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「無価値」に期待する人々

たまに思うことがある。

私が行ってきた真理の探究が、全く意味を為さないものだとしたら…

もしそうだとしたら、こんなアホらしい喜劇はないだろう。

全ての考察が的外れで、実ははそんなことなかった。我々は普通に社会生活を営み、普通に生きて普通に死ぬ。それが最良の選択肢であり、真理の探究など愚かの極みだったとしたら…

そう思うと、どこかゾッとする。

…と言いたいところだが、実は最近、そうでもない。

何故なら、この世の無価値性に気付いたからだ。

何を格好つける必要がある?なぜ名誉などを求める?それら全てには意味も価値もない。所詮、人は自由を錯覚しながら、好きに生きて好きに死ぬしか選択肢がない。

ならばやはり、私がしていることにも当然、具体的かつ本質的な価値などない。

残念どころか、むしろそれならば私の考察は正解だった事になるし、安心感すらある。

…それでも、私に対する世間の「期待」は消えない。

コンテンツにたくさんのコメントを頂く。ありがたい事だが、その多くは「期待」に満ち溢れている。

「そうじゃないと思いますよ」「もっとこう考えるべきでは?」…などなど。

彼らはよほど、時間が余って仕方ないらしい。

だって、無価値なものに期待をしているのだから…。そこまで時間を無駄に出来る彼らが羨ましい…とは思わないが、ある意味すげぇなって思う。

…ヒトは最終、期待し、押し付ける。

そんな大衆心理を垣間見て…ますます私がしていることの意義が見出せなくなってきた。

誰もが自分以外の情報に夢中で、己の中にある宇宙と会話しようとしない。

恐らくそういった人たちが…この「地球」と呼ばれるフィールドで何度も魂の輪廻を繰り返し、何千年もの間、当領域のシナリオを成り立たせてきたのではないか。

私は…その「負の螺旋」から降りる。

真理の探求に無理やり「価値」ってやつを見出すなら…そんなところだろうな。

人生の目的を「悟り」とする人は多い。事実、私もプライベートで真理探求の目標を聞かれた際、わかりやすくそのように答えたりする(それでもドン引きされるがね)。

私の真の目標…それは「この世からの解脱」だ。

つまり、この人生における最終目標などに興味はない。死ぬまでゲームやってるだけ。それだけで私は幸せである。

問題は「死後」だ。そうでしょう?

それに比べれば…

この世に一体、どれだけの価値があろうか。

いや、やはりそんなものはない。

それでも…それでも人々は、今日も「無価値な何か」に期待し、すがり続ける。

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