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天知る・地知る・自分知る

「犯罪」の線引きは非常に曖昧だ。

確かに人を殺めたり物を盗んだりすれば、もれなく牢屋行きである。そんな事は、私も分かっている。

しかし、それを「誰かにやらせる」となると話は別だ。

実行犯と縁遠ければ遠いほど、「黒幕」に近付けなくなる。反社の鉄砲玉、その組長、さらにその上にいる警視庁や政治家、その政治家すらもアゴで扱う欧州貴族、そしてそれら全てを牛耳る某宗教団体や中国共産党…

当然、その「上」も存在する。

流石にそこまで行くと、捕まる事などはあるまい。たまにエリザベス女王やらローマ教皇やらが逮捕されるとかいうニュースが流れていたが、あんなもん実現するはずもない。全ては、「出来レース」だった。

そこまで行くと、何をしてもだいたいオッケー….といった感じになる。いわゆる「無法地帯」になるのだよね。法ってやつでは捌けない。

でもね…私は同じ「無法地帯」を知っている。

ズバリ、大阪の西成である。まぁ無法地帯ってのはちょっと言い過ぎだが、ちょっとやそっとではもう、警察も動かない。大阪で一番、「平和」な地区だ。

こんなのはまだまだ良い方で、インドや中国の一部などでは、その辺に人間の死体が転がっていたりする。

つまり…

「上を極めた者」にも「下を極めた者」にも、ある意味では法を逃れるチャンスがある。この事実は非常に興味深い。

輝かしい人生にも、アンダーグラウンドな人生にも等しく、ある種の「自由特権」が与えられているのだ。

一方、法律を律儀に守っている我々には、「自由」なんてあったもんじゃない。

つまり…この現世においては、頂点と下点という「究極点」にのみ自由の特権が与えられているようだ。そして、その中庸とも言える「平均的な人々」には、辛い現実が与えられる。

この現実にも、私的には大きなヒントがあるように思う。

この世の教義と理は逆転している。

だからこそ「結果」ばかりを気にする現世領域において、私は「過程」を大事にする重要性を説いてきた。

でも…今思えばそれも結局、二元的な解釈に終始していた。まだまだ、俯瞰出来ていなかったのかもしれない。

当然、上下の両極点とともに考える必要があるということ。

つまりは「すべて」を、だ。

その事実を受け止め、上中下の全てを内包する。

社会的立場を言い訳にしなくとも、よい。それは一般人でも、出来る。

別に宗教くさい事を言うつもりもない。個人的には普通の事だと思っている。

特に私たち日本人には、それが出来るはずなのだ。でもいつしか、この世を「ひとつ」として見る事を忘れ、軋轢ばかりを生む悲しき民族になってしまった。

「世の中がそうさせているんだ!」と主張する人の意見も、半分は正しい。

だが、その二元的な事象がこの世のベースであり、そこを否定してしまうとこの世そのものが成り立たなくなってしまう。

ならば…どうする?

あなたはこの二元的世界で、どう生きる?

大人しく二元的解釈に溺れ、最後までそれを解決せず偏って生きるのか。

それとも…全てを受け入れ、「ひとつ」になるのか。

真理探求の道は長く険しい…が、やはりある意味では、己の中に答えがあったりもする。

そんな「出口のない矛盾した迷路の中」を、我々は歩いている。

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