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偶像崇拝の終焉

昨今の日経平均による「往復ビンタ」の影響からか、最近よく電車に人が飛び込む。

タイミング的に、株にやられたとしか思えん。

そう考えると、やはりほとんどの人はお金によって「生かされている」と言わざるを得ない。

この世の二大テーマ、「豊かさ」と「医者」…もちろん、私にとっても大きな大きなテーマだった。

むしろこの二つ以外で、ドラマチックな展開などほぼ無かった。

お金と医療の理不尽さ…この二つはまさに、私をとんでもなく成長させた「立役者たち」である。

そういう意味では、たとえ彼らが親の仇だとしても…感謝の余地が残されていると言える。

まぁ、あくまで「余地が残されている」というだけだ。全力で「ありがとう」なんて言えるはずがない。何事もバランスって感じかな。

ともかく、私たちは「お金が全て」と考えながら生きている。

でも、「お金が全てだと思う?」みたいな質問をもらうと、何となく遠慮して「全てではないと思うけど…」などといった、ぼんやりした答えを返してしまう。素直に「好きだ!」と言いづらい。

「お金」とはズバリ、宗教だ。ゴールドに値段が付いていること。そして、銀行の残高が増えたり減ったりすること…そこに疑問を持つことなど、許されない。「ただの数字」という事実から目を背け、ほとんどの人が神格化している。

「お金」という名の、何というか…それこそ神様だったり、時として巨大なモンスターのような存在として、どこか見ている。

確かに私たちは野生動物じゃない。屋根が無いと生きていくのは難しい。

そう考えると、この「お金」という概念を全否定するのもまた、難しいものだ。「お金が全てじゃない!」と叫ぶだけなら、誰でもできる。これはそこまで簡単な問題ではない。

昨今、支払いに関してはほぼバーコード決済が可能になった。

これがさらに進むと、現金の存在意義ってやつが問われる事になる。

何のために存在しているのか、ようわからん。今の時代、これを大量に財布に入れてるのはスマホも使いこなせない老人と、極端な現金主義者だけだろう。

これに伴い、紙幣・通貨などに対する「偶像崇拝」が淘汰されてきた。

聖書では偶像崇拝を禁じている。神を「お金」と比喩した場合、この金の子牛像のエピソードは、まさに今の時代の転換期を表しているようではないか。

…この世は聖書ベース。どうやら聖書に基づいて、展開されている。

…聖書は基本、暗号書だ。ワインのソムリエにも負けないくらい、全てを比喩的表現として捉える必要がある。

旧約聖書と新約聖書…いろいろな説もあるが、なぜこうして二つに分けられたのか…。

ともかく、だ。

やはり最終的に「現金」は、この地上から消え去るのかもしれない。

そして…「神」ってやつを信じた者だけが、生き残る。

この世の時間のベクトルが実は「新約聖書→旧約聖書」だとしたら…もしくは時間の流れ関係なく、順不同でヒントが散りばめられた書物だとしたら…いずれにしても、その可能性の示唆として受け止められないだろうか。

…だとしたら、当然の疑問が沸く。

「神」とは?

そこのあなたは終末までに、「真の神」を解き明かすことが出来るのだろうか。

それもまた…この「人生」という名のゲームにおける、一つのテーマなのかもしれない。

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Masayan_Kenji
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