#1 沖永良部民謡との出会い
はじめまして!
私は沖永良部に移住して三味線教室をしている、はたのといいます。
いずれ自分が悩んだ時に見返したり、教えてる子どもたちが大きくなった時にこのnoteを見つけて、「あの時、はたのはこんな心情で自分に教えてたのか」と感じてくれたら嬉しいなと思い、はじめてみました。
SNSなどで発信するのも長文になってしまい本質的なことに触れられなかったり、そういった部分も記録用にしっかり残していければと思っています。
まずはせっかくなので自己紹介がてら民謡・沖永良部島との出会いを。
どうぞお付き合いください。
民謡をはじめたキッカケと教室探し
私はプロフィールに書いてある通り、静岡生まれ育ちです。
静岡にいる時から民謡や三味線といった日本文化が好きな、いわゆる一般的な子とは少し違う少々変わったヤツでした。
高校卒業後に関西の専門学校へ進学した18歳の春、何か趣味を作りたいと思い民謡を始めようと決心しました。
その時は沖永良部民謡なんぞは全く知らず、自分がやりたかったのは津軽三味線や日本民謡でした。
しかし、調べてみると津軽三味線自体がとても高価&レッスン料も貧乏一人暮らし学生にはかなりキツそう。。。。
これは到底ムリだ、、と思い、そういえば沖縄三線もあるなと調べていたら、意外と安く楽器自体は入手可能なことが判明。
とにかく早くやりたかったので、沖縄三線を購入して、まずは1人でYouTubeを見ながら家で弾いていました。
ただ1人で弾いててもつまらないし、間違いを指摘してくれる人もいないので正解がわからない。
せっかくやるなら5曲くらいはしっかり弾けるようになりたいなぁと思い、家から近くの三線教室2ヶ所に電話しました。
1つ目の教室は当たり障りのないやりとりをして終了。
2つ目の教室に電話をしてみると、電話口でお弟子さんと思われるおばちゃんが出て「先生ー!なんか習いたいって人から電話きたよ〜」と先生を呼び、そのあとに先生と思われるおじいちゃんが出てきて「いつでも好きな時においでな」とのこと。
なんかこのやりとりが良いなと思い、とりあえずその教室に行ってみることにしました。
そこから今に至るまで、ずっと沖永良部とは離れられない関係になろうとは、この時は思いもせず。。。笑
たまたま入った民謡教室がまさかの全員沖永良部島出身者!??
教室をしている先生のおうちに行ってみると、先生と最初電話に出てくれたおばちゃん、そしてもう1人おじいさんの3人が座って待ってくれていました。
話す間もなくいきなり「なんか弾ける曲はあるんか?」と言われ「安里屋ユンタなら1人で練習しました」と答えると、「じゃあとりあえず一緒に弾いてみよう」と。
いきなり弾かされ緊張しながら演奏を終えて少々異変が。
あれこの先生目が見えてないのかな?
先生は後天的な理由ですでに盲目の状態でしたが、それを感じさせない腕前。
その後「他に弾ける曲はあるんか?」と聞かれたので「ありません」と答えると、お話しタイムに入りました。
そこで先生は沖永良部島出身であること、一緒にいた2人も沖永良部島出身と聞きました。
(初めて聞く島の名前、どこなんだその島は!?)
教室を見渡すと他の生徒の方々と思われる名前も10名ほど書いてありました。
これはもしや、、、
聞いてみると、みんな沖永良部島出身でした笑笑
(正確には先生の甥っ子がいて、その方はエラブ2世)
そこから毎週稽古に通う日々が始まりました。
週に2,3回稽古をつけていただくこともありました。
先生は目が見えてないので、もう1人来ていたおじいちゃんも毎回来てくれ
ここから先生2人に弟子1人、自分の原体験となる3人での豪華すぎる稽古の日々がスタートしました。
また2人の先生について詳細はいずれ書こうと思います。
みんなで沖永良部島のことを教えてくれる日々
稽古にいくと約3時間の練習のうちおしゃべりが1時間くらい、まるで親戚のおうちで過ごしてるようなのんびりした時間でした。
おしゃべりの時間は必ず沖永良部島の話しになり、沖永良部島のことをたくさん教えてくれました。
昔の暮らしから、集落の話し、方言のこと、島の苗字の話し、島の人間関係、日中戦争から太平洋戦争の話しなどなど、ほんとにたくさんの島の話しを聞きました。
今まで自分が知らなかった世界、暮らしを先生たちが話してくれたので、純粋な18,19歳の自分にとってはとても興味深かったです。
静岡で生まれ育ち、いままで島とは無縁な生活をしていましたが、島に興味を持ったのもこの教室のおかげ。
そのおかげで今までに日本中の色んな島にも旅をしました。
沖永良部島の各集落の名称も方言で教わっていたので、現在の呼称を他の人から言われて初めて今はそう言ってるのかと気づく、つくづく不思議な世界線で島の勉強していたなと思います。
(例えばジッキョはいまはセリカクと言い、ジッキョは教わって分かるけどセリカクはどこ??みたいな)
先生たちも唯一沖永良部とは関係のない若造が来たとのことで、反応が面白くて島の話しをたくさんしてくれたのだと思います。
こういった島の話しが今となってはとても貴重な時間で、より沖永良部民謡にハマっていくキッカケにもなったのかと思います。
ここから関西に進学したのに、いきなり沖永良部島の人に囲まれ不思議な関西生活が始まっていくのでした。
気づいたら思い出話もたくさん出てきてしまい、長くなってしまったのでこの辺で。
また続きは次回。