましょう。
引用元
雄物川河川公園 | 一般社団法人横手市観光推進機構 (yokote-kankou.jp)
カヌーの船着き場があってクルージングも盛んです。
引用元
日本の川 - 東北 - 雄物川 - 国土交通省水管理・国土保全局 (mlit.go.jp)
やきそばと球界のレジェンド
今や全国区になった横手やきそばについては、気が付いたら身近にあったので、なんでそんなに有名なのか不思議な感じです。
個人的には高校の下校時にバスターミナルで食べた記憶があります。
さらに、実家から徒歩圏内にヴィクトル・スタルヒンの墓があります。スタルヒンはロシア出身の昭和初期に活躍した「悲運の大投手」といわれた野球選手(投手)です。北海道旭川市にその名を冠した球場がありますが、実は奥様がこの町出身であることに因んで、町内のお寺に墓碑が建立されました。
影が映っていますが冬に雪囲いをされているため
墓碑の前の看板。こんな具合に縁起担ぎに祀られています。
私の義理の妹(弟の奥さん)の実家が営む食堂で、スタルヒン投手と横手焼きそばにちゃっかりあやかって「スタルヒン焼きそば」なるものを売り出しています。
ソーセージはバット、目玉焼きの黄身はボール、白身はホームベースの形だそうです。見にくいですが、青のりが芝生、福神漬けを観客に見立てています。
実家では「横手焼きそばはうちが元祖だ」と言っていますが、真相は定かではありません。
引用元『スタルヒン焼きそばを食べに行く。』横手(秋田県)の旅行記・ブログ by はたさん【フォートラベル】 (4travel.jp)
趣味はこれ一択
初代タイガーマスクに衝撃を受けて以来、いろいろな団体を見てきました。歴史に残る瞬間も見届けました。
最近はこじんまりした会場で、近い目線で見ているほうが安心します。
↓こちらは「格闘技の聖地」後楽園ホールの大日本プロレス。場外乱闘とか空中殺法なんでもありです。
この団体といえば、もちろんアレ
アレ、つまり凶器も出てくる団体ですが、ここでギリギリ出せる範囲で試合前の有刺鉄線ボードの写真をご紹介。ほかに蛍光灯の殴り合いもでてきます。蛍光灯は殴ると、ポーン!という大きな音がでますが、さほど痛くないそうです(私は殴ったこともないし、殴られたくもないですが)。
彼らは特殊な訓練を積んでいます。
見るだけなら大丈夫ですが、
Don’t try this at home!
賛否両論あるでしょうが、デスマッチはカタルシス(魂の浄化)です。公序良俗の範囲内でご覧ください。
最近はお笑い色の強い、相撲でいう初っ切りのようなエンターテイメント系が好きです。
コロナ前は浅草花やしきでも興行がありました。全員覆面レスラー、レフェリーも覆面。非日常の空間に誘われる団体です。親子連れで観戦出来る団体、そろそろ復活してほしいところです。
〇〇との縁 ~ラストキャリアに向かう日々~
私は元々同業他社の技術職でしたが、この業界ならではの、徹夜休日出勤あたりまえのハードワークも経験しました。心身ともに疲れ果て大病も患い、会社の倒産も一度二度ではなく経験し、去っていく同僚を見送る経験もしました。失望の中でそろそろ自分も身を引いたほうがいいかなあと思った時もありました。そんなもっともつらい時期に〇〇と接点を持てて、末席に置いていただくご縁がありました。
私が若い時にめちゃくちゃな働き方をさせられた時代と比べれば、この業界もずいぶん人にやさしい環境になっていると思います。もっとも、今、多忙の渦中にある方はそれどころではないでしょう。なんでこんな無茶苦茶やってんだろうか、なんて思っている方もいるかもしれません。
〇〇には修羅場を乗り越えた経験があるはずです。差し伸べてくれる救いの手も、人も、確かにあるはずです。
そこにつながってさえいれば、なんとかなるはずです。
かつての私にはうまく救いの手を利用する器用さも勇気もなかったと思います。その弱さが、何物にもなれなかった私につながっているのだと思います。
ただ今は、そんな中途半端な私を受け入れていただいて、自分なりの居場所があることに感謝しています。
結局大した実績も残せずに今に至って、そろそろ勤め人人生をまとめる時期が近づいています。いずれこの会社を卒業したあとに、どんな新しい生き方ができるのか、今はそれが最大の課題です。
振り返れば、報われない努力ばかりさせられた勤め人人生だと思います。これから先は、その不本意な経験、報われない努力を無駄にしない締めくくり方を意識しているということです。
今はキャリアの総棚卸しの日々です。
そんなわけでだらだらと書いてみたことをありのまま載せてくれた会社に感謝。送った後こんな感想がメールで添えられた。
最後の章は、心に響く文章で引き込まれました。
私は超氷河期時代に就職活動をした世代なのですが、じんわりと心に沁みるものがありました。「自分なりの居場所があること」に感謝をしていきたいと思います。
思えば、社内報にここまで思うところを赤裸々に書く奴はいないだろう。要請があればなんぼでも量産できるんだけど、思いが重いよな。技術者集団の会社でキャリアコンサルティングをやりたいっていう奴はいなさそう。同業他社でいるんだろうか?大手なんだから先んじてくれればいいのに、でも最近練習すらしてない。錆びついてるんだ、いかんね。
目標に向かってやること山積。