テッテレー!!
エンディングは、豪華なものではくてはいけない。
感動的なものであり、かつ、涙をさそうものでなくてはいけない。
音楽も演劇も、ドラマやアニメやゲームも…エンディングがしっかりとしたものでなくては、全てが台無しだ。
「終わり良ければ、全て良し」という言葉があるように、やはり何かしらのコンテンツのラストには、盛大な盛り上がりが期待される。
しかし…この世の教義と理は逆転している。
私たちは、反転したレンズでこの世を「見ている」のだ。
この世においてはどうやら、物事のラストは「盛り上がらないといけない」らしい。
人が死んだ時なんか特にそうだね。
わざわざ知人や親族を呼んで泣いてもらう。そこに莫大なお金を使う。それが終わった後も、「墓石」というワケのわからんものを買って、花まで添える。
…不謹慎と思われるのを覚悟で言うが、この一連の流れを見るたび、「人間ってのはバカばっかりだな」と思う。私が死んでもまだこの世が存在していたなら、どうか海の底なり樹海なり、好きに廃棄して頂きたいものだ。
私たちの人生には、何の意味も価値もない。だから、エンディングにもそれほどの意味はない。
いや…むしろ、この世でここまで「死」を盛大に盛り上げようとするくらいなのだから、本当は全てが「ドッキリ」だったって事はないのだろうか?
この世を去って「あの世」ってやつに戻った瞬間、ドッキリプレートを持ったおっさんが「テッテレー!!」と言ってきたりするかもしれない。
なーんて、それは冗談だとしても、だ。
…いや…あながち冗談ではないのかもしれない。
だって、そうでしょう?
この世はもう既に、冗談みたいな展開になっているじゃないか。
私から言わせれば、全部ギャグみたいなものだよ。
そう考えると…私も含め、みんなちょっと真面目に生きすぎているのかもしれない。
そうたらしめているのはズバリ、「感情」だ。皆、感情的すぎる。特に現代人は、ね。
一度、体から完全にカフェインを抜き、落ち着いて考えてみよう。
「冷めた奴」くらいが、今の時代にはちょうどいい。
もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。