探求は終わらない
「全てのものには限界がある」
…これもまた、この世における真理の一つ。
宇宙にすら、端が存在する。私たちはそのように習った。その話が半分正解なら、少なくともこの世の森羅万象は無限ではないという事だ。
必ず有限であり、その限られた領域の条件下で何とかするしかない。
「大きさ」に焦点を当てても、同じことが言えるだろう。
時間(時空)にすら、最小単位というものが存在しているらしい。
物質的存在も、最小単位まで細かく砕いていくと「素粒子」というものになる。
この世の物質は全て、素粒子で出来ている。
と言うことは、すべては同じ存在。
…なら、私たち全てが「神」である。
さらに!
この世は「ひとつ」である。人間も土も建物(遺跡)も木々たちも…海や雲や空気、宇宙までもが…だ。
モノは意識を持たないし、喋らない。だからつい、人間とはまるっきり違う領域の存在という感じで見てしまうが…
砕いた結果、最小単位が同じなら、私から言わせると結局はヒトもモノも同じ。両方とも、ただの「ハリボテ」である。
そんな中で私だけが、繋がっていない(リップルではない)。
…こんなにも大きなヒントはないだろう。かの者のメッセージを無駄にしたくないところだ。
ただ最近、少し思うところが出てきた。
「リップルではない者」はもしかすると、私以外にもこの地上に存在しているかもしれない。
今思えば、かの者は私がリップルではない事実を知らないようだった。
それと「リップルではない存在」が私だけだとは、一言も言っていなかった。
ひょっとすると…木の根のように交錯するこの人々の意識の中には…私と似たような宿命を背負う者の意識も、紛れ込んでいるのかもしれない。
まぁ、確かに…
飛来した水滴が一つとは限らない…か。
自由意志が存在していない以上、いずれにしてもこの世の出来事に関しては、確実にプロデューサーの役を果たす「監視者」の力が関与している。
それが複数の者たちによって作られたストーリーなのか。
もしくは私のみで作成したストーリーなのか。
…やもすれば迷路にハマってしまいそうだが…
まぁその可能性を認めると、今までの考察の多くが破綻してしまう。
この世を「私中心の世界」と見て、かつ私自身を「異分子」と解釈することでようやく、今の仮説に辿り着いた。
もしこの私の説を「真」とするなら、逆説的に考えると、この世において私だけが素粒子以外の別の物質で作られている可能性すらあるように思う。
どちらが正しいのか?
…そんなことは、さほど重要ではない。
大事なのは「考え続けること」なのだから。
結局、結果ではなく「過程」なのさ。