【西荻窪の誇り「戎」展(WEB個展)】
(序文)
「戎」北口店は新しいイメージがあります。小学生の頃、この前にあった「貸本屋」で漫画を借りたり、その隣にあった「ホルモン焼き」という暖簾に惹かれて「いつか大人になったら」と思っていました。そこに煌びやかな白木の洒落た焼き鳥屋さんが出来たという印象を受けたことを覚えています。そして母と焼き鳥をテイクアウト(当時30数年前もテイクアウトは結構ありました)で買って帰ると「こんなに美味しい焼き鳥があったのか!」と感動したものです。
当時焼き鳥屋といえば女子供が近づけない雰囲気でしたし、おじいちゃんの販売専門店のお昼に焼いてある作り置きを夜買うような保存が効くよくよく焼いた醤油味の強いものが主流だったので、焼き立てジューシーで、醤油っぽくない甘味のあるタレ、また塩焼きの絶妙な焼き加減は初体験だったのです。まだポモドーロのボロネーゼが最先端のオシャレグルメで、豚骨ラーメンや回転寿司の登場に衝撃を受けるというような、ある意味刺激の多い楽しい時代でした。
何げないビールやハイボールのカットイラストレーションでさえ、私の中では全て「戎の」に変換されます。これはメガハイボールのはず。
西荻窪「ニヒル牛」で展示販売していたイラストレーションですが「戎」を描いたものは全て完売しました。
これは完全再現ではないのですが「戎」をモチーフにしました。当時13年間挑戦し続け諦めかけていた第13回TIS公募(東京イラストレーターソサエティ主催 イラストレーション界のM-1的な?)というものにようやく入選した作品で、全四点の内(他には西荻窪「それいゆ」も描きました)特にこの絵は入選+αでイラストレーター木内達朗氏の特別賞に選んで頂きました。
世界的に活躍され、日本一絵が上手いと言われる木内氏に選抜されたことが意外かつ光栄でした。私とは対極にいるような凄腕イラストレーターですから。同時期に、別の公募にて宇野亜喜良氏の選を頂くこともあり、自信を完全に失いかけていた私にとっての転換期でした。翌年からは歌人枡野浩一氏と3年間毎年絵本を出すことになり、その後単著育児絵日記「うちのしょうちゃん」(皓星社)出版、また翌年から「西荻窪おさんぽ画」をスタートし、今に至ります。
まだまだ何者でもないながらも、ある意味での私のイラストレーションとしての達成が立て続けに起こるのですが、これら全てはTIS理事長でもあった安西水丸師が亡くなった翌年から始まったことでした。ずっと「人物」を描くことが苦手だったのですが、それは心の隙間にある「人嫌い」、つまり第一印象なるべく人に心を許さないというような警戒心から入るような、ひねくれた心根を転化して、イラストレーションに昇華し始めたから、再び再起出来たのかもしれません。私はこの頃から「嫌いな、苦手な感じのする人を描くと、意外と楽しい」ということに気付いたのです。そうしてそういうことを繰り返すうちに「嫌いな奴」が「愛らしいキャラクター、私の役者」となっていきました。これらの成果を一つとして安西水丸師に見せることはなりませんでしたが。ただやはり私は西荻窪の街並みを描くことが、自分自身の再浮上に繋がったと言えるのではないかと思います。「戎」をモチーフにしたこのイラストレーションを描いたことから、私のイラストレーションに光明が差し始めたという大切な作品です。
これらは西荻ナビというサイトのお仕事で15年くらい毎月連載していました。まだまだありそうですが、どれも2014年以後のものですね。人間を描くのが楽しくなってからの作です。
これらは自費出版「挿絵道」という画集の作品です。かなり楽しんで描いているのが分かりますよね。
「西荻窪おさんぽ画」です。このように現在に至ります(2021年10月)。最後のイラストレーションは2020年〜座高円寺で開催しました「西荻窪をおさんぽして描く」の渾身の作です。左下のお二方は西荻窪の名物マスター二人。
最後に、これは上記の絵本「あれたべたい」の1シーン。戎で語らう名物マスター二人がいます。じつはこの仲睦まじきお二人は、酒房高井の高井氏と「イルカに乗った少年」の谷脇マスターです。丁度この記事を制作中、谷脇マスターが、ご逝去されたとの報を聞きました。お二人の語らう姿こそ、西荻窪の風物詩。ようやく涼しくてポカポカ陽気にくつろぐにはいい季節になったのですが。
ご冥福をお祈りします。