産業用メタバース・デジタルツインのポテンシャルと活用
本記事は、メタバースの中でも、産業用メタバースと言われるユースケース、特にデジタルツインに関して、そのポテンシャルと、導入にあたってどのような論点があるかなどをまとめた記事です。
メタバースのトレンドと産業領域での適用
「メタバース」は今や様々な分野でその可能性が議論されているコンセプトです。従前のゲームやエンターテイメントの領域から、スマートファクトリーやスマートシティの実現まではb広くその適用が議論されています。
元々、「メタバース」という言葉は、古代ギリシャ語の「meta」(超越)と英語の「universe」(世界)というワードの組み合わせから来ています。その語源より、インターネット上の仮想現実空間を使って、ユーザー同士がコミュニケーションをとり、現実と同じようなライフスタイルを送ることができる世界というイメージで使われる事が当初は多かったように思われます。デジタル空間においてはオブジェクトは単なるデータであり、プログラムです。物理空間のモノとは違ってその複製は容易であるために、仮想世界では現実世界とは同じ所有の概念や権利を実現できないという指摘が従前ありました。しかし、ブロックチェーンやそれに基づくNFTを用いて、ユーザーの購入や所得の証明をもたせて世界としてのリアリティを高めるという動き(Web3)もあいまって、「メタバース」は新しい社会活動、経済活動の基盤になりうると幅広い領域から熱視線を受けています。そして、国内外を問わず様々な企業がメタバースへの参入を表明してきました。
ビジネスにおけるメタバースの活用にはいくつかのユースケースが考えられます。まず思い浮かぶのは、消費者向けのよりリッチな3Dゲームやエンターテイメントコンテンツの提供、メタバース上でのコマースビジネスやマーケティング活動の展開です。そして、企業がバーチャルオフィスを構築して働いている場所にとらわれないコラボレーション環境を実現したり、現実空間では行うのが難しい災害や緊急事態の発生を踏まえた研修を実施する等です。
メタバースのビジネス活用という意味では、これらのケースはエンドユーザーや従業員への3D空間の提供によって何ができるのか、というところでイメージが掴みやすいものですが、産業におけるR&Dや製造のプロセスへの高度な適用、またより大規模な適用シナリオも見えてきています。これらは、従前、デジタルツインと呼ばれていたソリューションでもあり、メタバースのトレンドと合わさって「産業メタバース」と呼称されます。
産業メタバース・デジタルツインでの活用シナリオ
産業メタバース、あるいは、デジタルツインの活用には、いくつか主要なシナリオがあります。
まずは、R&Dや製品設計・開発を高度化させるシナリオです。
例えば、製品のデジタルモデルをカスタマイズし、製品の設計を最適化することができます。これにより、個々の顧客に合わせた製品をより迅速に生産できるようになり、製品のカスタマイズがより容易になります。
また材料や素材分野での新物質開発にもデジタルツインが利用できます。原子配列や電子配置等の物性特性を高精度に計算した材料データベースをもとに、高度な3Dシミュレーション環境を用いることで、より迅速かつ正確な新物質探索や開発を行います。
他に製品に搭載するAIの開発を促進していくという先端的な活用例もあります。例えば、高度なAIを搭載したオートノマスカー(自動運転車)の開発です。安全かつ高性能なオートノマスカーの開発においては、AIに安全な自律制御を学習してもらう必要があります。これには大量の走行データに加えて、大量の事故データも必要となってきますが、そのデータを作るために実際に車を走らせて沢山の事故を起こすとしたらそのコストは計り知れないものになります。そこで、精巧なメタバース上の環境で自動車を走行させ、多様な事故を起こし、AIが学習するためのデータを収集します。現在、オートノマスカーに限らず、ドローンやUGV、また様々なロボットに搭載するAIの開発においては、データ拡張の手法を発展させ、3D空間にてデータを生成・収集することが基本となっています。このようにメタバースの現在のブームは、企業が様々な製品開発においてデジタルツインを活用していく起爆剤になる可能性があります。
もう一つのシナリオとしては、大規模な生産シミュレーション、環境シミュレーションを実現するプラットフォームとしてのメタバースの活用です。
例えば、生産ラインやプロセスに対応するデジタルモデルを作成し、それらを遠隔監視、制御、最適化することにより、品質向上、カスタマイズ、生産プロセス最適化、メンテナンス、サプライチェーンの可視性の面において、大きな改善をもたらします。これは、製造業を中心とした産業のバリューチェーンに広く影響をもたらす可能性があるでしょう。
品質向上については、製品のデジタルモデルの分析をすすめることで潜在的な欠陥を特定し、修正することができます。また、製品の品質を継続的にチェックすることもできるため、製品の品質を向上させることができます。また、生産プロセスの最適化により、生産効率が向上し、コストが削減される可能性があります。メンテナンスについては、製品や機器のデジタルモデルの監視やシミュレーションにより、メンテナンス時期を予測することができます。これにより、ダウンタイムを最小限に抑えることができます。
他には、自動車や飛行機などの製品やあるいは工場の生産ラインに留まらず、広くサプライチェーン全体の最適化も実現します。ビジネスパートナーと協力したデジタルツイン・プラットフォームを構築し、バリューチェーンに関わるデータを接続してリアルタイムなアクションやシミュレーションによるプランニングを行い、最も効率性の高い生産と配送を実現します。このようなプラットフォームは、従来のバリューチェーンをダイナミックなデジタルネットワークへと進化させていくことも後押しするでしょう。
もっと大きな規模での適用もあります。ビルや橋等も含めた都市全体の複製をメタバース上に構築し、各種リソースの全体的な可視化を実現。また、実際に物理的な変更を加える施策を実施する前にデジタルツインで開発や変更の影響をシミュレーションすることで、最適なプランを発見。長期間にわたるリソースの有効利用をサポートし、全体効率の向上も実現します。さらにスケールを大きくして、都市の交通やエネルギーの最適化、地域における災害対策、ひいては地球環境そのもののデジタルツインを実現して気候変動に対するアクションを考えていくことも視野に入ってくることでしょう。
以下は、建設・建築デザインのソリューションプロバイダーである Microsol Resources 社によるデジタルツインの解説ビデオです。主要な活用シナリオをコンパクトに説明しています。
産業メタバース・デジタルツイン導入のためのポイント
このように、産業メタバース、あるいはデジタルツインは幅広い効果を産業および社会にもたらします。それでは、企業としては、どのようにこの産業メタバースの活用を進めるべきでしょうか。導入にあたってのポイントはいくつかあります。
一つ目は、どのようなシステムやソリューションを導入するに際しても必ず言えることですが、目的とスコープの明確化です。産業メタバース、デジタルツインは広範な効果を期待することができるといえども、導入時にあたっては、初期の目的とスコープを明確化し、それに合わせた形でデータを収集し、関連プロセスと連携したシステムの設計を行うことが重要です。製品設計の高度化を目指す場合は、製品設計に関わるデータやシステムを把握して、そのデータを取得し、かつ製品設計に関わる他システムとも連携することが必要になります。
二つ目は、製品や設備レベルだけでない、プロセスやサービスレベルにまで及ぶデジタル化です。デジタルツインはややもすると、取り扱う製品や設備等のオブジェクトだけをデジタル化すればよいと考え、そのデータをいかに取得するかにフォーカスしがちです。ですが、その効果を最大限引き出すには、関連システムと連携したプロセスやサービスのデジタル化と呼べるレベルへの到達が必要になります。例えば、全社的な生産ラインの効率化を目指す場合は、製品や設備のデータをデジタル化して可視化するだけでなく、生産プロセスに関わるシステムと連携した制御も行えるようにし、さらには、ERP等とも接続することで財務的な数字に対するインパクトまで算出可能なシミュレーションを実現していく必要があります。
三つ目は、サイバーセキュリティの確保です。産業メタバースやデジタルツインは見てきたように、様々な組織のシステム、IoTシステム、センサーと接続することになります。そのため、通常のシステムよりセキュリティ脆弱性のリスクは高くなるケースがあり、サイバーセキュリティの機能・ポリシーや運用は必須要件になります。
四つ目は、人材の確保と育成です。産業メタバース、デジタルツインの導入にあたっては、従来の企業システムの構築やデータ分析において必要であったITエンジニアやデータサイエンティストと比較して、より現場のノウハウもおさえている人材が必要です。例えば、3D空間による可視化やシミュレーション、センサー等のIoTによるデータの収集と分析等においても実際の製品開発や生産プロセスの知見が多く重要になります。外部からそのようなスキルをもった人材を採用するだけでなく、社内の業務やシステムに関する経験が豊富な社員をいかに育成していくかも大事なポイントです。
最後にパートナーの選定です。産業メタバース、デジタルツイン活用における取組を構想し、進めていくためには、多様な知見やネットワークが必要です。例えば、デジタルツインを単に特定の業務に関連した可視化とその効率化に留めないためにも、どうデジタルツインの適用を広範囲に実施していくのか。現状の技術動向から自社のビジネスモデルに最適な活用ロードマップ及び導入プロセスを策定していくことが肝になります。またデジタルツインは、各種ハードウェアやクラウドサービス、ソフトウェアやIoT等、関連する技術も幅広く、多くのテクノロジーパートナーとの協業が必要となります。いかに様々な専門知識をもったパートナーを巻き込んでいけるのか、その選定は極めて重要です。
産業メタバースでのDX推進
以上、産業メタバースの活用シナリオとアプローチについて概観しました。
産業メタバースやデジタルツインは、企業における3D空間を用いた、工場や施設の単なる可視化というイメージで理解されることもありますが、実際は、R&Dから製品の設計・開発を高度化し、生産・物流を最適化してさらには新たなバリューチェーンの構築を可能にする、産業全体のDXを推し進める重要なソリューションです。企業は自社内での産業メタバース・デジタルツイン導入による期待効果を明確化しつつも、いかにその成果をスケールさせていくか、真価を発揮させていくかが活用において大切です。