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今はなき「たかお」のなすの肉挟み揚げ

西荻窪に住んでいた子供の頃「たかお」という居酒屋があって、一日中ランチ定食を出してくれていました。その中にある「なすの肉はさみ揚げ定食」。これは今でも忘れられない美味さでした。肉は鶏肉、それをなすの間に挟み天ぷら同様衣をつけて揚げ、もみじおろしとポン酢で仕上げ。カリッとした衣、なすから出る汁と鶏肉の肉汁が溢れて、ポン酢の酸味がさっぱりと食わせる。味噌汁、漬物、豆腐の小鉢、白米。それで600円(10年以上前の話)。

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マスターはふっくらとした優しい佇まいの中年で、居酒屋というより料亭の板前のような風格があり、暖簾をくぐると酒灼けした涼しい声色で迎え入れてくれました。着席し程なくすると「何が?」と聞いてくれる。この「何が?」の一声がまた優しい穏やかな言い方なんです。
食事を済ませ席を立つと最後に暖簾をくぐるまで四度程「ありがとうございました」という。私はこの店のことを小学校一年生の時に中国人転校生Sから聞いて知りました。彼はこの店のすぐ目の前に住んでいて、Sはこの店の店名「たかお」によく食べに行くと片言の日本語で言っていました(思えば中国人のSが小1で日本語が話せることが凄い)。私はこの年齢の頃から他人が何を好んで食べているのかに興味があって、Sが「タカオ、タカオヨクイク」というので「高尾?随分遠くまで」と思っていたのが、程なくしてそれが西荻窪の近所にある居酒屋だと分かったわけです。

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残念ながらお店はもう無くなってしまいました。
最後に行ったのは25歳の頃だったか、二つ年下の大学の後輩で木村カエラに似た美人女子学生をバイク(スズキインパルス青白)に乗せて行きました。彼女は後部座席から私のジャンパーのポケットに手を入れて来たから「随分男に慣れた子だな」と思いつつも場慣れしていないのでえらく焦り、ドキドキしたのも良い思い出です。冬の寒い日のことでした。オススメの茄子肉と、鶏皮ポン酢、ポテトサラダなんかを注文しました。味付けからこの鶏皮ポン酢は近所の鶏肉屋「鳥一」製だと分かります。それに薬味なんかをあしらってある。弾力ある鶏皮を湯がいて下ごしらえする手間をかけていたらコスト割れを起こすに違いないからこの出来合いは仕方ない。コストは手間と時間にかかるものです。その西荻の鳥一も閉店しましたが、同じものを成田東にある鳥一で今も買うことができ、ご飯に乗せて「鶏皮丼」にすると最高なんです。
ちなみにバイクはその後高校剣道部の友人に譲り彼が長野の峠で転倒し大破。幸い友人は無事でしたが。

話を戻すと子供の頃「たかお」に行く度に目の前の棚に並べられたおびただしい数のキープボトルが不思議でたまらなかったことを思い出します。ボトルには「田中」とか「高橋」草野球チームの名前であろう「イーグルス」、「山ちゃん」などのニックネーム、近所の商店の名前もありました。珍しいのでは「チャーリー」なんていうのもあったり。一体どんな奴なんだろう、チャーリー。などと思いめぐらせながら眺めるのが好きでした。和風の板前を皆が「マスター」と呼ぶのも子供ながらにおかしかったです。マスターは油の香ばしい香りを漂わせる鍋に天ぷらやなす肉を放り込むと店内のテレビを見て揚がるのを待つ。常連さんと「今年の巨人はダメですねえ」なんていいながら。私は油の中で花が咲くように広がっていく衣を凝視しました。揚がるまでの時間が思いの外長いので、焦げはしないだろうかと心配しましたが、マスターは客と話しつつもささっと軽やかな身のこなしで他のつまみなどを仕上げていきます。大層余裕があるように見えて格好いいと思いました。今から思えばこのマスター、かなりの腕前の持ち主だったように思いますね。立派な腕を持ちながらも街場でひっそりと好きなように安くてうまい店を営む道を選んだマスターは、気品の奥に薄っすら影のある雰囲気を宿していました。きっと苦心の物語があったのだろうな。
今頃の年齢で「たかお」にてゆっくり喧嘩相手でもあった中国人転校生Sとマスターを囲んで想い出酒でも酌み交わしたいのでありますが、それももう夢のまた夢。このくらいの歳(40歳)になってようやく「たかお」でボトルをキープして飲むということの幸福が分かり始めるだけに残念。ちなみにSとは今も飲み仲間です。
(2017.9.22初筆・2021年8月修正)

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