「進化」の果て
我々はどうやら「進化」したらしい。
ダーウィニズム。これを真面目に学校で教えている事自体が、本当にすごい事だ。子供たちに牛乳を平気で飲ませている事実もビックリだが、「進化論」が現役なのも驚きである。
決定的な否定材料として、私たちは普段、進化途中の生物を見ない。
「触覚や尻尾が生えかけた生物」…なんていくらでもいるはずなのに、そういった進化途中の生物が未だに発見されていない。これだけでも十分だ。
地球の歴史は長いのでしょう?その中で私たちの世代だけ、進化中の生物がいないとでもいうのだろうか?そんなはずがない。
少し考えればとうに破綻しているこの理論を、学校では未だ大真面目に学生に叩き込んでいるのである。
…こうして、私たちは長い年月をかけて壊されていく。
いや…むしろこの理論に従う事で安全にこの世のレールに乗れるのだから…それを望んでいる人からすれば、ありがたい事なのかもしれない。
この世に定着するか否か…生まれてからというもの、私たちにその選択肢は全く無かった。
例外の除き、ほぼ間違いなく問答無用でこの世に叩き込まれる。
確かにそれを実践しているのは医療だ。でも真の「大元」はどこにあるのか…と考えた場合、そこに答えを出すならそれは「この世のシナリオ」としか言いようがない。
ダーウィニズムを「正しい」と教える学校教育や、毒を「薬剤」と称して大衆に打ち込み続ける医療機関…それらを「悪」と見ているなら、視野が狭いかもしれない。
視野を大きく広げ、宇宙視点になる。すると…
全てが平等になる。「砕けば皆、同じ物質。結局は皆、同じ」という気持ちで俯瞰できるようになるのだ。
この世を支配する詐欺も、医療の悪事も、戦争も…全てが「ちっぽけ」な規模に思えてくる。
二元的概念が支配する世界に自ら降り立ち、その世界の「洗礼」を数多く受けつつも、最終的にこの世の本質を「思い出す」。
…私が実践してきたのはまさに、それだ。
二つから、一つへ。そしていずれ、一つから…二つへ。
私はもしかすると、それをひたすらに繰り返しているのかもしれない。
もちろん私も「進化」は否定したくない。芋虫が蝶になるが如く大きな「進化」をするなら…それは喜ばしい事じゃないか。
ダーウィニズムを真剣に教える学校教育もきっと…半分は本当の事を言っているはずである。
——「進化」は存在する。
但し…それは最大単位まで俯瞰し、かつ最小単位まで目を凝らさないと気付けない。
だから結局先に進む為には、この二元的世界で特定の解釈を為すしかないのだ。
…「進化」を否定しつつも、肯定する。
そんな奇妙なバランス感覚を持つ人間だけが、この世の「先」を見れるのかもしれない。