プロデューサーの卵
この世は比喩的な表現から成り立っている。
例えばあなたが上司に怒られたとしたら…
それ自体が別の出来事の「たとえ話」として具現化したもの…ということだ。
この考え方を「ばからしい」などと笑うかもしれない。
でも、そう言うあなたも普段から割とこの世を「比喩的」に捉えていたりするのさ。
上司に怒られたとしても、「これはきっと、今の自分に必要な試練だからこそ起きた出来事なのだ」と、ポジティヴに解釈したりするでしょう?それってよく考えると「比喩的」だ。
やはり私たちはどこか…物事を比喩的に捉え、違う形にする能力を持っているように思える。
何かの事象を、全く別の形へと変幻自在に作り変える。
…このプロセスに、どこか心当たりは無いだろうか?
それはズバリ…生物の成長過程だ。
精子という名のオタマジャクシが卵子にぶつかり、そこから細胞分裂を経て今の人間の形になる…?そんな話、一体誰が信じるって言うのだ?
卵の中のドロドロの物体が、最終的には鳥や爬虫類、昆虫という生き物になって出てくるって…?嘘だろう?
芋虫は自分から蛹になって、その中でドロドロに溶けて自死し、さらに蝶や蛾の形になって生まれ変わるって…?アニメじゃないんだから…。
そんなの、まるで…
「たとえ話」じゃないか。
…この世は「たとえ(喩え)」で出来ている。
いや、むしろ全ては「たとえ」でしかない。
私たちは生まれる前の段階から、「たとえ話」を繰り返してきているのだ。
現実、現実、現実…そんな単語に引っ張り回されるから、現代人はもはやこの話を理解出来ない。
「現実」など、ない。もちろん「幻想」なども、ない。それらはただの言葉である。
全ては、ひとつ。
だから生も死も、ない。
この「たとえ」は神が持つ最大の「わざ(スキル)」みたいなもので、この力があるからこそ、私たちはこの物質領域を楽しめている。
そしてその「子供」たる我々もまた、毎晩「夢」という形でそれを実践している。
…結局我々は、各々が最終的に「創造主」となり、それぞれの規模の宇宙を構築していくのかもしれない。
そう考えると、さしずめ皆は「プロデューサーの卵」といったところか。
もし「神」なんてものがいるなら…
彼らの役目は、我々の意識を創造主レベルにまで「教育する」ことだったりしてね。
尤も…これらの考えを私中心として捉え、かつ全ての理屈を逆転させて考えると…その全てを、私が自分に対して行なっているとしか言いようがない。
己の中で生殖し、己で己を育て、己の力のみで成長する…
「究極の自慰行為」の繰り返し。それこそが、この宇宙の正体なのかもしれない。
いずれにしても、私たちはまだまだ…若すぎる。
「これから」が本当に、楽しみだね。