私が経験した範囲での「地下鉄サリン事件」とその後 1 (全3回)
私は29歳の時、1995年3月20日に起きた「地下鉄サリン事件」に遭遇している。被害者約6300人のうちの一人が私だ。
最初に写真についての説明。
この書面は後に政府からお見舞金として10万円送られた時のもの。私が被害者の一人である一応の証明にはなるだろう。
私はこの出来事をあまり人に話してこなかった。というのも、何かのきっかけで会話の途中でこの話をしてしまうと、その場の雰囲気が一気に変わってしまう。そしてそれを快く思わない人も中にはいる。そういった人々の表情の変化を見るにつけ、私はいつしかこのことを言わないようになっていった。
とはいえ、なぜ私はこの事件のことを秘密のように抱えて、この先も生きていかなければならないのか。それは何か違う気がする。
とにかく、一度、文章にまとめることによって、私は自分の心を少し軽くしたい。
前半はあくまで私個人の視点を通してだが、事件発生直後の、事件がまだ事件として認識されていない時の、駅構内や人々の様子。その後の情報がほぼない状態での自分のサリン中毒による身体の異常と恐怖の感覚など、この日一日の出来事。
後半は事件後に残ってしまった心的ダメージについて。自分語りがすこし強くなってしまったかもしれない。
なお「地下鉄サリン事件」そのものについての説明は、有名な事件でもあるし、もはや一般常識だと思われるので、ここでは特に触れない。なるべく当時の自分を思い返して、私自身が何も情報がない状態で、何を見て何を感じたか、それを書いてみた。
ー---------
1995年3月20日。私は29歳で売れない写真家をやっていた。
この日の朝、私は建物の床清掃のアルバイトのため、現場がある上野駅に向かっていた。私の家は東横線にある。途中の中目黒駅から地下鉄日比谷線の北千住行の始発が出るので、日比谷線の上野駅まで確実に座って行くことが出来る。上野で仕事がある時はいつも中目黒で乗り換えていた。
車内で座っていると、途中の神谷町駅に着く直前に車内に車掌のアナウンスが流れた。日比谷線全線がストップした。この電車も次の神谷町で運行を止める。乗客は全員降りて、乗り換えるようにとのことだった。地下鉄が止まった何らかの理由をこの時、車掌が言ったかどうかは憶えていない。上野方面に行くには地下鉄銀座線に乗り換えとか、そのアナウンスはあったような気もする。
私はこれまで神谷町駅に降りたことはなかった。
当然、後で知ることになるのだが、この数十分前に「事件」は起きていた。駅構内にはこの時すでにサリンガスが充満していた。
扉が開き、私も含め乗客たちは何も知らずにその中に降りていった。ホームでは、後にニュース映像などで見る事件の騒乱はまだ起きていなかった。
私たち乗客は急な乗り換えのため、仕方なくぞろぞろと上の改札口に向かうエスカレーターの方に進んでいった。
後にサリンというと「異臭」ということがよく言われるが、この時の私は何も感じなかった。
私が見たのはホームの壁にもたれてへたり込んで座っている三十代くらいの男性だった。上着を脱いで床に置いている。少し離れたところに若い女性が同じく壁に寄りかかって座り込んでいた。さらにその向こうにやはり、座り込んでいる男性が見えた。
ラッシュ時でもあるし、運行が止まったということを考えると、車内で気分が悪くなる人もいるだろう。さほど変だとは思わなかったが、三人も座り込んでいるのは少し多いような気もした。
私の視野の外で、この時ホームで倒れている人もいたのだろうが、私は気付いていない。
ホームから上に昇るエスカレーターに乗った途端、私は激しく咳き込んだ。最初は単純にむせたのかとも思ったが、ちょっと感じが違う。思わず自分の身体が前のめりに折れるくらい激しかった。苦しくて涙がじわじわと出た。
少し呼吸が整ってきたすぐ後で、間を置かずにもう一度、激しく咳き込んだ。やはり身体が前に折れるぐらい強いものだ。どうしたんだろう、と思った。風邪をひいたのかな、しかし、咳が止むと特に自分の身体に寒気や熱っぽさなどの異常は感じられなかった。
上りエスカレーターを降りた少し先の、広くなった改札口付近では、駅員が日比谷線から銀座線の虎ノ門駅への徒歩での乗り換えを案内している。地上に出て、一本道を少し歩くらしい。
急ぎたかったので私はもらわなかったが、もう一人の駅員が「遅延証明書」を配っていた。
つまり、この時はまだ駅員たちは「事件」というものに対応していたわけではなく、「運行が止まった」ということにのみ対応していたということになる。
取り合えず地上に出た。後でニュース映像で繰り返し見ることになる、あの神谷町の駅前の混乱はまだ何も起きていなかった。この時は救急車はまだ一台も来ていない。皆、ぞろぞろと虎ノ門駅の方角に歩いていく。
街の印象は薄い。私には降りる予定のなかった初めての駅だ。憶えているのは歩いていく人々の背中だ。とにかくこの人たちに付いていけばいいんだな、と思った。
歩きながら、何だか自分の両目がだんだんと痛くなってきた。外に出たのでゴミでも入ったのか、と思った。しかし、ゴミだとしても同時に両目に入るだろうか?
両目の痛みはかなり強かったと思う。目をずっと開けていることが出来ない。片方ずつ目をパチパチさせながらとにかく進んだ。
虎ノ門駅だか、上野駅に着いてからかは忘れたが、トイレに入って鏡を見た。白目の部分が異様に真っ赤だった。水道で目を洗った。少しは良くなったような、気もした。
この時の自分の気持ちはとにかく、「困惑」、だったと思う。
なぜ急に目が痛くなったんだろう、無意識に汚れた手で目をこすったのだろうか、両方の目を同時に? そういえば、さっきひどく咳き込んだな。一体、自分の身体はどうなってるんだ?
咳が出て、目が痛くなる。そんな二つの症状が一度に出る病気があるのか?
そして、地下鉄が止まったことはともかく、ホームに人がうずくまっていたことは、少し忘れかけていた。